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今を遡ること15年ほど前。西丹沢の箒沢から宮ヶ瀬までを1泊2日で縦走したことがありまして。ちょうど梅雨時で、2日目に蛭ヶ岳山荘を出た時はどしゃぶりの雨でした。ほとんど走るようにして宮ヶ瀬の入山口(当時はまだ宮ヶ瀬ダムは完成していませんでした)を出て振り返ると「ヒルに注意」の看板が。慌てて雨の中、着ているものを脱いで調べると、雨合羽の内外に、掛け値なしに100匹以上の山ビルがたかってました。皮膚にまで辿り着いた輩も数匹。誰のいなかったので、ほとんどパンツ1枚になってヒル退治に勤しみました(1時間以上かかった)。夢中だったとはいえ、途中で気づけよ自分。
丹沢の真ん中にある山が、なぜ蛭ヶ岳と呼ばれているのか、身に染みてわかった出来事でした。
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
おお懐かしい (スコア:1)
今を遡ること15年ほど前。西丹沢の箒沢から宮ヶ瀬までを1泊2日で縦走したことがありまして。ちょうど梅雨時で、2日目に蛭ヶ岳山荘を出た時はどしゃぶりの雨でした。ほとんど走るようにして宮ヶ瀬の入山口(当時はまだ宮ヶ瀬ダムは完成していませんでした)を出て振り返ると「ヒルに注意」の看板が。慌てて雨の中、着ているものを脱いで調べると、雨合羽の内外に、掛け値なしに100匹以上の山ビルがたかってました。皮膚にまで辿り着いた輩も数匹。誰のいなかったので、ほとんどパンツ1枚になってヒル退治に勤しみました(1時間以上かかった)。夢中だったとはいえ、途中で気づけよ自分。
丹沢の真ん中にある山が、なぜ蛭ヶ岳と呼ばれているのか、身に染みてわかった出来事でした。