アカウント名:
パスワード:
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
我々の力 (スコア:2, すばらしい洞察)
Re:我々の力 (スコア:3, すばらしい洞察)
これ自体には同意しますが、
> 市民の目で悪を裁くのです。
市民を自称すれば普遍性が得られるってものでもないでしょう。独善的な抗議電話や個人情報晒しには同意できません。それは私の正義感に反します。
つまり、正義と正義はぶつかり合うのです。このとき、実力行使で自らの正義を実現することが許されるなら、世の中は実力行使がぶつかり合う、暴力の支配する世界になりかねません。
それが嫌だから、人は法治と秩序を選んだんですよ。
Re:我々の力 (スコア:2)
話があべこべになってますよ。
それがない状態だから抗議が殺到しているのでは?
力の行使が不正義だからと、片方の力の行使あるいはサボタージュだけを黙認した状態、それこそ「暴力の支配する世界」だと思いますよ。
力と力がぶつかりあえば、双方に不利益が生じる。だから法治と秩序でそれを防ぐ。
それに力の陵辱を受けた状態でも、訴えなければ基本的に法治は何もしてくれません。それは秩序の保たれた状態なわけです。
いじめも同じで、黙ってればそれは秩序の枠に収まってしまう。
Re:我々の力 (スコア:2, すばらしい洞察)
それがない状態という認識は視野が狭い。
選択肢が「黙っている」「実力行使に出る」の両極端しか無いように見受けられます。
結論を書くと、学校にいじめを解決する能力が無い場合、例えば警察に訴えるべきでしょう。
また、被害者の立場に立って救済の道を模索した結果が実力行使であるかのような書き方をされていますが、それは事実と違う。
今回の件では被害者はカヤの外です。追いつめられた被害者の緊急避難的な実力行使ではないのです。
つまり、第三者である抗議者に緊急避難的な要素はありませんし、抗議する相手が学校や個人という小さな相手です。暴力的な方法を用いるべきではありません。
悪く言えば抗議者たちは、義憤から憤まんやる方ない思いを抱き、それを解消する手段として抗議を選んだだけ。独善的で自己を省みない行動はそのような批判を受けても仕方ないでしょ。
Re:我々の力 (スコア:1, すばらしい洞察)
大量の電話や、今回は伝えられてないからわからないけど他の例で耳にする大量のFAXなどは、「相手の日常に一方的に割り込む」暴力だと知っておく必要があるでしょう。
Re:我々の力 (スコア:0)
もっとも、やり方はもっと上手い方法がありそうですが。