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全自前主義 (スコア:2, すばらしい洞察)
Re:全自前主義 (スコア:5, 興味深い)
真っ正面からの取り組みそのものだと思うんだよね。
だから、こうやって、現実の社会との間にある問題や
矛盾を浮き彫りにして、話合いで解決しようとしていく。
そういう意味で、「技術が面白けりゃそれでいい」
「大局的な視点での、技術の意味なんて誰かが決めてくれる」
「経済=社会でしょ?」的な考え方とはかけ離れてると思うんだよね。
あなたが無駄遣いだと思ってる労力は、実はそれほど
ムダじゃないんじゃないかなぁ。
#というか、あなたの考えてる世界は狭いように思う。
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています
Re:全自前主義 (スコア:0)
GNUやDebianProjectの思想って、ソフトウェア技術を体現したものじゃないと思うんだ。逆に、DebianProjectが持ってる思想をソフトウェア技術を使って体現したらこんなんになったよってことじゃないかな?
Re:全自前主義 (スコア:2, 興味深い)
> 理念vs社会ではないかな?
違うと思うよ。いろいろな意味で。
何も Debian だけが社会とソフトウェア技術の架け橋に
取り組んでるわけじゃない、といえば、満足できるかな。
マイクロソフトも、社会とソフトウェア技術と間を埋める
取り組みをしてる。Oracle もそう。だけど、あまりに
経済にかたよりすぎてる。経済を通してしか架け橋を
用意していないのね。
(じゃあお金のないひとはどうするの?その人は
ソフトウェアによる便益を直接享受できないの?)
RedHat もひとつのやりかただよね。
もちろん、FreeBSD も。
で、そういう数々の取り組みの中で、企業と無関係の
一個人でも参加でき、プロジェクトの体制に選挙制を敷き、
社会契約を明示したものとして、Debian があるわけ。
プロジェクトの在り方そのものが、我々の社会の構造に
似せてあるんだ。
社会と同じ構造を持って、ソフトウェア技術と社会との
架け橋に取り組んだらどうなる? Debian はそういう挑戦なんだよ。
そこをもって、「ソフトウェア技術と社会と真っ正面
から取り組んでる」と表現したわけ。
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています
Re:全自前主義 (スコア:0)
それに、
> 何も Debian だけが社会とソフトウェア技術の架け橋に
取り組んでるわけじゃない
のなら、ソフトウェア技術vs社会というのは変じゃないかな。
やっぱり「Debian的なソフトウェアの扱い方と社会とのあいだの、真っ正面からの取り組み」で生じた問題でしかないんじゃないかな。他の組織が扱っても同じような問題が生じるのなら別だけど。
Re:全自前主義 (スコア:1)
俺も変だと思う。
なんで vs で考えてるの?
「ソフトウェア技術と社会とのあいだの、真っ正面からの取り組み」
って書いたんだけど。
ソフトウェア技術と社会との間を取り持つことは vs じゃないよ。
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています
Re:全自前主義 (スコア:1)
> 他の組織が扱っても同じような問題が生じるのなら別だけど。
もちろん、生じると思うよ。
別の組織なら、別のところで同じように問題は発生する。
Debian のやりかたが他に比べて総合的にいいのか
悪いのか、判断できる程この分野には歴史はない。
100 年経てば、「あれがよかった」
「あれはまずかった」と言えるようになるかもしれないけどね。
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています
Re:全自前主義 (スコア:0)