「スレ主」が何を指しているのかはっきりしないけど、Technology Previewの記事「Wikipedia and the Meaning of Truth [technologyreview.com]」 (Simson L. Garfinkel) は、そんな感じですね。基本的には「中立的な観点」「検証可能性」「独自研究は載せない」の三大方針の有効性を認めて、技術・法律などの分野を中心におおむね上手く機能しているとしながらも、実際問題として機能しない場合もある、と。肩書きになぜか映画監督が加えられたJaron Lanierを例にとって、次のような問題を指摘しています(以下、丸括弧内は私の補足・解釈)。
Lanierの場合、彼自身が訂正しても当然ながら差し戻されて、彼自身が書いて典拠と認められるようなものは(ハイパー)リンクをたどって検証できない。そのことを彼がEdge誌に寄稿した記事で嘆くと、おそらくはEdge誌も事実チェックをやっているだろうと、やっとのことで訂正された。結局参照はEdge誌のサイトに掲載された同記事 [edge.org](ただし同記事末尾の筆者紹介には今も「Jaron Lanier is a film director.」と書かれていたりする)。その一方で、『ドクター・フー』『スター・トレック』などのフィクションに関するエントリについては(Garfinkel自身そういうものも楽しんでいるとしながらも)「検証可能性」や「独自研究は載せない」がかなり緩くなる。
Wikipediaに真実を期待する人っているの? (スコア:2, 興味深い)
何を言いたいのかよくわからないが、
世の中にはWikipediaに真実が書かれていると
思ってる馬鹿が多いということを前提とした議論ってことは、
把握できた。
世間のWikipediaに対する認識ってそんなものですか?
Re:Wikipediaに真実を期待する人っているの? (スコア:3, 興味深い)
>思ってる馬鹿が多いということを前提とした議論ってことは、
>把握できた。
違う気がする。
スレ主は、Wikipediaの記事内容の正当性を、「他ソース」で発表されたかどうかで判断しており
その「他ソース」の検証までには踏み込んでいない点を指摘。
それを何と無しに見にきた人が多ければ多いほど、「多数派の知識」となり「真実」に成り代わってしまう事を
危惧しているという内容ではないのかなぁ?
Wikipediaを見に行っている人は、豆知識や大学の卒論の行数埋めにつかう程度にしか使ってない人が多いだろうし、
Webページを見ている不特定多数の人に、高い認識を求める事自体がナンセンス。
記載・編集側の検証方法について、再考すべしという事じゃないのかな?
Re:Wikipediaに真実を期待する人っているの? (スコア:2, 参考になる)
「スレ主」が何を指しているのかはっきりしないけど、Technology Previewの記事「Wikipedia and the Meaning of Truth [technologyreview.com]」 (Simson L. Garfinkel) は、そんな感じですね。基本的には「中立的な観点」「検証可能性」「独自研究は載せない」の三大方針の有効性を認めて、技術・法律などの分野を中心におおむね上手く機能しているとしながらも、実際問題として機能しない場合もある、と。肩書きになぜか映画監督が加えられたJaron Lanierを例にとって、次のような問題を指摘しています(以下、丸括弧内は私の補足・解釈)。
参照として受け入れられるのは(英語版Wikipediaの場合)英語で書かれてウェブで自由に読めるようなものが多い。また、Wikipediaは信頼できるソース [wikipedia.org]として、まずピアレビューのある大学出版部発行のジャーナルや本、次に大学レベルの教科書、次に信頼されている出版社発行の書籍類、次に主要新聞を挙げているが、同記事の結論ではこの優先順が往々にして逆になることも指摘している。
本人による訂正は方針「Autobiography(自分自身の記事をつくらない)」に阻まれる。三大方針に抵触しやすいし、コミュニティの側としても訂正したのが本人なのか荒らしなのか判断するのが難しい。
実際のところ多くの出版社が事実チェックを全く行っておらず、その多くは書き手に事実か否か確認の電話を入れる程度で済ませている(事実チェックではなく文意チェックに過ぎない)。
Lanierの場合、彼自身が訂正しても当然ながら差し戻されて、彼自身が書いて典拠と認められるようなものは(ハイパー)リンクをたどって検証できない。そのことを彼がEdge誌に寄稿した記事で嘆くと、おそらくはEdge誌も事実チェックをやっているだろうと、やっとのことで訂正された。結局参照はEdge誌のサイトに掲載された同記事 [edge.org](ただし同記事末尾の筆者紹介には今も「Jaron Lanier is a film director.」と書かれていたりする)。その一方で、『ドクター・フー』『スター・トレック』などのフィクションに関するエントリについては(Garfinkel自身そういうものも楽しんでいるとしながらも)「検証可能性」や「独自研究は載せない」がかなり緩くなる。
...で、「簡単にアクセスできて検証しやすく受け入れやすい典拠に流されることについての問題提起」ではないかと思います。以下締めのお言葉。
# と英文の元記事の要約・解説するようなコメントを書くことが度々あるのですが、できれば原文を読むことをお勧めします。私がデタラメを書いているかもしれませんし、検証しないとね。
実例 (スコア:1, 興味深い)
Wikipediaの項目は半保護になるほどの編集合戦があったにもかかわらず、
主人公の名前がいまだに間違ったままです。
これはメーカーのサイトにいきなり誤植があるのも原因のひとつと思われます。
過去の特集ページでは正しいのでリンクを張りなおすときに間違ってそのまま
になっているのでしょうが、それをそのまま引用して、誰も気が付いていない
ようです。
Wikipediaの文章に
「ゲームの内容は知らないが主題歌は知っているという人も多い」
とあるのが、まさにそのまんまじゃないか、という気が。