アカウント名:
パスワード:
こんなコメント [srad.jp]もありましたね。
Wikipediaを引用するマスコミが悪いのか、マスコミを信頼できる情報源とするWikipediaが悪いのか。
これは悪意のある誘導ですな。
前者->マスコミが悪い
後者->マスコミを信頼できる情報源とする->マスコミは信用できない
Wikipediaが本質的に抱える弱さ(ex.責任の所在が不明な不特定多数が編集できること)についての言及をしないと。
まじでやりかねんからなあ(笑)
ペナルティを科すのは視聴者・読者の義務です。ジャーナリズムとは視聴者・読者にとっての耳となり目となるべきものです。問題があると思った報道には意見を返し、改善の見込みが無ければ購読を拒否する、そういう行動を通じて、視聴者・読者が自ら鍛えるべきものです。
ジャーナリズムに限らず、政治などに関しても、鉢の中の金魚のようにただあんぐりと口を開けて、誰かが与えてくれるのを待ってるだけのような人が多いですね。
中途半端に略すなと
マスメディアを信頼できる情報源とできなくて、我々は何を信じたらいいの?
いあ信頼できない現状は重々承知だけど。
「マスコミは信じられない」と言う人間の自説を正しいとする根拠の情報のほとんどが、実はマスコミ由来の情報であるって現実。ネット上での場合、それに極端な思想なり妄想なり欲得なりが含まれて歪みまくっている意見だったりするのが往々だが、それでも自分の好みの解釈を信じる者の多いこと多いこと。
まあ、人間は信じたいものを信じるが故に新聞社は多数存在が出来るし、TVのニュースも各チャンネルで放映してもちゃんと見る人間は居る訳でして。
結局は、「信じるものは救われる」って事だろうけど、それで自分の精神の安寧を得られるのであれば、それはそれで良いのかも。当人の内である限りは。でも、他人に対してそのまま検証無しに行動すると、こんな感じに [afpbb.com]足を掬われると。
私はほとんどなにも信じていませんが、べつに嘘だと思っているわけじゃないですよ。というか、生きていく上で「(~が事実であると)信じる」ことって必要じゃないです。必要なのは、「(何らかの判断を行う上で)十分な蓋然性がある」ということです。
Wikipedia やマスコミ報道のドイツ経済技術相の名前は間違っていたかもしれませんが、私はとくに「マスコミ報道にあるドイツ経済技術相の名前は事実に違いない」と信じていたわけでも、「マスコミ報道にあるドイツ経済技術相の名前は事実かどうか疑わしい」と思っていたわけでもありません。別にそのお名前を口にする予定もないですし。
もちろん、その方と交渉なりしなくてはならないばあいは、それなりに調べますが、その場合もマスコミの報道にある名前をそのまま使うでしょう。なんとなれば、マスコミの報道がそもそも間違っているのなら、その間違ったなまえを私が使っても仕方がない(と思われるに違いない)からです。
これが、よりセンシティブな内容(重大な犯罪歴がある)などということであれば、その情報を使って何か行動や判断を行う際により慎重になります。なるべく、それが真実でも嘘でも大丈夫なような行動を取ろうとするでしょうし、自分自身で様々な裏を取るように努めるでしょう。
つまり、何かを「信じる」必要はなく、その情報の確からしさをその情報の用途に対して十分な程度に判断できればよいということです。
それとも信じなければ異端として火炙りにされるほうがいいのですか
少なくとも信頼性に問題を抱えているWikipediaをマスコミがソースとするのはイカンだろ。どうしても他のソースが見付らない時は「Wikipediaでは・・・」という記述をく付けて注意を促さないと。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward
過去のコメント (スコア:1)
こんなコメント [srad.jp]もありましたね。
Wikipediaを引用するマスコミが悪いのか、マスコミを信頼できる情報源とするWikipediaが悪いのか。
Re:過去のコメント (スコア:2, すばらしい洞察)
これは悪意のある誘導ですな。
前者->マスコミが悪い
後者->マスコミを信頼できる情報源とする->マスコミは信用できない
Wikipediaが本質的に抱える弱さ(ex.責任の所在が不明な不特定多数が編集できること)についての言及をしないと。
たとえば某新聞社の記者が殺人予告を書き込んで自分でそれを記事にするとか (スコア:0)
まじでやりかねんからなあ(笑)
Re: (スコア:0)
信用失墜というほど他の各社も報道しないし、
こそこそと謝罪して終わりだけで、その新聞社自身へのペナルティがないよね。
Re: (スコア:0)
ペナルティを科すのは視聴者・読者の義務です。
ジャーナリズムとは視聴者・読者にとっての耳となり目となるべきものです。
問題があると思った報道には意見を返し、改善の見込みが無ければ購読を拒否する、
そういう行動を通じて、視聴者・読者が自ら鍛えるべきものです。
ジャーナリズムに限らず、政治などに関しても、
鉢の中の金魚のようにただあんぐりと口を開けて、
誰かが与えてくれるのを待ってるだけのような人が多いですね。
Re: (スコア:0)
中途半端に略すなと
Re:過去のコメント (スコア:1, 興味深い)
マスメディアを信頼できる情報源とできなくて、我々は何を信じたらいいの?
いあ信頼できない現状は重々承知だけど。
Re:過去のコメント (スコア:2)
マスメディアの信頼度はせいぜい中程度なのではないかと。
しかも壮絶下降中・・・特に笑えるのが、テレビのテロップ。
アシスタントの基礎学力や常識力が低下しているのか、間違いが多く
アナウンサーがお詫びで時間を浪費して、尻切れトンボになる悪循環。
日本でもありがちな安易なWikipedia引用も、下請けのレベル低下が原因かも。
Re:過去のコメント (スコア:1, すばらしい洞察)
Wikipediaを信用するもよし。
/.を信じるもよし。
巨大掲示板を信じるもよし。
ただ共通していえるのは、鵜呑みにするな、ってこと。
そのための、検証可能性 じゃないの?
自分の身に起きている事象のほかは全て何らかのバイアスが掛かっているのだから、何を信じたらいいの?なんて問いかけ自体がナンセンス。
いろんな情報からより真実に近いであろう結論を自分で判断する力こそがリテラシーだと思う。
Re: (スコア:0)
Re:過去のコメント (スコア:2)
という人の中に、もっと信頼性の怪しい個人や団体の情報源を鵜呑みにしちゃってる人がいるんだよね。
#結局、自分のイデオロギーに合致する情報を選択したいんだと思う。
ん? 俺、今何か言った?
Re: (スコア:0)
「マスコミは信じられない」
と言う人間の自説を正しいとする根拠の情報のほとんどが、実はマスコミ由来の情報であるって現実。
ネット上での場合、それに極端な思想なり妄想なり欲得なりが含まれて歪みまくっている意見だったり
するのが往々だが、それでも自分の好みの解釈を信じる者の多いこと多いこと。
まあ、人間は信じたいものを信じるが故に新聞社は多数存在が出来るし、TVのニュースも各チャンネル
で放映してもちゃんと見る人間は居る訳でして。
結局は、「信じるものは救われる」って事だろうけど、それで自分の精神の安寧を得られるのであれば、それはそれで
良いのかも。当人の内である限りは。
でも、他人に対してそのまま検証無しに行動すると、こんな感じに [afpbb.com]足を掬われると。
Re: (スコア:0)
Re:過去のコメント (スコア:5, 興味深い)
私はほとんどなにも信じていませんが、べつに嘘だと思っているわけじゃないですよ。
というか、生きていく上で「(~が事実であると)信じる」ことって必要じゃないです。
必要なのは、「(何らかの判断を行う上で)十分な蓋然性がある」ということです。
Wikipedia やマスコミ報道のドイツ経済技術相の名前は間違っていたかもしれませんが、
私はとくに「マスコミ報道にあるドイツ経済技術相の名前は事実に違いない」と信じて
いたわけでも、「マスコミ報道にあるドイツ経済技術相の名前は事実かどうか疑わしい」
と思っていたわけでもありません。別にそのお名前を口にする予定もないですし。
もちろん、その方と交渉なりしなくてはならないばあいは、それなりに調べますが、
その場合もマスコミの報道にある名前をそのまま使うでしょう。なんとなれば、
マスコミの報道がそもそも間違っているのなら、その間違ったなまえを私が使っても
仕方がない(と思われるに違いない)からです。
これが、よりセンシティブな内容(重大な犯罪歴がある)などということであれば、
その情報を使って何か行動や判断を行う際により慎重になります。
なるべく、それが真実でも嘘でも大丈夫なような行動を取ろうとするでしょうし、
自分自身で様々な裏を取るように努めるでしょう。
つまり、何かを「信じる」必要はなく、その情報の確からしさをその情報の用途に
対して十分な程度に判断できればよいということです。
Re: (スコア:0)
別に信じる義務はない (スコア:0)
それとも信じなければ異端として火炙りにされるほうがいいのですか
Re: (スコア:0)
少なくとも信頼性に問題を抱えているWikipediaをマスコミがソースとするのはイカンだろ。
どうしても他のソースが見付らない時は「Wikipediaでは・・・」という記述をく付けて注意を促さないと。