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研究でそのテーマを決めることは、何を/で遊ぶか決めるのとどれほどの違いがあるの?結果の評価法が違うだけじゃないかと思うんだけど。どうかな?
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
研究者のジレンマ (スコア:2, 興味深い)
研究として良いものと流行るものは別なわけでして
(流行るといっても単にブームになるとかではなく、広く利用されるようになるという意味)
古いタイプの人は「良いものが流行る」と考えている節もありますが
# いや「良い物を流行らせるべき」と考えている、かな
数々の敗北の歴史を鑑みると悩みますね
自己満足でいいならば
「私は良い研究をやったのだ、世界が付いて来れなかっただけなのだ」
で良いのでしょうが、やはり広く利用されるような物を作りたいのです
しかし、古いタイプの遺伝子を受け継いでしまっている(私のような)研究者にとっては
そういうものは時として「研究ではない
Re:研究者のジレンマ (スコア:1)
研究でそのテーマを決めることは、何を/で遊ぶか決めるのとどれほどの違いがあるの?
結果の評価法が違うだけじゃないかと思うんだけど。どうかな?
# その「結果の評価法」において「動画アノテーションで集合知を目指す」というのは研究?って気はする。開発ならわかるが。
Re:研究者のジレンマ (スコア:1, 参考になる)
研究のテーマは、実現されれば新しいことでなければならないし、自明でないものでなければならないと思う。
後者の条件を満たさないものが「研究」としてたくさん発表されているのは事実だけど。あと、研究にはなんらかの一般化可能な知見がなければならないんじゃないかなとも思う。
#テーマを聞いて「やればできそうだね」と思う話が多すぎる。もちろん、「やってみたらこんな困難がありました」というのなら研究といえるけど、「やってみたらやっぱり簡単でした」というのが多い。
以上の条件が研究にはあるが、遊びにはそんな条件はない。他に「おもしろい」という条件があるかもしれないけど。
Re:研究者のジレンマ (スコア:1)
研究テーマとはちょっと条件が違うけど、何かが「おもしろい」(=遊びになる)条件って結構難しいよ。例えばあまりに自明だと遊びにはならないし、「hogeの使い方」みたいなのも遊びにはならない。たとえなってもそんなにおもしろくない。たぶん一番大きな違いは研究だと結果に客観性が必要になることじゃないかと思う。でも客観性が必要なのは結果に対してだからテーマの種は遊びのそれと同じだと思うわけ。
>#テーマを聞いて「やればできそうだね」と思う話が多すぎる。
私ゃ研究者ではないけれどなんとなくわかる。お仕事しちゃってる感じ。だからこそ彼らに足りないのは遊びの方だと思う。そういう意味で、応用の方を向かせる、研究というより開発させちゃう傾向ってのは「やればできそうだね」を悪化させるだろうな。だとするならオサキマックラじゃん。