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立花隆が「知のソフトウェア」で KJ 法を評して言った「頭の回転の鈍い人が、集団で物を考えるのには向いている」に私も同意しています。紙にわざわざ書き出してそれを並びかえるという作業をなんでわざわざしなければいけないのか、それがとうとう理解できなかった。
が、発想法は人それぞれなので、KJ 法がいいという人がいることは、それはそれでまったくいいのですが、「KJ 法を GUI で実現しました」とか「この新インタフェース技術を KJ 法に応用しました」的な研究が世の中にはゴロゴロしていて、それがどう見ても KJ 法をさらに効率悪くしたものでしかないというのにはまいりました。しかもそいつら、そのツール結局自分達で使ってないんだ。なんというか、研究ネタに困ったら KJ 法を移植する、という文化が一部にはあるらしい。それだけ見ても、KJ 法のありがたみがわかるってもんだよね、とこれは行き過ぎた皮肉。多くの人が現に KJ 法は役に立つとしておりますから (e.g. 上野千鶴子)、世の中に大きな影響を与えた故人には、敬意を表します。
#似たような位置づけにあるのが、「デザインパターン」。
KJ法はどうだか知りませんが、建築の方のパターンは集団での思考の道具としては似たような特性でしょうね。どちらもあまり興味がないのでよく調べていませんが……。
で、翻ってソフトウェアの方のパターンは、当たり前のノウハウを当たり前に共有するための記法です。もし「デザインパターンに書かれていることは当たり前で何も新しくない」という印象を持たれても、それが本来の姿です。パターンに書かれているのは「解法」ではなく「用法」なのですから、解法が斬新でないことを批判しても何にもならなかったり。
建築のパターンの方こそが、ソフトウェアのパターンのモデルだと聞いたことがあります。本質的な話ではないですが、歴史的には。
親コメント含めて、本日発売になった江渡浩一郎著「パターン、Wiki、XP 〜時を超えた創造の原則」をぜひ読んでください。手元にまだ届いていないのですが江渡さんの普段の話の内容からして、多分その辺は詳しく書いてある筈です。
おそらく、元となったアレグザンダーの「パターンランゲージ」(建築・都市設計におけるパターン)がどうして失敗したか、また「デザインパターン」がどのように「パターンランゲージ」を矮小化して解釈しているか、についても書いてあるんじゃないかと。
都市計画専攻です。
おそらく、元となったアレグザンダーの「パターンランゲージ」(建築・都市設計におけるパターン)がどうして失敗したか、
これは、江渡氏から聞かれた内容でしょうか。それともあなたのコメントでしょうか。
パターンランゲージは、日本では幕張ベイタウン以降のUR物件、川越一番街や京都祇園町などでも使われて成功していると言えるかと思います。真鶴町でも導入されましたが、これは微妙な例です。イギリスではCABEの取組みがパターンランゲージに基づいていますし、アメリカのSeasideなどもその部類でしょう。「失敗した」というより、いま広まりつつある、というのが正しいのではないでしょうか。
広まりつつあるなら結構なことですが、それでは何故普及が遅々としたのか、そしてアレグザンダーのコンセプトがそれらの事例で本当にすべて活かされているのかが焦点となるでしょう。
パターンランゲージのコンセプトは、単に都市計画のデザインカタログではなく、施主と建築家との対話を、設計段階から施工を終えるまでずっと維持すること、ワークショップの併設、建築許認可のあり方についてなど、細々としたことまで提案されています。
しかし、真鶴町の事例なんかはまさしく、「心地よい都市のデザインカタログ」としてしか使われていなかったと認識してい
これはあなたの意見ですよね?だいたいわかりました。
つまり、パターンランゲージの価値は、デザインカタログとしてのところにあった、というのが、30年経た現在の結論なんじゃないかなぁと思っている訳です。何人かの建築家の方とお話してみましたが、だいたいそんなところに落ち着くんですよね。パターンランゲージの本質は、建築の専門家以外の人に言語をもたらす、というものですから、建築家には評判はよくないんですよ。都市計画の観点からすると、コルビュジエ大好きな建築家に対抗する手段としてパターンランゲージがある訳ですから。
パターンランゲージが流行って
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
KJ法にはいい思い出がない (スコア:3, 参考になる)
立花隆が「知のソフトウェア」で KJ 法を評して言った「頭の回転の鈍い人が、集団で物を考えるのには向いている」に私も同意しています。紙にわざわざ書き出してそれを並びかえるという作業をなんでわざわざしなければいけないのか、それがとうとう理解できなかった。
が、発想法は人それぞれなので、KJ 法がいいという人がいることは、それはそれでまったくいいのですが、「KJ 法を GUI で実現しました」とか「この新インタフェース技術を KJ 法に応用しました」的な研究が世の中にはゴロゴロしていて、それがどう見ても KJ 法をさらに効率悪くしたものでしかないというのにはまいりました。しかもそいつら、そのツール結局自分達で使ってないんだ。なんというか、研究ネタに困ったら KJ 法を移植する、という文化が一部にはあるらしい。それだけ見ても、KJ 法のありがたみがわかるってもんだよね、とこれは行き過ぎた皮肉。多くの人が現に KJ 法は役に立つとしておりますから (e.g. 上野千鶴子)、世の中に大きな影響を与えた故人には、敬意を表します。
#似たような位置づけにあるのが、「デザインパターン」。
Re: (スコア:1)
KJ法はどうだか知りませんが、建築の方のパターンは集団での思考の道具としては似たような特性でしょうね。どちらもあまり興味がないのでよく調べていませんが……。
で、翻ってソフトウェアの方のパターンは、当たり前のノウハウを当たり前に共有するための記法です。もし「デザインパターンに書かれていることは当たり前で何も新しくない」という印象を持たれても、それが本来の姿です。パターンに書かれているのは「解法」ではなく「用法」なのですから、解法が斬新でないことを批判しても何にもならなかったり。
Re: (スコア:1)
建築のパターンの方こそが、ソフトウェアのパターンのモデルだと聞いたことがあります。
本質的な話ではないですが、歴史的には。
Re: (スコア:1)
親コメント含めて、本日発売になった江渡浩一郎著「パターン、Wiki、XP 〜時を超えた創造の原則」をぜひ読んでください。手元にまだ届いていないのですが江渡さんの普段の話の内容からして、多分その辺は詳しく書いてある筈です。
おそらく、元となったアレグザンダーの「パターンランゲージ」(建築・都市設計におけるパターン)がどうして失敗したか、また「デザインパターン」がどのように「パターンランゲージ」を矮小化して解釈しているか、についても書いてあるんじゃないかと。
Re: (スコア:2)
都市計画専攻です。
おそらく、元となったアレグザンダーの「パターンランゲージ」(建築・都市設計におけるパターン)がどうして失敗したか、
これは、江渡氏から聞かれた内容でしょうか。それともあなたのコメントでしょうか。
パターンランゲージは、日本では幕張ベイタウン以降のUR物件、川越一番街や京都祇園町などでも使われて成功していると言えるかと思います。真鶴町でも導入されましたが、これは微妙な例です。イギリスではCABEの取組みがパターンランゲージに基づいていますし、アメリカのSeasideなどもその部類でしょう。「失敗した」というより、いま広まりつつある、というのが正しいのではないでしょうか。
Re: (スコア:1)
広まりつつあるなら結構なことですが、それでは何故普及が遅々としたのか、そしてアレグザンダーのコンセプトがそれらの事例で本当にすべて活かされているのかが焦点となるでしょう。
パターンランゲージのコンセプトは、単に都市計画のデザインカタログではなく、施主と建築家との対話を、設計段階から施工を終えるまでずっと維持すること、ワークショップの併設、建築許認可のあり方についてなど、細々としたことまで提案されています。
しかし、真鶴町の事例なんかはまさしく、「心地よい都市のデザインカタログ」としてしか使われていなかったと認識してい
Re: (スコア:0)
これはあなたの意見ですよね?だいたいわかりました。
つまり、パターンランゲージの価値は、デザインカタログとしてのところにあった、というのが、30年経た現在の結論なんじゃないかなぁと思っている訳です。何人かの建築家の方とお話してみましたが、だいたいそんなところに落ち着くんですよね。
パターンランゲージの本質は、建築の専門家以外の人に言語をもたらす、というものですから、建築家には評判はよくないんですよ。都市計画の観点からすると、コルビュジエ大好きな建築家に対抗する手段としてパターンランゲージがある訳ですから。
パターンランゲージが流行って
Re:KJ法にはいい思い出がない (スコア:2)