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おそらく捕食のために殺したわけではないでしょう。
なぜそう思ったんですか? 人間を喰うという習慣が消えて久しいですが、それでも紀元前くらいまで遡れば結構みられた習慣です (中国の戦国魏の楽羊のエピソードは有名かと思います)。Wikipedia: カニバリズム [wikipedia.org]にたくさん例がありますね。
彼らが農業を営んでいたかは不明ですが、狩猟を行っていたとすれば、対象にネアンデルタール人が含まれていたというのはそんなに変な話でもないように思えます。逆に「事故」を主張するほうが無理があるんじゃないかと思います。
>狩猟を行っていたとすれば、対象にネアンデルタール人が含まれていたというのはそんなに変な話でもないように思えます。>逆に「事故」を主張するほうが無理があるんじゃないかと思います。いやいや、狩猟の時に仮の対象ではない者を傷付けて仕舞うというのは、現在でも良くある事で。狩猟生活をしていたのなら、事故である可能性も充分に高いと言えるんでないかと。
というか、生存競争に勝ち残った生物の末裔じゃない生物なんてのはほとんど存在しないと思います。それを問題視するのは、氷河期に我らの先祖のネズミのような生き物が、寒さと飢えに苦しむ恐竜たちを見殺しにしたことについて問題視するのと同程度にナンセンスだと思えます。
ルナリアンの末裔であるとか、宇宙からきたって話ならまた違った話になるかもですが。
>おそらく捕食のために殺したわけではないでしょう。
別に珍しいことじゃないと思うよ。http://openblog.meblog.biz/article/779849.html [meblog.biz]http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%8F%E3%83%8C%E3%83%9E%E3%83%B3+... [google.co.jp]
私たちに罪があるのか、業なのか
ちょっと理論的に考えればわかることだけど、別に罪も業もないよ。 大腸菌が自分の生存環境の確保のために他の細菌を殺したことと同じレベル。 まぁそれを罪だ業だと考えるのは考える人の勝手だけどね。
私達は大腸菌なんかの下等な生物とは違う、知性を持った特別な生物なんだ! と考えるのはたぶん業・・・じゃなくて単に驕りか?
きっとそれの考えが人類の驕りなんじゃないかと元ACは言いたいんだと思います。とはいえ僕も人類は他のケダモノとは違う特別な存在であってほしいと願う者の一人ですが。
# 火を扱うスキルと言語を操るスキル、道具を作成し操るスキルだけは他の動物には負けないっ!
>人類は他のケダモノとは違う特別な存在であってほしい
火を扱う能力にたけているだけではない。コミュニケーションをはかる能力は動物にも備わっているが、記録を残したり複数の言語を話す能力はヒトにしかしない。ゾウやサルに絵を描かせることはあるかもしれないが、他人が描いた絵に価値を見出すことはヒトしかしない…
それで複雑な物事を単純化してみると、それはヒトも動物にも差異はないかもしれないが、動物の真似はヒトにできてもヒトの真似は動物にはできない。しかし進化論的な考え方をよりどころにすれば、ヒトはケダモノの延長線という考えに縛られる傾向があるね。
しかし進化論的な考え方をよりどころにすれば、ヒトはケダモノの延長線という考えに縛られる傾向があるね。
延長線というかその一部でなければ何なんですか?神様が自分に似せて作ったんですかそうですか。
私はドーキンス(念のためにいうと進化論の偉い人)とかなりシンクロ率が高い口ですが、ヒトは生命のありようの全く新しい段階に達しているとは思います。情報としてゲノムだけにとどまらず文字その他のメディアに記録されるような文化を持っているわけですから、知られている限りほかに例はありません。ゲノムだけの生物を(RNA, DNAの別は無視して)第一世代、揮発性で記録されず直接継承が必要な文化だけしか持たない生物、たとえばさえずり方を直接習わなければうまくできないウグイスを第二世代とするなら、ヒトは地球の生命史上初の第三世代の生物です。といっていいほど明らかな違いはありますが、延長線上で初めて閾値を超えた生物であるに過ぎないともいえます。「特別でありたい願望」?そんなモン知らねえって。
横やりですみませんが、大きな差異があると思います。 決定的な違いは「特別」かどうか。
空を飛ぶ生物がいなかった時代に、 最初に空を飛んだ虫は閾値を超えました。 それは「特別な存在」だからではなくて、 進化の過程で変異してそうなったと考えるのが進化論的です。 つまり人間も変異で閾値を超えたけれど、 それは「特別な存在」だからではないということ。
それにしても「特別」という言葉は微妙な表現ですね。 動物をケダモノと呼ぶのも蔑みが含まれているようですごく違和感があります。
そういう意味ではそもそもその当時のホモサピエンスが「ヒト」であったかどうかという問題が。
罪という概念が存在するにはまず宗教などなんらかの規範が前提として必要ですし、そのほかの要素(絵も火も言語も模倣もそうですが)にしても人が歴史を積み重ねて蓄えてきた知識や習慣の上で成立する後天的なものでしょう?それら過去の文明の蓄積が無かったであろう彼らは「ヒト」では無かった可能性が出てきますよ。
まずは、人類より頭の良い2種族、イルカとハツカネズミにそのあたりを聞いてみたいところ。
ネアンデルタール人にも埋葬の習慣がありました。我々の考えるような宗教儀式に当てはまるかどうかはともかく、死体に献花していたのはほぼ確実です。献花の理由まではわからないので、我々の考えるような宗教であったかどうかまではわかりませんが、広い意味での宗教は「あった」とすることが前提です。
宗教をもっている証拠が全く確認されていないネズミやイルカと比べるのはとんでもない暴論ですよ。
> 宗教をもっている証拠が全く確認されていないネズミやイルカと比べるのはとんでもない暴論ですよ。いやいや。そもそもイルカとハツカネズミは明らかに宗教観を持っている現世人類より頭が良いという話ですよ。
#無粋を承知で言えば、ネタにマジレス。。。
人間は宗教の有無を、献花だとか埋葬と言った儀式や、十字架や仏像やコーランのような道具を通じて判断します。道具を持たない動物に物的証拠がないのは当然だけど、それは彼らが道具を使わない原始的宗教に持たなかったという根拠にはならないのです。
人間はほかの哺乳動物と同じように心臓で血液を循環させて、肺で酸素を取り出し、生殖器で交尾し、胃で食料を分解し、肛門や尿道から排泄します。ほかにも共通点は山ほどあります。むしろ相違点の方が少なくて、人間とほかの動物の決定的な相違点は知性くらいではないでしょうか。どうして人間だけが別の(特別な)生き物だと考えるのか不思議でなりません。
進化論的な考え方をよりどころにすれば、ヒトはケダモノの延長線という考えに縛られる傾向
縛られているのではなくて、ごく自然な推察だと思います。宗教によってはそれを認めない傾向が強いようですが。
もし子孫が生き残ってたら「謝罪と賠償を要求する!」とか言ってたのかしら。
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
親の罪は子の罪? (スコア:1, 興味深い)
その当時何があったのかは知ることはできないでしょうが、
おそらく捕食のために殺したわけではないでしょう。
私たちに罪があるのか、業なのか
生きているということを考えさせられるニュースでした。
チラシの裏だけどID
Re:親の罪は子の罪? (スコア:2, 興味深い)
なぜそう思ったんですか? 人間を喰うという習慣が消えて久しいですが、それでも紀元前くらいまで遡れば結構みられた習慣です (中国の戦国魏の楽羊のエピソードは有名かと思います)。Wikipedia: カニバリズム [wikipedia.org]にたくさん例がありますね。
彼らが農業を営んでいたかは不明ですが、狩猟を行っていたとすれば、対象にネアンデルタール人が含まれていたというのはそんなに変な話でもないように思えます。逆に「事故」を主張するほうが無理があるんじゃないかと思います。
Re:親の罪は子の罪? (スコア:2, 参考になる)
Re:親の罪は子の罪? (スコア:2, すばらしい洞察)
発見時どのようになっていたのかわかりませんが、
他の肋骨が傷ついていなかったことがわかっていることから
ある程度遺骨がまとまった状態で見つかっていると推測しました。
捕食のために殺して実際に食卓に並べるならば、ある程度解体されて
遺骨がバラバラになってしまい死因が特定できるような状態に
ならないんじゃないか、また食べた後の骨を一人分ずつ分けて廃棄するのも
考えにくいと思ったので食人は選択肢から外していました。
考えてみれば食べることを目的に殺したとしても、そのとき逃げおおせたり
仲間に助けられたりして、自宅で亡くなることも考えられるので
やはり捕食目的は否定できないですね。思慮が足りず申し訳ありませんでした。
#次からはもっと考えてから発言しよう・・・
Re: (スコア:0)
そうなると、死んだ同胞を食べるようになるのは、ある意味必然かと。
Re: (スコア:0)
>狩猟を行っていたとすれば、対象にネアンデルタール人が含まれていたというのはそんなに変な話でもないように思えます。
>逆に「事故」を主張するほうが無理があるんじゃないかと思います。
いやいや、狩猟の時に仮の対象ではない者を傷付けて仕舞うというのは、現在でも良くある事で。
狩猟生活をしていたのなら、事故である可能性も充分に高いと言えるんでないかと。
Re: (スコア:0)
どっちかっつーと事故でない可能性の方が高いだろ。
一般的には、獲物の数>事故の数が常に成り立つだろうし。
# もし逆なら、「獲物」と定義されてる方が「混獲」という事故になるからな。
星を継ぐもの (スコア:2, すばらしい洞察)
というか、生存競争に勝ち残った生物の末裔じゃない生物なんてのはほとんど存在しないと思います。
それを問題視するのは、氷河期に我らの先祖のネズミのような生き物が、寒さと飢えに苦しむ恐竜たちを見殺しにしたことについて問題視するのと同程度にナンセンスだと思えます。
ルナリアンの末裔であるとか、宇宙からきたって話ならまた違った話になるかもですが。
◆IZUMI162i6 [mailto]
Re:親の罪は子の罪? (スコア:1)
>おそらく捕食のために殺したわけではないでしょう。
別に珍しいことじゃないと思うよ。
http://openblog.meblog.biz/article/779849.html [meblog.biz]
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%8F%E3%83%8C%E3%83%9E%E3%83%B3+... [google.co.jp]
そう考えたいならそれでもよいが (スコア:0)
ちょっと理論的に考えればわかることだけど、別に罪も業もないよ。
大腸菌が自分の生存環境の確保のために他の細菌を殺したことと同じレベル。
まぁそれを罪だ業だと考えるのは考える人の勝手だけどね。
私達は大腸菌なんかの下等な生物とは違う、知性を持った特別な生物なんだ! と考えるのはたぶん業・・・じゃなくて単に驕りか?
Re:そう考えたいならそれでもよいが (スコア:2)
きっとそれの考えが人類の驕りなんじゃないかと元ACは言いたいんだと思います。
とはいえ僕も人類は他のケダモノとは違う特別な存在であってほしいと願う者の一人ですが。
# 火を扱うスキルと言語を操るスキル、道具を作成し操るスキルだけは他の動物には負けないっ!
特別な存在と書くと、/.では語弊があるかもしれないが (スコア:2)
>人類は他のケダモノとは違う特別な存在であってほしい
火を扱う能力にたけているだけではない。コミュニケーションをはかる能力は動物にも備わっているが、記録を残したり複数の言語を話す能力はヒトにしかしない。ゾウやサルに絵を描かせることはあるかもしれないが、他人が描いた絵に価値を見出すことはヒトしかしない…
それで複雑な物事を単純化してみると、それはヒトも動物にも差異はないかもしれないが、動物の真似はヒトにできてもヒトの真似は動物にはできない。しかし進化論的な考え方をよりどころにすれば、ヒトはケダモノの延長線という考えに縛られる傾向があるね。
モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
Re:特別な存在と書くと、/.では語弊があるかもしれないが (スコア:2)
しかし進化論的な考え方をよりどころにすれば、ヒトはケダモノの延長線という考えに縛られる傾向があるね。
延長線というかその一部でなければ何なんですか?神様が自分に似せて作ったんですかそうですか。
私はドーキンス(念のためにいうと進化論の偉い人)とかなりシンクロ率が高い口ですが、ヒトは生命のありようの全く新しい段階に達しているとは思います。情報としてゲノムだけにとどまらず文字その他のメディアに記録されるような文化を持っているわけですから、知られている限りほかに例はありません。ゲノムだけの生物を(RNA, DNAの別は無視して)第一世代、揮発性で記録されず直接継承が必要な文化だけしか持たない生物、たとえばさえずり方を直接習わなければうまくできないウグイスを第二世代とするなら、ヒトは地球の生命史上初の第三世代の生物です。といっていいほど明らかな違いはありますが、延長線上で初めて閾値を超えた生物であるに過ぎないともいえます。「特別でありたい願望」?そんなモン知らねえって。
Jubilee
Re:特別な存在と書くと、/.では語弊があるかもしれないが (スコア:1)
僕は親コメントの内容を、
ケダモノの延長線であるだけでなく、Jubileeさんが言う閾値を超えた部分もあるのだから、
その部分を無視して「ケダモノの延長線」で判断を辞めてしまうと、ヒトという種への評価が不当に低くなっちゃう場合もあるよね
我々のように特段進化論について詳しいわけではない人間は、安直に理解してる俺流進化論で判断を下してしまうことで そういう事態に陥りがちではあるよなぁ。
という意味で読みましたが、どうでしょうか。
どちらの話もそれほど差異があるように思えないので、どこらへんが違うのか教えてもらえると嬉しいです。
ドウシテオレハ、ココニイルンダ!
Re:特別な存在と書くと、/.では語弊があるかもしれないが (スコア:1)
横やりですみませんが、大きな差異があると思います。
決定的な違いは「特別」かどうか。
空を飛ぶ生物がいなかった時代に、
最初に空を飛んだ虫は閾値を超えました。
それは「特別な存在」だからではなくて、
進化の過程で変異してそうなったと考えるのが進化論的です。
つまり人間も変異で閾値を超えたけれど、
それは「特別な存在」だからではないということ。
それにしても「特別」という言葉は微妙な表現ですね。
動物をケダモノと呼ぶのも蔑みが含まれているようですごく違和感があります。
42 (スコア:1)
そういう意味ではそもそもその当時のホモサピエンスが「ヒト」であったかどうかという問題が。
罪という概念が存在するにはまず宗教などなんらかの規範が前提として必要ですし、そのほかの要素(絵も火も言語も模倣もそうですが)にしても人が歴史を積み重ねて蓄えてきた知識や習慣の上で成立する後天的なものでしょう?それら過去の文明の蓄積が無かったであろう彼らは「ヒト」では無かった可能性が出てきますよ。
まずは、人類より頭の良い2種族、イルカとハツカネズミにそのあたりを聞いてみたいところ。
◆IZUMI162i6 [mailto]
Re:42 (スコア:2, 興味深い)
ネアンデルタール人にも埋葬の習慣がありました。我々の考えるような宗教儀式に当てはまるかどうかはともかく、死体に献花していたのはほぼ確実です。献花の理由まではわからないので、我々の考えるような宗教であったかどうかまではわかりませんが、広い意味での宗教は「あった」とすることが前提です。
宗教をもっている証拠が全く確認されていないネズミやイルカと比べるのはとんでもない暴論ですよ。
Re: (スコア:0)
> 宗教をもっている証拠が全く確認されていないネズミやイルカと比べるのはとんでもない暴論ですよ。
いやいや。そもそもイルカとハツカネズミは明らかに宗教観を持っている現世人類より頭が良いという話ですよ。
#無粋を承知で言えば、ネタにマジレス。。。
Re: (スコア:0)
人間は宗教の有無を、献花だとか埋葬と言った儀式や、十字架や仏像やコーランのような
道具を通じて判断します。道具を持たない動物に物的証拠がないのは当然だけど、それは
彼らが道具を使わない原始的宗教に持たなかったという根拠にはならないのです。
Re: (スコア:0)
そんな畜生どもが宗教はおろか
人生、宇宙、すべての答えを
し っ て る わ け な い よ な ? [wikipedia.org]
Re: (スコア:0)
人間はほかの哺乳動物と同じように心臓で血液を循環させて、肺で酸素を取り出し、生殖器で交尾し、胃で食料を分解し、肛門や尿道から排泄します。ほかにも共通点は山ほどあります。むしろ相違点の方が少なくて、人間とほかの動物の決定的な相違点は知性くらいではないでしょうか。どうして人間だけが別の(特別な)生き物だと考えるのか不思議でなりません。
縛られているのではなくて、ごく自然な推察だと思います。宗教によってはそれを認めない傾向が強いようですが。
Re: (スコア:0, おもしろおかしい)
もし子孫が生き残ってたら「謝罪と賠償を要求する!」とか言ってたのかしら。