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日本の若いオタクにそんな傾向あるのか?
なあ、むしろ自分を卑下してるような奴らが多い気がするなあ。
他人に気を遣えないという点では、傲慢と言っていいと思う。自分を卑下していても、自分しか見ていない。
自己中なんだけど、それを表現できればジャイアン、リア充。さらに、内省的こみゅ賞だとオタ。
ヲタクは社会と接する時、ちゃんと「馬鹿でも」わかるように説明しようとするんです。それでも理解できなくて「あいつらはコミュ障だ」理解できるけど馬鹿にされた気がして「あいつらは傲慢だ」どうしろと。
齋藤孝さんは「コミュニケーション力」という著者の中で、コミュニケーションは、情報と「感情」をやり取りすることであると定義していました。
オタクの方は、感情の部分のやり取りに慣れてないのかな、と感じることがあります。卑近な例では、「他人の感情」を認めたり、「自分と合わない感情」を放っておくことが無性にできないという印象があります。
言い換えれば、「感情論」を認められないということでしょうか。
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アメリカだけの話だろ? (スコア:0)
日本の若いオタクにそんな傾向あるのか?
Re: (スコア:0)
なあ、むしろ自分を卑下してるような奴らが多い気がするなあ。
Re: (スコア:1)
他人に気を遣えないという点では、傲慢と言っていいと思う。
自分を卑下していても、自分しか見ていない。
自己中なんだけど、それを表現できればジャイアン、リア充。
さらに、内省的こみゅ賞だとオタ。
Re: (スコア:1)
ヲタクは社会と接する時、ちゃんと「馬鹿でも」わかるように説明しようとするんです。
それでも理解できなくて「あいつらはコミュ障だ」
理解できるけど馬鹿にされた気がして「あいつらは傲慢だ」
どうしろと。
Re:アメリカだけの話だろ? (スコア:3, 興味深い)
齋藤孝さんは「コミュニケーション力」という著者の中で、
コミュニケーションは、情報と「感情」をやり取りすることである
と定義していました。
オタクの方は、感情の部分のやり取りに慣れてないのかな、と感じることがあります。
卑近な例では、「他人の感情」を認めたり、「自分と合わない感情」を放っておくことが
無性にできないという印象があります。
言い換えれば、「感情論」を認められないということでしょうか。