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所詮、崇拝されているといっても、人間の都合で勝手に首をすげ替えられる、その程度の存在ってことなんだな。
そして、それに著作権侵害が認められるってことは、ただの人間の作品を有り難がって祈っていると裁判所にも認められたわけだ。
その程度のモノが本当に人間を助けることができるのかよく考えてみたほうがいいと思ったね。
像そのものは崇拝の対象じゃなくて、媒介だと思いますよ。だから、人間の都合で好き勝手に(「崇拝する気分」が高まるように)デザインできるのは当然、どころかそうあるべきです。
原作者の(作った時の)気分を無視して、他人が作り替えるのはけしからん。でも新しい方が、今の人には人気がある。じゃあどうするかを決めるのに裁判っていう手段を選んだので、著作権という法的権利を云々することになったわけですよね。
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崇拝の対象に著作権侵害? (スコア:2, すばらしい洞察)
所詮、崇拝されているといっても、
人間の都合で勝手に首をすげ替えられる、
その程度の存在ってことなんだな。
そして、それに著作権侵害が認められるってことは、
ただの人間の作品を有り難がって祈っていると
裁判所にも認められたわけだ。
その程度のモノが本当に人間を助けることができるのか
よく考えてみたほうがいいと思ったね。
Re:崇拝の対象に著作権侵害? (スコア:3, すばらしい洞察)
像そのものは崇拝の対象じゃなくて、媒介だと思いますよ。
だから、人間の都合で好き勝手に(「崇拝する気分」が高まるように)デザインできるのは当然、どころかそうあるべきです。
原作者の(作った時の)気分を無視して、他人が作り替えるのはけしからん。でも新しい方が、今の人には人気がある。
じゃあどうするかを決めるのに裁判っていう手段を選んだので、著作権という法的権利を云々することになったわけですよね。