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因果関係としては単純な構図でそんな驚くことでもないような。 親が本好き→それを見て真似する子供も本が好きに→本が好きになれば国語も好きになる→好きな教科は成績がいい。
高校以上ならいざ知らず、義務教育レベルの国語なんて苦手な子ってのは本アレルギーなだけなのが大半でしょう。
これが古文とか混じり始めるとあやしくなってきますが。
親が本好き→それを見て真似する子供も本が好きに→本が好きになれば国語も好きになる→好きな教科は成績がいい。
この因果関係(特に「国語も好きになる」の辺り)、妥当性はどれくらいなんですかね?
私の父は本好きで、およそ1時間かかる通勤時間を利用して、週にハードカバー四冊(なぜそんなことが判るかというと、近所にあった公立図書館の貸し出し書籍の枠が一人二冊までで、父は自分と母の分の枠で週に一回借りに行っていたからです)読む人で、私も小学生のときからずっと本読みであり続けましたが、学校の国語の授業はそれほど好きではありませんでした。
特に漢字の書き取りは壊滅的で、できて四割、平均で二割という散々な成績でした(読む方は非常に得意でしたが)。文意を汲み取る問題も、別に好きで読んでるわけでもない文章でそんなこと聞かれてもなぁ、というのが正直な気持ちでした。作文に至っては、まず最初に自分が如何にこうやって文章を書かされることを不本意に思っているか、という愚痴を延々と書き綴り、与えられた主題はその後にちょっとだけ書いて指定枚数を埋めるという嫌な小学生でした。
#これは私の父が、読書は余暇の一つだと考えていて、主にフィクションを読む人だったからなのでしょうか?#哲学書やら自然科学やらのノンフィクションを読む人の子供はこうはならないのかな?
より正確に言えば「嫌いになりにくい」ですね。
義務教育レベルの国語だと「本を読むこと自体が嫌い」であるがために苦手というパターンが往々にしてありますからね。本好きが多い集団と、そうでない集団でそれぞれ国語の成績を平均すれば前者の方が高いのは妥当な結果だと思いますよ。
(統計的にはどうかわからないが、単なる雑談ネタの個別例として)
自分も父母ともフィクションを中心に本をよく読む家庭に育ち、幼稚園くらいから断片的に新聞の見出しとかが読めるようになっていたが、小学校以降の書き取りと作文はひどかった。漢字は勿論、ひらがなまで時々怪しかった。
(かな漢字変換ソフトとテキスト・エディタ様々である。私の場合最初から書けなかったのであってワープロ普及のせいで書けなくなったのではないが、昨今書けない人が増えたお陰で相対的に目立たない普通の人になったw)
ただ、読む方は支障なかったから国語と社会と理科の成績は悪くなかったが…。好きなことしかしない子供だったので算数や英語はひどかったねw(高校以降数学は改善したけど、今でも計算は遅メで英語の会話はひどいw)
活字中毒という感じでそこに文字があるとちょっとした注意書きから電車の吊り広告から何でも読んでしまう。このため、「別に好きで読んでるわけでもない文章」というものが殆どなく、読まないのは読む前から内容が予想できて、かつその内容について面倒や不愉快が予想された場合に限られる。だからテストだろうが教科書だろうが資料集だろうが手にした瞬間から読んでいた。
こういうのが変わってるという自覚はあんまりなかったのだが、大学入試の共通一次試験の現代社会(テキスト量が多いと当時言われていた)で試験時間が30分余るというのは珍しいらしいと気がついて、もしかして自分は標準からかなり外れている?と気付いた。(現代文と現代社会は読むだけで答がわかる試験だから楽でいいじゃんと思っていた。)
で、大人になって交友範囲が広くなってみると世間ではかなりライトな文章を読むのにもかなり努力を要する人もいるらしいと知ってさらに驚いた。あるアニメが好きな友人に原作のラノベ勧めてみたときとかに、ラノベどころか漫画さえ苦手だと言われたり…。(そういや遊びに来た友人が、ハっと気付くと漫画を読みふけってる展開になることが多い「漫画住宅」である私の家にきても彼は漫画読んでたことがなかったっけ…。)
…というか子供の頃は小説読むと画像(の印象)や音声(の印象)が想起できてるのは普通だと思ってたよ。そういえば大学生の頃プログラム書いてる時にオブジェクトの動作イメージ画像(アニメーションつき)が浮かんでるといったら妙な顔されたが…。
初めてプロセス、ストリーム、パイプの話を聞いた時に、黙々とバイト列を喰う芋虫達の画像が浮かんで仕方なかったのが最初。
#まぁ初コンピュータがIPL手入力の紙テープマシン(HITAC-10)だったので#コンピュータ上の減少と物理的な現象を結びつけるような#連想が働きやすかったのかもしれないが。
>本が好きになれば国語も好きになる自分の経験だと、妥当性は全然ないですね。国語は他人の主観を押し付けられるだけだから、読書人間に我慢できるはずない。(成績は上がるだろうが)他の教科の方が妥当性があるような気もする。
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あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
本好きは国語好きになる (スコア:1)
因果関係としては単純な構図でそんな驚くことでもないような。
親が本好き→それを見て真似する子供も本が好きに→本が好きになれば国語も好きになる→好きな教科は成績がいい。
高校以上ならいざ知らず、義務教育レベルの国語なんて苦手な子ってのは本アレルギーなだけなのが大半でしょう。
これが古文とか混じり始めるとあやしくなってきますが。
しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
この因果関係(特に「国語も好きになる」の辺り)、妥当性はどれくらいなんですかね?
私の父は本好きで、およそ1時間かかる通勤時間を利用して、週にハードカバー四冊(なぜそんなことが判るかというと、近所にあった公立図書館の貸し出し書籍の枠が一人二冊までで、父は自分と母の分の枠で週に一回借りに行っていたからです)読む人で、私も小学生のときからずっと本読みであり続けましたが、学校の国語の授業はそれほど好きではありませんでした。
特に漢字の書き取りは壊滅的で、できて四割、平均で二割という散々な成績でした(読む方は非常に得意でしたが)。
文意を汲み取る問題も、別に好きで読んでるわけでもない文章でそんなこと聞かれてもなぁ、というのが正直な気持ちでした。
作文に至っては、まず最初に自分が如何にこうやって文章を書かされることを不本意に思っているか、という愚痴を延々と書き綴り、与えられた主題はその後にちょっとだけ書いて指定枚数を埋めるという嫌な小学生でした。
#これは私の父が、読書は余暇の一つだと考えていて、主にフィクションを読む人だったからなのでしょうか?
#哲学書やら自然科学やらのノンフィクションを読む人の子供はこうはならないのかな?
Re:本好きは国語好きになる (スコア:2, すばらしい洞察)
より正確に言えば「嫌いになりにくい」ですね。
義務教育レベルの国語だと「本を読むこと自体が嫌い」であるがために苦手というパターンが往々にしてありますからね。
本好きが多い集団と、そうでない集団でそれぞれ国語の成績を平均すれば前者の方が高いのは妥当な結果だと思いますよ。
しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
(統計的にはどうかわからないが、単なる雑談ネタの個別例として)
自分も父母ともフィクションを中心に本をよく読む家庭に育ち、
幼稚園くらいから断片的に新聞の見出しとかが読めるようになっていたが、
小学校以降の書き取りと作文はひどかった。
漢字は勿論、ひらがなまで時々怪しかった。
(かな漢字変換ソフトとテキスト・エディタ様々である。
私の場合最初から書けなかったのであってワープロ普及のせいで書けなくなったのではないが、
昨今書けない人が増えたお陰で相対的に目立たない普通の人になったw)
ただ、読む方は支障なかったから国語と社会と理科の成績は悪くなかったが…。
好きなことしかしない子供だったので算数や英語はひどかったねw
(高校以降数学は改善したけど、今でも計算は遅メで英語の会話はひどいw)
活字中毒という感じでそこに文字があるとちょっとした注意書きから電車の吊り広告から
何でも読んでしまう。このため、「別に好きで読んでるわけでもない文章」というものが殆どなく、
読まないのは読む前から内容が予想できて、かつその内容について面倒や不愉快が予想された場合に限られる。
だからテストだろうが教科書だろうが資料集だろうが手にした瞬間から読んでいた。
こういうのが変わってるという自覚はあんまりなかったのだが、
大学入試の共通一次試験の現代社会(テキスト量が多いと当時言われていた)で試験時間が30分余るというのは
珍しいらしいと気がついて、もしかして自分は標準からかなり外れている?と気付いた。
(現代文と現代社会は読むだけで答がわかる試験だから楽でいいじゃんと思っていた。)
で、大人になって交友範囲が広くなってみると世間ではかなりライトな文章を読むのにも
かなり努力を要する人もいるらしいと知ってさらに驚いた。
あるアニメが好きな友人に原作のラノベ勧めてみたときとかに、ラノベどころか漫画さえ苦手だと言われたり…。
(そういや遊びに来た友人が、ハっと気付くと漫画を読みふけってる展開になることが多い「漫画住宅」である私の家にきても彼は
漫画読んでたことがなかったっけ…。)
…というか子供の頃は小説読むと画像(の印象)や音声(の印象)が想起できてるのは普通だと思ってたよ。
そういえば大学生の頃プログラム書いてる時にオブジェクトの動作イメージ画像(アニメーションつき)が
浮かんでるといったら妙な顔されたが…。
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
これはあるが、
> プログラム書いてる時にオブジェクトの動作イメージ画像(アニメーションつき)が
> 浮かんでる
これはないなあ。オブジェクトの参照関係を脳内で描いているときはあるけど。
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
初めてプロセス、ストリーム、パイプの話を聞いた時に、
黙々とバイト列を喰う芋虫達の画像が浮かんで仕方なかったのが最初。
#まぁ初コンピュータがIPL手入力の紙テープマシン(HITAC-10)だったので
#コンピュータ上の減少と物理的な現象を結びつけるような
#連想が働きやすかったのかもしれないが。
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
そういえば、ほとんどのテストで時間が余ってたなぁ
>小説読むと画像(の印象)や音声(の印象)が想起できてる
ああ、これは今でもあります
映画化されたりすると「声が違うっ!」となります
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1, 興味深い)
小学生時代に通っていた塾の先生曰く「本を読んでいるだけでは
読んでいない人よりマシなだけ、考えて読まなければ価値がない」とのこと
その塾の国語の宿題として毎週、小学生の頃はナルニア国物語やガンバの冒険など、
中学になってからは天声人語などを読み大意をまとめるというものが有りました
結果として「考える」能力が身に付き高校・大学と勉強がかなり楽になりました
Re:本好きは国語好きになる (スコア:1)
>本が好きになれば国語も好きになる
自分の経験だと、妥当性は全然ないですね。
国語は他人の主観を押し付けられるだけだから、読書人間に我慢できるはずない。(成績は上がるだろうが)
他の教科の方が妥当性があるような気もする。
the.ACount