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物事のやり方は一つではない -- Perlな人
FSFでは (スコア:2, 興味深い)
日本から見たらAppleの(というかiTunesの)やり方はほどよく緩く感じるくらいなのに。
(CDからリッピングしてiPodに入れたり出したりするのに回数とかの制限が無かったり)
囲い込まれているんだろうけど、あまりそれが苦痛に感じないんですよね、日本では(私だけ?)。
他の締めつけがキツいのでそう感じるだけかもしれませんが。
バランス感覚 (スコア:3, すばらしい洞察)
その中間に落ち着くんだろうと思うのね。
白でも黒でもなく、灰色の領域に。
で、その灰色の領域のバランスっていうのが、日本とアメリカでは違うと思うんだ。
日本でいうところの灰色のバランスっていうのは、1% の
極端な意見(白とか黒とか)を排除した、99% の
人たちの合意でなされる、と考えているフシがある。
そこで合意を得て、初めて市場に出てくることができる。
一方、アメリカでは、白10%、黒10%、濃い灰色30%、薄い灰色50%、
とか、そういう配分で意見が割れていて、
「全体」としての合意なんてものはない。
歩み寄りの必要もなく(それは最終的に市場によってなされるはず)、
さまざまな意見が両立し、市場で消費者に問いかける
ことこそがバランスだと。
FSF は白(黒でもいいけど)の極論であって、そこに意味がある。
逆に言えば、 FSF を肯定する人は、 FSF マンセー
なのではなくて、FSF を極論の一方として利用できる
と考えているんじゃないかな(少なくとも俺はそうだ)。
#あ、日本とアメリカってのも所詮たとえ話ですよ。
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています