アカウント名:
パスワード:
大蔵出版は宗教系の大全集など、宗教の研究などに置いて基礎的な資料を整備・出版なさっています。今のように情報技術が発達する前は、彼らのような存在がいなければこれらの資料は集める事が難しかったでしょう。書籍という形にするために、フィルムを用いた転写など当時としては最先端の技術を用いられた旨、非常によくわかります。
が
はっきり言ってすでに今となっては、その役割は終えたと言わざるを得ません。今同じように全集を作ろうとなったとき、まず真っ先に上がるのはデジタルアーカイブでしょう。コストは大幅に下がっています。印刷物に耐える以上の品質でデジタル化も可能です。またコストが下がったため、商業的に販売した益がなければ不可能とせず、博物館や図書館といった公共の研究機関が予算を増やす程度で可能になり、公共機関がデジタルライブラリを作るために公共のお金を使うことに対する理解も進んでいます。あるいは場合によっては個人でも高品質なものが可能になりつつあります。
大蔵出版さんも、戦後苦労して復刊したという思いもあるのでしょうが、その原本もそれ以前の人間が書き写してきたものです。以前は木管だったものを技術革新で紙にしたため、その内容は広く伝わりました。とはいえそれは手書きで書き写すしかありませんでしたが、印刷という技術革新が現れ、さらに出版流通網の発達で、多くの人により安価に広まるようになりました。大蔵出版さんもその1人で新たな技術で焼き直したに過ぎないのでは無いのですか。手書きで書き写し伝承してきた人々は、あなたのように「よりあたらしい技術で安価に出回らせるのは問題である。権利は我にある」と言うでしょうか。木管から紙に移るとき、だれかがそう行ってその流れを止めたら、あなたはそれを見ることができていたのでしょうか?みな、巨人の肩の上に立っているわけです。自らは巨人の肩の上に立って、先人が築いた礎を利用してより遠くを見ているのに、これから先の人々はそれを制限すべきなんでしょうか。
印刷の次の技術革新が来たのです。かつて木管だったものが紙にになり、印刷になり、活版・銅版になり、フィルムになり、プロダクションコストが大幅に下がって今はデジタルになった、その流れの一つです。それを受け入れるべきだった。時の流れの中でもまれてそうして生き残ってきた偉大な知識に対してはそう接するのが正しいのではないですか。
同感ですね。
著作権が切れたときの事は確定事項で予見できていたわけですし、デジタル化の波が訪れることも、それほど高度でもない程度の見識があれば予測できたとも言えます。
彼ら出版社や書店が、著作者の作ったものを、その時代の先端技術で印刷し、流通していた立場の者であることを考えますと、その次の世代の出版や流通、著作権の切れたものをその後もいかに売るか、もっともっと先取りをしているべきだったと思えます。
彼らが今の立場に甘んじると、聖書の翻訳や印刷を頑なに拒み続けていた、かつてのカトリックのような誹りを受ける可能性もあります。
>聖書の翻訳や印刷を頑なに拒み続けていた、かつてのカトリックのような誹りを受ける可能性もあります。
出家者個人の解脱のみを目標とする密儀秘教的宗教ならともかく、在家の衆生も救済しようという大乗仏典ですからねぇ。
肩を持つつもりでもないけど、
「予測する」のと「その予測が現実になると確信を持てる」というのは大きく異なりますので。
デジタル化の波に乗れない人々を端的に非難するのはいかがなものかと。消費者として「予想できたはずだ」と非難するのは簡単ですけど、まぁ、実際経営者の立場だったら、その流れに乗って成功していくのは、ほとんどの場合無理でしょう。
現状を批判するのは良いですが、過去にさかのぼって「予想は簡単だったはずだ」。では話になりません。
あなたに出来ますか?>出来ないからスラドでコメント書く人材なんでしょうけど。簡単ならば、自ら成功して証
> あなたに出来ますか?>出来ないからスラドでコメント書く人材なんでしょうけど。> 簡単ならば、自ら成功して証明してください。
「出来ないからスラドでコメント書く人材」という表現が着火欲求有りに見えます。表現は気を付けた方がよろしいかと思います。
簡単などとは一言も言ってません。ただ、出版業を生業としているなら、自分の業界の先について、確定的事実(著作権切れ)といくつかの不確定ながら起こりうる事象(デジタル化の波)について対策するのがリスクマネージメントではないか?思ったので書きました。素人の私よりは感度が高いはずです。素人並みだったなら、素人に喰われると言う事です。
大体、青空文庫ですらスタートから15年です。新聞と同レベルの記事がネットで読めるようになってもう10年ほどです。Kindle発売から5年です。電子化の波など昔に訪れているのです。
出版業に居ながら、これを座視しているのみだった。著作権についても無知は許されない立場で著作権切れに何の対策も無し。それは、他所に喰われても文句を言えません。彼らの持つ唯一の有利は、もっとも品質のいい原版を所持している事だけです。
私に関する証明ですが、私は自分の働く業界については20年以上にわたって真っ当にやってきております。あと20年間、この業界(あるいはその先に継続する業界)でやっていくための最大の努力を払っています。自分のいる業界の事くらいは、自衛できる程度の先見性は持って居るから今ここに居るのだと考えております。その意味では成功してます。・・・と、知人ならこの説明で私の言う事を理解しますが、ハンドル名と名無しでやり取りする間柄ではここまでです。(証明してっていわれてもなぁ・・・ここで何をどうやって?)
選択のまずさが明暗を分けることはあるでしょうが、それにしてもプロとしてあるまじき怠慢と無策を見せておいて、国会図書館で電子化公開することを渋る点には納得がいきません。
とはいえ、件の出版社。自社の出版物に対する熱意など、これまでの功績について非はないともちろん思います。問題は、対策がおろそかだったと言うだけで。ですので、私も彼らには「お疲れ様でした」と言いたいです。現段階から著作権が切れていても売れる方向に転身できたら、凄いと思います。そのときは改めて賞賛すると思います。
デジタル化は別として、「著作権が切れるのは確定時効」なんだから、著作権がきれれば「別の出版社が出版する可能性」位は予見できて当たり前。それがデジタル化どうかは大した差じゃない。
青空文庫に収蔵されるのは構わないそうなので、ぜひ青空にはがんばってほしいところ。
青空文庫なら構わないとか言う権利自体なさそうですけどね。
(弊社の出版物が登録されていない)青空文庫のようなデジタル化にどうこう言うものではない
だよねこのハゲが言ってるのは。
> 「予測する」のと「その予測が現実になると確信を持てる」> というのは大きく異なりますので。
「法で定められた期間を過ぎれば著作権が切れて他社も個人も出版可能になる」は、これまでにも多くの出版社が経験してきた事柄なので、「予測」ですらなく、出版社にとっては確信が持てる「予定」です。
> デジタル化の波に乗れない人々を端的に非難するのはいかがなものかと。
著作権切れに関してはデジタル化は全然関係無いですし、 (#2407885) は同業他社がその場合にどの様に対応して商売を続けているかを示唆したアドバイスであり、明らかに「非難」ではありません。読解力の問題ではないかと。
今でも資格のない者の出版と、翻訳を拒んでいる大宗教があるんじゃ?
木管じゃなくて木簡ですよ、というのはさておいて、あらゆる寺院にネット環境があるという仮定がそもそも間違いでは?とりもなおさず仏教は"密教"や"秘仏"にまつわる秘密主義がないわけでもないんだから、「紙媒体はいいけどネットで読めるようにするのはダメ!」と主張する方が居てもおかしくないのでは。#非許諾同人誌アップロードやキンタマウィルスのように、データ化することによる「紙媒体以上に情報の劣化が起きることなく分散する」というデメリットは特に「建前は衆生救済、本音は寺院維持」が多い宗教と相性が悪いと思う
ただ、この手の出版社による仏典は少なからず高額なものがあるので、アーカイブ化は単に銭の回収ができなくなるとゴネている可能性もあるんですよねぇ。(例えば貝葉書院手摺りの般若心経600巻は紙質により600万を超える物もある…檀家制度があるとはいえ、新しく寺院を建てる際にこういうのがいくらかさむかと考えると…)
>「紙媒体はいいけどネットで読めるようにするのはダメ!」と主張する方が居てもおかしくないのでは。
ここで問題としている著作権とは、性格が違うよね。出版権?を持っている人でも、契約上?道義上?は「コピーできないような細工をしたデジタル化」もできないのだから。
そうだね、でも木簡じゃないかな。#一発だけなら誤字かもしれないと思ったが
ATOKがわるいんです。
#本当は頭が悪いのでAC
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
192.168.0.1は、私が使っている IPアドレスですので勝手に使わないでください --- ある通りすがり
かつては価値があった。今はお疲れ様と言うべき (スコア:5, すばらしい洞察)
大蔵出版は宗教系の大全集など、宗教の研究などに置いて基礎的な資料を整備・出版なさっています。
今のように情報技術が発達する前は、彼らのような存在がいなければこれらの資料は集める事が難しかったでしょう。書籍という形にするために、フィルムを用いた転写など当時としては最先端の技術を用いられた旨、非常によくわかります。
が
はっきり言ってすでに今となっては、その役割は終えたと言わざるを得ません。
今同じように全集を作ろうとなったとき、まず真っ先に上がるのはデジタルアーカイブでしょう。コストは大幅に下がっています。印刷物に耐える以上の品質でデジタル化も可能です。またコストが下がったため、商業的に販売した益がなければ不可能とせず、博物館や図書館といった公共の研究機関が予算を増やす程度で可能になり、公共機関がデジタルライブラリを作るために公共のお金を使うことに対する理解も進んでいます。あるいは場合によっては個人でも高品質なものが可能になりつつあります。
大蔵出版さんも、戦後苦労して復刊したという思いもあるのでしょうが、その原本もそれ以前の人間が書き写してきたものです。以前は木管だったものを技術革新で紙にしたため、その内容は広く伝わりました。とはいえそれは手書きで書き写すしかありませんでしたが、印刷という技術革新が現れ、さらに出版流通網の発達で、多くの人により安価に広まるようになりました。大蔵出版さんもその1人で新たな技術で焼き直したに過ぎないのでは無いのですか。
手書きで書き写し伝承してきた人々は、あなたのように「よりあたらしい技術で安価に出回らせるのは問題である。権利は我にある」と言うでしょうか。木管から紙に移るとき、だれかがそう行ってその流れを止めたら、あなたはそれを見ることができていたのでしょうか?
みな、巨人の肩の上に立っているわけです。自らは巨人の肩の上に立って、先人が築いた礎を利用してより遠くを見ているのに、これから先の人々はそれを制限すべきなんでしょうか。
印刷の次の技術革新が来たのです。かつて木管だったものが紙にになり、印刷になり、活版・銅版になり、フィルムになり、プロダクションコストが大幅に下がって今はデジタルになった、その流れの一つです。
それを受け入れるべきだった。時の流れの中でもまれてそうして生き残ってきた偉大な知識に対してはそう接するのが正しいのではないですか。
Re:かつては価値があった。今はお疲れ様と言うべき (スコア:5, すばらしい洞察)
同感ですね。
著作権が切れたときの事は確定事項で予見できていたわけですし、
デジタル化の波が訪れることも、それほど高度でもない程度の見識があれば予測できたとも言えます。
彼ら出版社や書店が、著作者の作ったものを、その時代の先端技術で印刷し、流通していた立場の者であることを考えますと、その次の世代の出版や流通、著作権の切れたものをその後もいかに売るか、もっともっと先取りをしているべきだったと思えます。
彼らが今の立場に甘んじると、聖書の翻訳や印刷を頑なに拒み続けていた、かつてのカトリックのような誹りを受ける可能性もあります。
Re: (スコア:0)
>聖書の翻訳や印刷を頑なに拒み続けていた、かつてのカトリックのような誹りを受ける可能性もあります。
出家者個人の解脱のみを目標とする密儀秘教的宗教ならともかく、在家の衆生も救済しようという大乗仏典ですからねぇ。
Re: (スコア:0)
肩を持つつもりでもないけど、
「予測する」のと「その予測が現実になると確信を持てる」
というのは大きく異なりますので。
デジタル化の波に乗れない人々を端的に非難するのはいかがなものかと。
消費者として「予想できたはずだ」と非難するのは簡単ですけど、
まぁ、実際経営者の立場だったら、その流れに乗って成功していくのは、ほとんどの場合無理でしょう。
現状を批判するのは良いですが、過去にさかのぼって「予想は簡単だったはずだ」。
では話になりません。
あなたに出来ますか?>出来ないからスラドでコメント書く人材なんでしょうけど。
簡単ならば、自ら成功して証
Re:かつては価値があった。今はお疲れ様と言うべき (スコア:5, 興味深い)
> あなたに出来ますか?>出来ないからスラドでコメント書く人材なんでしょうけど。
> 簡単ならば、自ら成功して証明してください。
「出来ないからスラドでコメント書く人材」という表現が着火欲求有りに見えます。
表現は気を付けた方がよろしいかと思います。
簡単などとは一言も言ってません。
ただ、出版業を生業としているなら、自分の業界の先について、確定的事実(著作権切れ)といくつかの不確定ながら起こりうる事象(デジタル化の波)について対策するのがリスクマネージメントではないか?思ったので書きました。
素人の私よりは感度が高いはずです。素人並みだったなら、素人に喰われると言う事です。
大体、
青空文庫ですらスタートから15年です。
新聞と同レベルの記事がネットで読めるようになってもう10年ほどです。
Kindle発売から5年です。
電子化の波など昔に訪れているのです。
出版業に居ながら、これを座視しているのみだった。
著作権についても無知は許されない立場で著作権切れに何の対策も無し。
それは、他所に喰われても文句を言えません。
彼らの持つ唯一の有利は、もっとも品質のいい原版を所持している事だけです。
私に関する証明ですが、私は自分の働く業界については20年以上にわたって真っ当にやってきております。あと20年間、この業界(あるいはその先に継続する業界)でやっていくための最大の努力を払っています。
自分のいる業界の事くらいは、自衛できる程度の先見性は持って居るから今ここに居るのだと考えております。その意味では成功してます。
・・・と、知人ならこの説明で私の言う事を理解しますが、ハンドル名と名無しでやり取りする間柄ではここまでです。(証明してっていわれてもなぁ・・・ここで何をどうやって?)
選択のまずさが明暗を分けることはあるでしょうが、それにしてもプロとしてあるまじき怠慢と無策を見せておいて、国会図書館で電子化公開することを渋る点には納得がいきません。
とはいえ、件の出版社。自社の出版物に対する熱意など、これまでの功績について非はないともちろん思います。
問題は、対策がおろそかだったと言うだけで。
ですので、私も彼らには「お疲れ様でした」と言いたいです。
現段階から著作権が切れていても売れる方向に転身できたら、凄いと思います。
そのときは改めて賞賛すると思います。
Re: (スコア:0)
デジタル化は別として、
「著作権が切れるのは確定時効」
なんだから、著作権がきれれば
「別の出版社が出版する可能性」
位は予見できて当たり前。それがデジタル化どうかは大した差じゃない。
Re:かつては価値があった。今はお疲れ様と言うべき (スコア:2)
青空文庫に収蔵されるのは構わないそうなので、ぜひ青空にはがんばってほしいところ。
Re: (スコア:0)
青空文庫なら構わないとか言う権利自体なさそうですけどね。
Re: (スコア:0)
(弊社の出版物が登録されていない)青空文庫のようなデジタル化にどうこう言うものではない
だよねこのハゲが言ってるのは。
Re: (スコア:0)
> 「予測する」のと「その予測が現実になると確信を持てる」
> というのは大きく異なりますので。
「法で定められた期間を過ぎれば著作権が切れて他社も個人も出版可能になる」は、
これまでにも多くの出版社が経験してきた事柄なので、
「予測」ですらなく、出版社にとっては確信が持てる「予定」です。
> デジタル化の波に乗れない人々を端的に非難するのはいかがなものかと。
著作権切れに関してはデジタル化は全然関係無いですし、
(#2407885) は同業他社がその場合にどの様に対応して商売を続けているかを示唆したアドバイスであり、
明らかに「非難」ではありません。読解力の問題ではないかと。
Re: (スコア:0)
彼らが今の立場に甘んじると、聖書の翻訳や印刷を頑なに拒み続けていた、かつてのカトリックのような誹りを受ける可能性もあります。
今でも資格のない者の出版と、翻訳を拒んでいる大宗教があるんじゃ?
Re:かつては価値があった。今はお疲れ様と言うべき (スコア:1)
木管じゃなくて木簡ですよ、というのはさておいて、あらゆる寺院にネット環境があるという仮定がそもそも間違いでは?
とりもなおさず仏教は"密教"や"秘仏"にまつわる秘密主義がないわけでもないんだから、「紙媒体はいいけどネットで読めるようにするのはダメ!」と主張する方が居てもおかしくないのでは。
#非許諾同人誌アップロードやキンタマウィルスのように、データ化することによる「紙媒体以上に情報の劣化が起きることなく分散する」というデメリットは特に「建前は衆生救済、本音は寺院維持」が多い宗教と相性が悪いと思う
ただ、この手の出版社による仏典は少なからず高額なものがあるので、アーカイブ化は単に銭の回収ができなくなるとゴネている可能性もあるんですよねぇ。
(例えば貝葉書院手摺りの般若心経600巻は紙質により600万を超える物もある…檀家制度があるとはいえ、新しく寺院を建てる際にこういうのがいくらかさむかと考えると…)
Re: (スコア:0)
>「紙媒体はいいけどネットで読めるようにするのはダメ!」と主張する方が居てもおかしくないのでは。
ここで問題としている著作権とは、性格が違うよね。
出版権?を持っている人でも、契約上?道義上?は「コピーできないような細工をしたデジタル化」もできないのだから。
Re: (スコア:0)
そうだね、でも
木簡じゃないかな。
#一発だけなら誤字かもしれないと思ったが
Re: (スコア:0)
ATOKがわるいんです。
#本当は頭が悪いのでAC