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化学は経験則の塊です。地学にしても生物にしても。
現代的な意味では物理学を基礎とする学問だけが「科学」的と言えます。(数学を基礎とすると言い換えた方が良いかもしれませんが)
この世のあらゆる現象は素粒子が4つの力(電磁力,重力,強い力,弱い力)を介した相互作用で成り立っているので,原理的にはどんな学問も(極端に言えば政治や経済も)「物理現象」と言えるかもしれません.しかし,そこまで現象を細分化してしまうと,却って現象が見えなくなってしまうので,一般に化学は原子が壊れるところまでは考えないし,生物学も糖や蛋白やDNAを最小単位とします.
つまり,「この世の現象は全て物理現象といえるが,物理以外の専門分野はそこまで基本要素に還元する必要が無い」ということなのではないでしょうか.
それを「科学的でない」というのは極論に思えます.
一方,私の定義では,「物理とは物理量を扱う学問」で,物理量とは「基準があり,大きさが基準との比較で決定できる量」です.その意味では,数学を基礎としない学問は少なくとも物理学にはなり得ないと思います.
「客観的な観測に基づく論理的な記述を構築していく」ことが科学であって、分野は問わないと思うけど。
>客観的な観測に基づく論理的な記述を構築していく
それはどちらかというと科学の方法論ではなくてモラルかと思いますが。しかもどちらかというと古典的です。
どうにもこうにも「観測」「観測」と錦の御旗のように言う人が多いですが、おそらく観測・実験したことがあればそれほど単純に言えないと思います。
現実問題として、観測データーを解釈する際にはある理論・モデルの元で考え・解析します。実験的な事実というのは実は正しいわけではないのです。
そのモデル式や、無理矢理当てはめようとするモデルが間違っていれば実験事実はゆがめて理解される。データーとして手元に残る数値は前提としてあるモデルの元で解析された結果ですので解析に使う理論が間違っていれば事実は間違って「観測」されます。
一般的には、観測事実そのものが実はある理論に基づいているのが現実です。ですので理論と実験とは「同時」に構築し直して初めて意味を持ちます。その意味では、あえて極端に言えば、客観的な観測事実には基づいてはいません。客観的な観測事実を知ることはそれほど簡単ではなくて、論理的な記述と観測が「同時」にあることが大切です。
観測-->理論
ではなく、これらは
観測=理論
と等価です。忘れてはいけないことは観測は理論に基づいていることです。
ですので、現場としての研究開発の最前線では、モデルや分類そのものを疑い再構築することが非常に大切で、錦の御旗のように「観測に基づく」といっていると観測データーを「事実」とする段階で、大抵はドツボにはまります。大抵の観測・実験には目的があり、目的となるモデルに当てはめようとするのが人間ですので。
理論屋は理論で冒険しすぎて、実験屋は解析する理論を疑わずにこれは実験事実なのでこのように解釈できると言うだけ。何度も言いますが、観測・実験は、最初からモデル解釈ありきです。
ちょっと極論ですが、最初からモデル・分類分けの色が強さが、学問のレイヤーの違いだの要素の一つだと思います。上イレイヤ(物理->化学->生物・地学)といくほどモデル色(経験色)が強い。これはある種の事実は端的にとらえているかと思います。そしてそういったモデル・分類的な要素はある意味、それは物事の本質を見失いがちですし、理解も薄いです。(逆にそのモデルの範疇では理解は進みますが)。ブレイクスルーは生まれにくいです。たとえば、化学屋の化学と物理屋の化学はデーターの解釈から考え方、注目する点まで多く異なりますので。
無論、物事の解釈において(人間の言葉にダウングレードする段階で)モデル化による単純な考え方は大事です。自然はシンプルであるというのは基本的な哲学の一つですので。ただモデル自体の妥当性はモデルの中にいる限りは検証しにくいですし、発展しにくいです。化学が物理によってからを打ち破り大きく発展したように、他のレイヤーからの理論の輸入はその学問領域の発展に大きな効果をもたらします。
最近はそういった意味で、統一的な理論解釈によって多くの問題が理解され・検証されてます。すくなくとも相対論的量子力学のレベルからは化学は理解され直している最中です。経済だって、非平衡物理の一つとして理解されようとすすめられてます。(統計物理はある意味もっとも確からしい理論であるので)
無論、我々は
"more is different"
を忘れてはいけませんが。
物理学や化学、その他の科学にとって、数学は道具に過ぎないし、実際に道具として利用される数学の領域も、それほど広いわけではないと思います。(主に解析系の領域が利用されていて、数論なんはそれほどでもない)
ですから、「数学を基礎とする」は違和感があります。やはり、「観測と実験を基礎とする」のが科学であって、数学はその意味では科学といっていいか微妙な位置ではないかと。
どれも科学だけど粒度がちがうだけでしょ。
わかりにくく例えれば、物理学はアセンブリ言語、化学はC言語、生物学はC++/CLI言語みたいなものでは。
そういうわけで、別の物理法則を持つ別の宇宙にも、きっと我々のような情報処理をする生物がいるにちがいない。
経験的パラメータにべったりな標準模型さんディスってんの?
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
理工系離れ (スコア:0)
化学の履修ではダメですか?
Re:理工系離れ (スコア:0)
化学は経験則の塊です。
地学にしても生物にしても。
現代的な意味では物理学を基礎とする学問だけが「科学」的と言えます。
(数学を基礎とすると言い換えた方が良いかもしれませんが)
Re:理工系離れ (スコア:2)
この世のあらゆる現象は素粒子が4つの力(電磁力,重力,強い力,弱い力)を介した
相互作用で成り立っているので,原理的にはどんな学問も(極端に言えば政治や
経済も)「物理現象」と言えるかもしれません.しかし,そこまで現象を細分化してしまうと,
却って現象が見えなくなってしまうので,一般に化学は原子が壊れるところまでは
考えないし,生物学も糖や蛋白やDNAを最小単位とします.
つまり,「この世の現象は全て物理現象といえるが,物理以外の専門分野は
そこまで基本要素に還元する必要が無い」ということなのではないでしょうか.
それを「科学的でない」というのは極論に思えます.
一方,私の定義では,「物理とは物理量を扱う学問」で,物理量とは「基準があり,
大きさが基準との比較で決定できる量」です.その意味では,数学を基礎としない
学問は少なくとも物理学にはなり得ないと思います.
Re:理工系離れ (スコア:1)
「客観的な観測に基づく論理的な記述を構築していく」ことが科学であって、分野は問わないと思うけど。
Re:理工系離れ (スコア:1)
>客観的な観測に基づく論理的な記述を構築していく
それはどちらかというと科学の方法論ではなくてモラルかと思いますが。
しかもどちらかというと古典的です。
どうにもこうにも「観測」「観測」と錦の御旗のように言う人が多いですが、
おそらく観測・実験したことがあればそれほど単純に言えないと思います。
現実問題として、観測データーを解釈する際にはある理論・モデルの元で考え・解析します。
実験的な事実というのは実は正しいわけではないのです。
そのモデル式や、無理矢理当てはめようとするモデルが間違っていれば実験事実はゆがめて理解される。データーとして手元に残る数値は前提としてあるモデルの元で解析された結果ですので解析に使う理論が間違っていれば事実は間違って「観測」されます。
一般的には、観測事実そのものが実はある理論に基づいているのが現実です。ですので理論と実験とは「同時」に構築し直して初めて意味を持ちます。その意味では、あえて極端に言えば、客観的な観測事実には基づいてはいません。客観的な観測事実を知ることはそれほど簡単ではなくて、論理的な記述と観測が「同時」にあることが大切です。
観測-->理論
ではなく、これらは
観測=理論
と等価です。忘れてはいけないことは観測は理論に基づいていることです。
ですので、現場としての研究開発の最前線では、モデルや分類そのものを疑い再構築することが非常に大切で、錦の御旗のように「観測に基づく」といっていると観測データーを「事実」とする段階で、大抵はドツボにはまります。大抵の観測・実験には目的があり、目的となるモデルに当てはめようとするのが人間ですので。
理論屋は理論で冒険しすぎて、実験屋は解析する理論を疑わずにこれは実験事実なのでこのように解釈できると言うだけ。何度も言いますが、観測・実験は、最初からモデル解釈ありきです。
ちょっと極論ですが、最初からモデル・分類分けの色が強さが、学問のレイヤーの違いだの要素の一つだと思います。上イレイヤ(物理->化学->生物・地学)といくほどモデル色(経験色)が強い。これはある種の事実は端的にとらえているかと思います。そしてそういったモデル・分類的な要素はある意味、それは物事の本質を見失いがちですし、理解も薄いです。(逆にそのモデルの範疇では理解は進みますが)。ブレイクスルーは生まれにくいです。たとえば、化学屋の化学と物理屋の化学はデーターの解釈から考え方、注目する点まで多く異なりますので。
無論、物事の解釈において(人間の言葉にダウングレードする段階で)モデル化による単純な考え方は大事です。自然はシンプルであるというのは基本的な哲学の一つですので。ただモデル自体の妥当性はモデルの中にいる限りは検証しにくいですし、発展しにくいです。化学が物理によってからを打ち破り大きく発展したように、他のレイヤーからの理論の輸入はその学問領域の発展に大きな効果をもたらします。
最近はそういった意味で、統一的な理論解釈によって多くの問題が理解され・検証されてます。すくなくとも相対論的量子力学のレベルからは化学は理解され直している最中です。経済だって、非平衡物理の一つとして理解されようとすすめられてます。(統計物理はある意味もっとも確からしい理論であるので)
無論、我々は
"more is different"
を忘れてはいけませんが。
Re:理工系離れ (スコア:1)
物理学や化学、その他の科学にとって、数学は道具に過ぎないし、
実際に道具として利用される数学の領域も、それほど広いわけではないと思います。
(主に解析系の領域が利用されていて、数論なんはそれほどでもない)
ですから、「数学を基礎とする」は違和感があります。
やはり、「観測と実験を基礎とする」のが科学であって、
数学はその意味では科学といっていいか微妙な位置ではないかと。
Re:理工系離れ (スコア:1)
どれも科学だけど粒度がちがうだけでしょ。
わかりにくく例えれば、物理学はアセンブリ言語、化学はC言語、生物学はC++/CLI言語みたいなものでは。
そういうわけで、別の物理法則を持つ別の宇宙にも、きっと我々のような情報処理をする生物がいるにちがいない。
Re: (スコア:0)
経験的パラメータにべったりな標準模型さんディスってんの?