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机の上には、OS/2、WindowsNT、MacOS7と並んでました(それぞれ違うクライアントの業務用でして orz)。
当時OS-9/68000あたりを使っていた人間としては, OS/2なんてパソコンの資源を考えずに仕様を切った鈍重なOSにしか見えなかったですね.
プリエンプティブなマルチタスク環境と言っても, メモリ等のPC資源の制約で1タスクか2タスク程度しか同時には動かせない. GUI指向と言っても640×400か640×480の画面では全画面モードでしかアプリは使い物にならず, Windowsのタスクスイッチと操作感での違いは無い. という具合で, どこを取っても中途半端でした.
OS/2がクライアントOSとして優位を持っていたのは, 16bit Windows末期のWarp3のころから, WindowsNT系列がクライアント環境で実用になりはじめるまでの数年ぐらいしかなかったように思えます.
WorkPlaceShellのドラッグ&ドロップが、よりによって右ボタンだったのがメジャーになれなかった原因のような気がします。
#慣れるまで大変だった。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
なぜメジャーになれなかったの? (スコア:3, 興味深い)
OS/2の出始め当時は、まだ日本の半導体、DRAMが強くて、値段もどんどん下がっていたので、DOSに比べれば大量にメモリを必要(といっても8MBくらいかな、今から考えると信じられないくらい小さいですね)としても、リッチなユーザインターフェイスやマルチメディアのためには決して技術的には間違った選択肢ではなかったと思います。
が、スーパー301条をちらつかせる米通商代表部のご活躍によってDRAMの値段は下がることはなく、DOSとOS/2の間ぐらいのメモリサイズ(2MBぐらいかな、もちろん英語版)で動くWindowsにやられちゃったのが不幸の始まりだったような気がします。
#MSはヒルズ女史にきっと感謝していることでしょう。
古い話なので、勘違いはつっこみよろしく>識者の方々。
Re:なぜメジャーになれなかったの? (スコア:4, おもしろおかしい)
主導権を握れなかったマイクロソフトはオープンソース陣営に肩入れし、MS OfficeやVisual StudioをOSS化。
対するIBMはEclipse Express Edition(EEE)を無償公開、次期OS/2におけるアプリ開発者の確保に務める。しかし肥大化したOS/2 Vistaの登場は遅れ、CSS解釈やセキュリティ面に問題があるWebBoy 6.0は徐々にシェアを奪われて……
Re:なぜメジャーになれなかったの? (スコア:0)
机の上には、OS/2、WindowsNT、MacOS7と並んでました(それぞれ違うクライアントの業務用でして orz)。
Re:OS/2のWebブラウザ (スコア:0)
OS/2ブラウザの変遷 [geocities.jp](スクリーンショット付)
# モデレータなのでAC
Re:なぜメジャーになれなかったの? (スコア:2, 興味深い)
設計思想に問題があったのだと思います。
今でこそオープンソースを推進しているIBMですが当時はメインフレームの牙城を守るため必死の攻防戦のさなかでした。
OS/2の肝はIBMのSAAアーキテクチャの「端末」であって、「ホスト」は9270か3090(ヨーロッパはAS/400?)、通信はSNA、エミュレータは5250か3270に「囲い込まれる」ように作ってありました。
そもそも技術ドキュメントを取るのが大変でPS/2と込みで買ってもマニュアルを触る前に「六本木」本社から「お目付け役」の法務がPDA今すぐサインするよう迫られましたから。
>(といっても8MBくらいかな、今から考えると信じられないくらい小さいですね)としても
そもそもWarpの前のバージョン触ったことある人の方が少ないのでは?(笑
まぁ、当時IBMメインフレームは24Bitアーキテクチャ、ユーザー領域は実質的にOS/370の16Bitアーキテクチャなのでパソコンにに16MB以上のメモリーは乗せたくなかったのですよ。独自のWindows32アーキテクチャにかけたBillの決断は当然で、IBMの決定的な敗因でした。
あの当時にIBMの尻馬乗ってた連中共は、もはやリストラか引退ですが、今でも理不尽な戦略の間違いを許せませんし、今でもどこぞに媚売ってる連中は何を考えているか理解に苦しむところがあります。
co2masato
24Bitアーキテクチャ (スコア:0)
当時、31bit論理空間に拡張された370XAアーキテクチャは存在したと思います。
互換性のため32bitではないところがポイントなACより。
Re:なぜメジャーになれなかったの? (スコア:2, 興味深い)
当時OS-9/68000あたりを使っていた人間としては, OS/2なんてパソコンの資源を考えずに仕様を切った鈍重なOSにしか見えなかったですね.
プリエンプティブなマルチタスク環境と言っても, メモリ等のPC資源の制約で1タスクか2タスク程度しか同時には動かせない. GUI指向と言っても640×400か640×480の画面では全画面モードでしかアプリは使い物にならず, Windowsのタスクスイッチと操作感での違いは無い. という具合で, どこを取っても中途半端でした.
OS/2がクライアントOSとして優位を持っていたのは, 16bit Windows末期のWarp3のころから, WindowsNT系列がクライアント環境で実用になりはじめるまでの数年ぐらいしかなかったように思えます.
Re:なぜメジャーになれなかったの? (スコア:1)
WorkPlaceShellのドラッグ&ドロップが、よりによって右ボタンだったのがメジャーになれなかった原因のような気がします。
#慣れるまで大変だった。