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現実が難解なのだから、それを写す法律も難解で当たり前で、そんな知識は一部の必要なところに集約されていればいいじゃないかとも思います。でも現実に多くの人が法律を知らない、興味を持たないことが無用なコストやリスクの源泉になっていて、問題なのも確かなのでしょう。しかし困難の所在を
法律(というか条文)はとても狭い分野を対象にしたものから、世間一般を射程に納めるものまで様々です。また現実を規定するものから、現実を補完するものもあります。遡って考えると、法律は基本となるルールですが、位置づけとしては現実の交渉や慣例が破れたときに持ち出される例外となります。つまりある条文は現実と言う文脈において読むべきものであって、例えば同じ「業務」という型でも、中身は少しずつかわってくるものです。(続けると長くなるし、主題じゃないのでこれくらいにしておきます。)
問題なのはむしろ文語体とか口語体といったものじゃない書式の問題だと思います。昔の法律はわかりにくいです。当時の社会や常識が今とは違うかもしれませんし、単語や条文を理解するのも一苦労です。でもそんなことがわかっても法律は読めるようには出来ていないのが困難の所在となっているのではないでしょうか。言ってしまえばそんなことは調べてしまえば分かることで、法律の該分野にいる人なら現実に当てはめて考えればより理解しやすいでしょう。会社法なんかは、単語も現代風で、条文はできるだけ読み違えをしないよう、他の条文と衝突しないようきっちり書いてあります。だから条文を読めば条文自体は理解できます(又別の方向の苦労は必要ですが)。でもそこが理解できても会社法がどんな法律か、モデルとしている会社がどういうものなのかはまったくわかりません。(ちょっとスタンスが違うのですが参考。isologue - by 磯崎哲也事務所: 条文が読めない!?? [tez.com])
ってえらそうなことを書きましたが、どうすればこれが解決するのかが分かりません。文書にメタ的な要素が足りないのかもしれませんし、一部だけを理解するに適していないパンデクテン方式と長大な法律のせいかもしれません。だから法律なんてしっかり例外に押しとどめて、専門家だけが知ってればいい、というのも正解だと思うのです。
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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
すばらしい洞察 (スコア:3, 興味深い)
>建て増しを重ねたようなもので、迷路のようになっていて、
>火事が起きたらみんな死ぬ。日本人に技術力がないわけでは
>ないのに、法律がイノベーションを阻害している。
>私たちが子孫に残せるのは、せめてこういうひどい制度を
>手直しして、彼らが新しいビジネスに挑戦できる社会にすることだ。
中山氏の発言そのものに、すばらしい洞察のモデをしたいです。
著作権法に限らず、いろんな法律が、後生大事に条文を変えようと
せずに解釈のみで現実世界に合せようとしていたり、また、
改訂される際もつぎはぎのように部分的に追加・変更を繰り返すので、
非常に理解し辛くなっている(条文を読んで意思決定する際の判断と
し辛い)と考えます。
#意味不明のソースの方が、触るとどんな副作用が起きるか判らず
#綺麗なソースより残り続け、またそのようなソースを納品した業者も
#サポート案件を獲得し続けた事を思い出した...
Re: (スコア:1)
文語体とか口語体といった書式の問題に限らず、
日常目にする事が無い単語が頻出する上、
単語の意味が独特な物である場合も多い為です。
その為に、法律そのものを知らない、読んだ事が無い人が
数多く存在する事が問題だと、私は思うのです。
(例えば、道路交通法を通しで読んだ事のあるドライバーは、
日本全国で、どれくらいの人数になるのでしょうね?)
大抵の人が「日本は法治国家である」と確信を持って語ると思いますが、
実は、その根本の法律とは、普通の人が読んでも意味が分らない、
(中山氏ですら、余程の動機が無いと読もうとも思わない)謎文書な訳ですよ。
これは、ある意味、世界を影で操る闇の政府の実在よりも、
恐ろしい事だと思います。
Re:すばらしい洞察 (スコア:1)
現実が難解なのだから、それを写す法律も難解で当たり前で、そんな知識は一部の必要なところに集約されていればいいじゃないかとも思います。でも現実に多くの人が法律を知らない、興味を持たないことが無用なコストやリスクの源泉になっていて、問題なのも確かなのでしょう。しかし困難の所在を
法律(というか条文)はとても狭い分野を対象にしたものから、世間一般を射程に納めるものまで様々です。また現実を規定するものから、現実を補完するものもあります。遡って考えると、法律は基本となるルールですが、位置づけとしては現実の交渉や慣例が破れたときに持ち出される例外となります。つまりある条文は現実と言う文脈において読むべきものであって、例えば同じ「業務」という型でも、中身は少しずつかわってくるものです。(続けると長くなるし、主題じゃないのでこれくらいにしておきます。)
問題なのはむしろ文語体とか口語体といったものじゃない書式の問題だと思います。昔の法律はわかりにくいです。当時の社会や常識が今とは違うかもしれませんし、単語や条文を理解するのも一苦労です。でもそんなことがわかっても法律は読めるようには出来ていないのが困難の所在となっているのではないでしょうか。言ってしまえばそんなことは調べてしまえば分かることで、法律の該分野にいる人なら現実に当てはめて考えればより理解しやすいでしょう。会社法なんかは、単語も現代風で、条文はできるだけ読み違えをしないよう、他の条文と衝突しないようきっちり書いてあります。だから条文を読めば条文自体は理解できます(又別の方向の苦労は必要ですが)。でもそこが理解できても会社法がどんな法律か、モデルとしている会社がどういうものなのかはまったくわかりません。(ちょっとスタンスが違うのですが参考。isologue - by 磯崎哲也事務所: 条文が読めない!?? [tez.com])
ってえらそうなことを書きましたが、どうすればこれが解決するのかが分かりません。文書にメタ的な要素が足りないのかもしれませんし、一部だけを理解するに適していないパンデクテン方式と長大な法律のせいかもしれません。だから法律なんてしっかり例外に押しとどめて、専門家だけが知ってればいい、というのも正解だと思うのです。