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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
悲しいね (スコア:4, 興味深い)
sf.netの翻訳者向けのMLに、yahoo.co.jpドメインのメールアドレスで参加しただけで「日本語翻訳する予定がアリマスカ?」みたいなメールが翻訳担当リーダから届きました。未完成でしたがすぐに.poを添付して返信しました。
自分が必要とされているのがわかってちょっと嬉しかったりもしたのですが、このKDEの件では「頼んでもない質の悪い翻訳をするな」っていう感じがしてあまりいい印象がありません。
フリーソフトって優秀なプログラマ達のボランティアを
Re:悲しいね (スコア:0)
という方法論に帰着する話ではないかと思います。
今回のように
「おめーら、がんばらんと消してまうぞ!」
と宣言して尻をたたくのも一つの方法でしょう。
FreeBSD だって、「壊れている ports は X月 Y日ま
Re:悲しいね (スコア:1)
> 直さんと消すぞ」とか言ってますし、他のプロジェクトも
> 同様のことはあるでしょう。
壊れているportsはプログラムとして本来の機能を果たさないわけだから、あっても無駄または有害というのも分かりますが、あってもなくてもプログラムとしての動作には支障ないはずの(もちろん操作には支障ありますが)翻訳も、本当にそれと同じでいいのでしょうか?
一般ユーザの立場で見て、私には、
(項目数は)完全だけどダメダメな翻訳 < 未翻訳 < 不完全だけどマトモな翻訳 < 完全でマトモな翻訳
の順に使いやすくなっていくように思えます。
でも、今回はso poor and incompleteだからやっぱり仕方ないのか…
きっと、たまにいぢる程度では目につかないところにpoorな日本語がたくさん潜んでいて、誤操作の危険があるのでしょうね。
まさか日本語や韓国語をよく知らない人がpoorと判断したわけでもないでしょうし。