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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall
コンビニの雑誌コーナーが撤去される日も近い? (スコア:3, 興味深い)
ダカーポも休刊らしいし、この業界の斜陽っぷりは半端ないですね。
雑誌というメディアが多様化の時代、情報のスピード化・大容量化をフォローできるわけがないというのは当然だと思います。
コストパフォーマンスでいっても、どっかのサイトで計算されていましたが紙なんてのはITと比較すると相当な資源の無駄らしいので、なくなっても一向にかまわない気がする。
新聞なんてのは一回読んだら確実にゴミというありえなさだし、数十年たったら新聞は何て無駄なメディアだったんだろう、というのが一般認識になると思う。
トイレットペーパーに作るのにどれだけのエネルギー使ってんだよ。
Re:コンビニの雑誌コーナーが撤去される日も近い? (スコア:1)
今はまだ紙媒体のほうがデジタル媒体に比べて表現力で勝る点がいくつもあって、
それ以外にも紙媒体で新聞を配信することには合理性があるわけだから、現状をもって
「無駄なメディアだったんだろう」と後世の人が判断することはないんじゃない。
新聞を印刷し、配送するためのコストを超すだけの価値があると多くの人から認められてるし。
加えて、新聞紙は再生紙の利用率が高いし、リサイクル率も良いので、
別にすぐにトイレットペーパーになるわけじゃないですし、トイレットペーパーに
なるまでに読者が価値を感じているのだから、
>トイレットペーパーに作るのにどれだけのエネルギー使ってんだよ。
という発言はあまりにも乱暴すぎると思います。
それと、新聞が無駄なのではなく紙媒体という情報の配信形式に
非効率性があるという主張から、「新聞が無駄」と言ってしまうのは、ミスリーディングですね。
もっとも、新聞の価値は、新聞社の社会的信用と、購読料という形で
明確なインセンティブが与えらえれていることによる、「記事の内容の質の高さ」にあるわけだから、
(特に現状のインターネットのように誤りや悪意が含まれている危険が高いメディアと比べて)
確かに紙媒体である必然性が必ずしも存在しないのは事実でしょう。
iTunesのような有料音楽配信のように、情報が物に化体されていなくても、
その価値に応じて対価を支払う、ということが消費者の意識の中でもっと一般化すれば、
今後、紙媒体からデジタル媒体へのシフトがより加速されると、私は考えます。
ごめんなさい。
Re: (スコア:0)
> 明確なインセンティブが与えらえれていることによる、「記事の内容の質の高さ」にあるわけだから、
> (特に現状のインターネットのように誤りや悪意が含まれている危険が高いメディアと比べて)
新聞の発行元は主に広告収入によって支えられている。
新聞という広告メディアの面積を稼ぎ出すために、必ずしも質の高い記事が載るとは限らない。
新聞発行元自身が掲載記事の検証を行うしくみがないので、誤りがあっても訂正されにくい。
他メディアなどで分析検証されても、新聞
Re:コンビニの雑誌コーナーが撤去される日も近い? (スコア:1)
>新聞の発行元は主に広告収入によって支えられている。
読売、朝日、日経などの主要紙において購読料と広告収入の割合は
ほぼ1:1なのでその認識は誤りです。
>新聞という広告メディアの面積を稼ぎ出すために、必ずしも質の高い記事が載るとは限らない。
広告媒体としての価値は購読部数が最大のファクターなので、
面積を稼ぎ出すために記事の質を下げるというのは考えにくい。
むしろ広告記事や一面広告が増えれば増えるほど、その分
編集局に廻せる予算は増えると考えるのが妥当では。
>新聞発行元自身が掲載記事の検証を行うしくみがないので、誤りがあっても訂正されにくい。
内部に掲載記事の検証を行う仕組みが全くないわけではない(校閲記者)です。
確かに、一度記事になったものの誤りにたいして積極的なチェックを入れていない部分は
あるかもしれないが、そのような記事の質の低下は購読者数の減少という形で評価されるので、
記事の質の水準を保とうというインセンティブは存在しているでしょ。
>他メディアなどで分析検証されても、新聞発行元で訂正されることはあるのか?
あるとは思いますが、実例は知らないので解りません。
>「質が高い記事」というのは購読者に対するセールストークに過ぎないのではないか?
セールストークという部分も無いわけではないでしょうが、実際にネット上の匿名記事などと比べた場合、
誤りや悪意が含まれる危険がより少なくなるような構造、それが保たれるインセンティブが存在している、
つまり、”新聞社と読者が合理的であれば”、質が高い記事が保証されるような仕組みになっている
という点が重要ではないでしょうか。
>救命医療環境問題で「たらいまわし」などのフレーズを繰り返すのは「質の高い記事」というよりは「デマゴーグ」ではないか?
何を言いたいのかわかりませんが。記者の方はそう表現するのが正しいと判断したのでしょう。
少なくとも、専門家ではなく一般の購読者を対象にしているわけですから、
複雑で難解な表現より「たらいまわし」のように直観的に理解できる表現が
望ましい部分もあると思います。
>新聞はそれなりの記事が量産され掲載されていると評価するのが妥当ではないか?
それなり、の判断基準が示されていないので何とも言えません。
過去の新聞記事と比べて、特に現在のそれが良くも悪くもなっているとは
私には思えないので、それをもって「それなり」と表現することには問題ないと思います。
>今日でも、新聞というメディアでなければならない記事というものはあるのか?
現状、紙媒体であることには一定の合理性があると思いますし、
情報工学が専門の者の意見としては、活字の表示方法としての
紙媒体を完全に置き換えるような技術が普及するには
まだしばらく時間が必要であると、考えます。
>まだ、新聞の次のメディアがビジネスとして立ち上がっていないだけではないか?
新聞の次のメディア、などという曖昧な概念で何を言いたいのかわかりませんが、
「現実社会を理解し、その問題点を調査し、何らかの形でアウトプットする」という
「報道」という事業の必要性・合理性は、技術の進歩に関係なく存在し続けるでしょう。
ごめんなさい。