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もしかしたら、Linusや彼寄りの人たちは、「ESRやRMSは思想ばっかり語ってねーでコード書けやワレー」と思っているのかも知れません。昔(GPLv2ができたころ)はFSFの人間もそれなりにコーディングをしていたから、Linuxよりの連中にとっては同志だった。ところが、今気が付いてみたら、FSFは全くコーディングに参加しなくなっていた。そのくせ、Linux開発者が書いたものをあたかも自分たちが作ったものであるかのように振りかざしてしまっている。Linuxから見れば、裏切りですね。
経験上、元々同志であった者たちのうち片方が、相方の存在を当たり前のように思ってしまうと、決定的な破滅が待っています(実は自分の親がそうだった)。もう手遅れかも知れませんが、ESRやRMSが引退していればGPLv3をもっとスムーズに策定できていたことでしょう。GPLは一次的にはプログラマのためのライセンス。コーディングができなくなった人間がそれを策定するのは、どう考えてもおかしなことですから。
- 第 0 の自由 : 目的を問わず、プログラムを実行する自由 。- 第 1 の自由 : プログラムがどのように動作しているか研究し、そのプログラムに あなたの必要に応じて修正を加え、採り入れる自由 。 ソースコードが入手可能であることはこの前提条件となります。- 第 2 の自由 : 身近な人を助けられるよう、コピーを再頒布する自由 。- 第 3 の自由 : プログラムを改良し、コミュニティ全体がその恩恵を受けられるよう あなたの改良点を公衆に発表する自由 。 ソースコードが入手可能であることはここでも前提条件となります。http://www.gnu.org/philosophy/free-sw.ja.html [gnu.org]
0. 複製や頒布、改変以外の活動はこの契約書ではカバーされない。それらはこの契約書の対象外である。『プログラム』を実行する行為自体に制限はない。
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
つまるところ (スコア:1, 興味深い)
Re:つまるところ (スコア:2, 参考になる)
GPL v2が策定されてから既に15年ほどになる訳ですが、その前提であった「自由」と言うものを貫くには、DRMのような「本来コードの外にある物がコード使用者の自由を縛る」と言うような障害が幾つか出てきた訳です。
それに対してどう対処するかで、GPLv3のような「ユーザの自由」を最大限に取るか、v2に留まって「開発者の現在の自由」を最大限に取るかで火花が飛び交ってるという状況だと考えますけどね。
まぁ、「Free as Freedom」な考えと「Free Beer」な考えが起こるべくして起きた衝突を起こしただけではないかとおもいますよ。
まぁ、私はGPLv2の訳文やThink GNUを読んでいなければこの筋の事をやっていなかったと思うので、「v3にすりゃ、最終的にみんな今よりも楽な開発できるのに」と思うんですが、人によっては見方が違いますからね…
でも政治闘争はやっぱり本質 (スコア:0)
もしかしたら、Linusや彼寄りの人たちは、「ESRやRMSは思想ばっかり語ってねーでコード書けやワレー」と思っているのかも知れません。昔(GPLv2ができたころ)はFSFの人間もそれなりにコーディングをしていたから、Linuxよりの連中にとっては同志だった。ところが、今気が付いてみたら、FSFは全くコーディングに参加しなくなっていた。そのくせ、Linux開発者が書いたものをあたかも自分たちが作ったものであるかのように振りかざしてしまっている。Linuxから見れば、裏切りですね。
経験上、元々同志であった者たちのうち片方が、相方の存在を当たり前のように思ってしまうと、決定的な破滅が待っています(実は自分の親がそうだった)。もう手遅れかも知れませんが、ESRやRMSが引退していればGPLv3をもっとスムーズに策定できていたことでしょう。GPLは一次的にはプログラマのためのライセンス。コーディングができなくなった人間がそれを策定するのは、どう考えてもおかしなことですから。
Re:でも政治闘争はやっぱり本質 (スコア:0)
「思ってるのかも知れません」で終わってれば良いのに、妄想垂れ流しです。
コーディングに参加するものがエライといわんばかりのイキオイですが、Linuxってそんな文化でしたっけ?
Re:でも政治闘争はやっぱり本質 (スコア:0)
この件に限らず、開発サイドと哲学サイドの溝は、どんどん深まるばかり。OSDLも、ソフトウェア特許の件でFSFと対立中。もしかしたら、OSDLもLinux寄りに近づいていくかも。ただ、開発対象の規模に差があるため、Linuxのやり方を無条件に受け入れていいかどうかは分からない。細かい思惑のズレがやがて大きな対立になるってのは歴史が山のように教えているはずだけど、関係者は何も学んでないようだね。
Re:でも政治闘争はやっぱり本質 (スコア:0)
前提になる知識が何から何まで間違ってるのでは?
> 小さなツールならともかく
大きさ関係ナイ。
> 「自分たちが作ったものを、他人が勝手に改編したライセンスで配布するとはケシカラン!」ってのが出てきて当然
誰もそんなこといってナイ。
> Linuxは(理性ではなく)本能的にFSFと距離を置こうとするのが
ホンノウ???
> 開発サイドと哲学サイドの溝は、どんどん深まるばかり。
どこで?それより、あなたと世界の溝もどんどん深まってるようデスヨ・・・
> 細かい思惑のズレがやがて大きな対立になるってのは
思惑がずれて対立しているわけではナイ。なんでそんなこともわからないの?
ちょっとていねいにつっこんでみる (スコア:0)
「でも」の使い方を間違えていないか.
> ESRやRMSは思想ばっかり語ってねーで
彼らが語っているのが思想だけならば,耳を塞げばよい.彼らが思想のために行動しているからこそ,影響力がある.
(ここに ESR が出てくる意味は分からない.)
> コード書けやワレー
世のソフトウェア開発者で RMS (FSFの人間) がコードを書けなくなったと認識している人がどれくらいいるだろうか.GNU Emacs の changelog でも見てみれば分かるが,まだ現役の開発者でしょう?
> Linux開発者が書いたものをあたかも自分たちが作ったものであるかのように(ry
真逆ですね
Re:ちょっとていねいにつっこんでみる (スコア:0)
なぜそうなるか。Linuxと聞いた時に、その多くの人たちはGNUやFSFよりもLinusを連想してしまうから。語呂合わせもあるだろうし、どちらかというとFSFの人間よりもLinusの方がメディアによく出てくるのもあるかもしれない。ほかにもいろい
Re:ちょっとていねいにつっこんでみる (スコア:0)
> FSFがLinuxに焼き餅を焼いていると考えれば、FSFが過激な行動に出るのも頷けます。
過激な行動になど出てないし。なんでそこまで妄想できるの?
なぜGPLv3が必要か (スコア:1)
GNUの掲げる「自由」の理念は変わってなくて、以下の4つの自由を全て満たすことです。
ところがGPLv2では、実行(第 0 の自由)は
自明なこととしてスルーしちゃって、サニタイズすんの忘れてた!
このセキュリティホール(?)を突かれて、DRM等で実行を禁止されると、GPLv2を満たしてるのに実行できない(自由でない)、つーことになります。
v3ではこれを「実行に必要なすべてのソースが必要」と明確化したので、もし実行にDRM鍵が必要なのであれば、DRM鍵もソースに含める必要があることになります。(あるいは公式鍵でなくても実行できるようにするとか)
要するに「自由」という要求仕様を満たすためにGPLv2を実装したけどバグが見つかったので、バグfixのバージョンアップです。
政治闘争でもなんでもない。あえて言えば政治闘争なのは昔からで、v2->v3で何か方針が変わったわけではないです。
Re:つまるところ (スコア:0)
そして誕生当初からGPLは自由を強制する為の手段でした。
Re:つまるところ (スコア:0)
それとも
別の目的のために「自由」を手段としているのか・・・
理念としての「自由」を勝ち取るべく戦うか、
それとも
いまある「自由」で満足しそれを手段として使うか・・・
両方の立場があっていいと思うけど、オープンソース以来、理念が希釈された気もする。
オープンソース立ち上げた人たちはそれが目的だったんだろうけど。
なので、私はRMSを応援しとく。
言い古されてることだけど、 (スコア:0)
Re:言い古されてることだけど、 (スコア:0)
あるよ、GPL(の配布物)を使わない自由が。
# ネタにネタレス