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プレゼンテーションは「パワポの使い方」ではなく、論理的な主張を段階的に構築していく方法を教えるものにすべきでしょう。だから必ずしもパソコンを使う必要はありません。
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クラックを法規制強化で止められると思ってる奴は頭がおかしい -- あるアレゲ人
アプローチが間違っているような… (スコア:4, 興味深い)
養成課程の設置のハコとか予算枠を用意しても、
それを執行・実行する人員がいないので無理。
>各大学からアイデアを募集する
結局ノーアイディアってこと?
官僚がやるべきことは、金をばら撒くことではなく、
きちんとした制度を設計すること。
問題は、「大学→大学院 → 教職」のキャリアパスが非常に狭いことであって、
教職に関する教育制度そのものをきちんと見直すことじゃないかなぁ。
もしくは、教職を取らなくても小中学校で理科教育に
研究者や理系出身者を引っ張りだす仕組みを考えるとか。
「教職を持っている→教える資格がある(採用したらもう切れない)」じゃなくて、
「試しに採用してみたら評判がよい→教える資格がある」という考え方がいいと思う。
Re: (スコア:2, 興味深い)
まずは全ての基盤となる国語力(論理力)の強化 [atmarkit.co.jp]が先じゃないのかな。まずは教員から。そうでなければただの対症療法でしかなさそう。
「スーパー」な教員を養成しても平均的な教員に頭の中で知識を体系化するスキルが乏しいと、「できる人」に仕事が集中してしまったり当たり外れが大きかったりして、その施策を長続きさせるためには更にお金を注ぎ込まなければならなくなりそう。
脱「感想文」教育 (スコア:0)
「読書感想文」に代表されるような文芸偏重な内容を改善しなければ。
Re:脱「感想文」教育 (スコア:2, 興味深い)
やはり論理的な文章作成に加えて、「ディベート」と「プレゼンテーション」かな。
テレビの討論番組とかを見る限り、まともなディベートができる日本人は100人に
一人もいないみたいに見えます。プレゼンテーションは「パワポの使い方」ではなく、
論理的な主張を段階的に構築していく方法を教えるものにすべきでしょう。だから
必ずしもパソコンを使う必要はありません。
>「読書感想文」に代表されるような文芸偏重な内容を改善しなければ。
その「読書感想文」も「作文」も、まともな文章作成の基礎さえ教えて
もらえなかったりする。少なくとも私の時代はそうでした。
Re:脱「感想文」教育 (スコア:1)
高校の「情報科」でやっているような情報の取り扱いや整理の仕方などを「国語」
の中で徐々に教えていけるといいかもしれないですね。
理科や科学も枝葉末節だけでなく、「科学的な考え方」についてもしっかり教える
べきなんじゃないでしょうかね。例えばこんな内容↓
『科学的に説明する技術 その仮説は本当に正しいか』 (サイエンス・アイ新書 40) [amazon.co.jp]
「文芸偏重」は同感。
教養・芸術寄りの「文芸国語」と「コミュニケーション用国語」を分けてしまって
もいいんじゃないかなと思う。
知的生産の技術 (スコア:1)
と,40年ほど前の本に書いてありますが,なかなか。
Re: (スコア:0)
> 分けてしまってもいいんじゃないかなと思う。
そういう意味では、「理系の教科」も入試向けの問題を解く力をつけるのとは別の教養寄りの要素を入れたのを作っておくのも理系離れ対策の一助になるような気がします。
Re: (スコア:0)
という言葉が良く横行するのですが、正直、理系の人間で論理的という言葉を
多用する(重要視する)人で話の中身が論理的かつ建設的であったためしがあ
りません。
日本語の文法の授業を学んでいるわけではないので、言葉じりを捕らえて論理
的であるかの判断は間違っていると思います。その手の論理が横行しすぎるか
と。
ディベートもプレゼンも、相手をその場で打ち負かすことや、ごまかしても良
いからとりあえず納得させるという技術と、きちんと物事を伝える議論するこ
ととは異なります。論理という言葉を先行させる人はたいていは、相手を打ち
負かすことや、意見そのものの含んで