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同性婚が絶対正義でもなかろうに、そんな批判の仕方をせんでもよかろう。
「開放とエンパワーメント」を絶対と認めるのなら、他の制限の撤廃にも賛成できるかどうか考えてみるといい。例えば、重婚を認めるか? 複数婚を認めるか? そもそも結婚などと言う制度で人の自由を縛ることはどうなのか?
それらすべてを自由化するというラジカルな立場でないのなら、「開放とエンパワーメント」を批判の理由にすべきではない。
一方、同性婚が社会一般に認められてきたので、それを法律婚として認めよ、という主張なら理解できる。でもその主張は反面、多数派の意見に従え、という主張であることも知るべきだろう。
>一方、同性婚が社会一般に認められてきたので、それを法律婚として認めよ、という主張なら理解できる。>でもその主張は反面、多数派の意見に従え、という主張であることも知るべきだろう。「知るべきだろう」とは、少数派が多数派にたどりつくまでにどのような経路をたどらなければならないかをあえて無視した、論理的に聞こえるが実は極めて非政治的な意見の典型ですな。このようにして少数派は多数派に封殺される。よく覚えておこう。
論理的に聞こえるが実は極めて非政治的な意見の典型ですな。
君は政治的でありさえすれば、論理的には正しくなくてよろしい、と言っているのかね?
私の意見のある意味そう言っているのだが、君の意見よりは論理的だ。何を結婚として認めるか、というのは論理の問題ではない。社会通念によって決まるからだ。つまり、政治的に決定される、ということだ。一方、法律婚は、社会通念上の結婚と大きくかけ離れないよう定義されるのが望ましい。以上のように、非論理的な部分を認めつつ、できる限り政治的かつ論理的な主張をしている。
で、君の論理はどうなって
うん、まあ、あなたの態度に理はあるが情はない、ということです。ありのままの自分でいることにより踏みにじられることのつらさや悔しさ、憤りや恨みをリアリティをもって想像する能力に欠けているように見えます。たぶん、踏みにじられる側に立たされることがなかった、どちらかといえば幸運な人生を送ってきたのかなあ(邪推です)。
「政治的に決定される」というのは、正確に言えば「現実の政治では多数決で決まる」ということに過ぎないのではないでしょうか。社会秩序を維持する行為としての政治には、理も情もほどよく必要なはずです。だから、理さえあればよいという態度は非政治的です。現実追認主義的な意味ではもちろん極めて「政治的」ではありますが。
「封殺」というのはあなたの態度を指して言ったんじゃありません。紛らわしくてすいません。「おまえが1人が死ねば世界が助かる。だから死んでくれ」というような言論のパターンを指して言いました。論理的に「死ね」と言われているわけですが、論理的だからすっきり納得して死ねるわけでもないですよね。少数派というのは、そういう論理を押しつけられて逃げようがないからこそ少数派なわけでして。
駄文で不愉快な気分にさせて申し訳ない。幸運が続くといいですね。
うん、まあ、あなたの態度に理はあるが情はない、ということです。
情によって論理を蔑ろにはしない、というだけで、多少は情があります。
あなたは理解できていない様ですが、私の立場から言えば、同性婚が法律婚として認められる条件は、同性婚を希望するカップルが多数派になることではありません。同性婚は結婚の一種である、と認める人が多数派になればいいのです。個々人の判断は、情による判断でまったく構いません。
私個人としては、同性婚は結婚の一種だと考えていますし、そろそろ法律婚として認めても良いんじゃないか、と思います。ただし、法律婚に基づいた各制度は、全面的に見直す必要があるでしょう。あるいは、法律婚とは別のパートナー制度を作ってもいいかもしれません。
で、あなたは結局どういう方法なら理もあり情もある善い方法だと言っているんですか?どんな少数派の意見でも認めろでも言うんでしょうか? もしそうだとすると、重婚や複数婚、架空の人物との結婚、あるいはもっと荒唐無稽な「結婚」も認めねばなりません。そうでないなら、あなたの立場も所詮、私と同様、理はあるが情はなく、五十歩百歩と言ったところです。
あなたは、そう言う自分を直視する勇気を持っていない様に見えます。しかし、私のコメントは、勇気の無いあなたがそう言う自分を直視せざるを得ない状況に追い込みます。それが、あなたが私の態度を「情が無い」と感じる最大の原因ではありませんか?
駄文で不愉快な気分にさせて申し訳ない。
「文」が「駄」というよりは、「論理」がまったく「駄」です。従って正確には、「駄文」ではなく「駄論理」が問題です。しかしながら、そんなことで私が不愉快になることはありません。そんな下らない心配は無用に願います。
長いから俺が要約してやるぞ
元コメは同性婚を求めているが、なぜか結婚というもの自体を自明視している結婚制度は(良し悪しはともかく)差別の体系そのものであるから、上の点について元コメ自身が差別的に振る舞っている
元コメは同性婚を求めているが、なぜか結婚というもの自体を自明視している
その通りだね。#2574574 [srad.jp]でも述べたけど、同性婚を認めるかどうか、と言う問題は、「結婚とは何か」という根源的な問題に帰着せざるを得ない。重婚や架空の人物との結婚も同様。そして、その答は、
結婚制度は(良し悪しはともかく)差別の体系そのものである
という事実に行きついてしまうわけだ。
そして、そういう根源的な問いに耐えられない人達や、自分達が他意なく差別に加担していたという事実と向き合うことに耐えられない人達が、残念ながら、一定数いるんだね。
そういう人達が、差別に反対していたりして、つくづく啓蒙って難しいな、と思いますね。
ガキの戯言に付き合ってあげる大人の度量を見た
反論できない意見を、ガキの戯言と中傷するのが大人の度量かね(失笑)。
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絶対正義でもなかろうに (スコア:2, 参考になる)
同性婚が絶対正義でもなかろうに、そんな批判の仕方をせんでもよかろう。
「開放とエンパワーメント」を絶対と認めるのなら、他の制限の撤廃にも賛成できるかどうか考えてみるといい。
例えば、重婚を認めるか? 複数婚を認めるか? そもそも結婚などと言う制度で人の自由を縛ることはどうなのか?
それらすべてを自由化するというラジカルな立場でないのなら、「開放とエンパワーメント」を批判の理由にすべきではない。
一方、同性婚が社会一般に認められてきたので、それを法律婚として認めよ、という主張なら理解できる。
でもその主張は反面、多数派の意見に従え、という主張であることも知るべきだろう。
Re: (スコア:0)
>一方、同性婚が社会一般に認められてきたので、それを法律婚として認めよ、という主張なら理解できる。
>でもその主張は反面、多数派の意見に従え、という主張であることも知るべきだろう。
「知るべきだろう」とは、少数派が多数派にたどりつくまでにどのような経路をたどらなければならないか
をあえて無視した、論理的に聞こえるが実は極めて非政治的な意見の典型ですな。このようにして少数派は
多数派に封殺される。よく覚えておこう。
Re: (スコア:1)
論理的に聞こえるが実は極めて非政治的な意見の典型ですな。
君は政治的でありさえすれば、論理的には正しくなくてよろしい、と言っているのかね?
私の意見のある意味そう言っているのだが、君の意見よりは論理的だ。
何を結婚として認めるか、というのは論理の問題ではない。社会通念によって決まるからだ。
つまり、政治的に決定される、ということだ。
一方、法律婚は、社会通念上の結婚と大きくかけ離れないよう定義されるのが望ましい。
以上のように、非論理的な部分を認めつつ、できる限り政治的かつ論理的な主張をしている。
で、君の論理はどうなって
Re:絶対正義でもなかろうに (スコア:0)
うん、まあ、あなたの態度に理はあるが情はない、ということです。ありのままの自分でいることにより踏みにじられることのつらさや悔しさ、憤りや恨みをリアリティをもって想像する能力に欠けているように見えます。たぶん、踏みにじられる側に立たされることがなかった、どちらかといえば幸運な人生を送ってきたのかなあ(邪推です)。
「政治的に決定される」というのは、正確に言えば「現実の政治では多数決で決まる」ということに過ぎないのではないでしょうか。社会秩序を維持する行為としての政治には、理も情もほどよく必要なはずです。だから、理さえあればよいという態度は非政治的です。現実追認主義的な意味ではもちろん極めて「政治的」ではありますが。
「封殺」というのはあなたの態度を指して言ったんじゃありません。紛らわしくてすいません。「おまえが1人が死ねば世界が助かる。だから死んでくれ」というような言論のパターンを指して言いました。論理的に「死ね」と言われているわけですが、論理的だからすっきり納得して死ねるわけでもないですよね。少数派というのは、そういう論理を押しつけられて逃げようがないからこそ少数派なわけでして。
駄文で不愉快な気分にさせて申し訳ない。幸運が続くといいですね。
Re:絶対正義でもなかろうに (スコア:1)
うん、まあ、あなたの態度に理はあるが情はない、ということです。
情によって論理を蔑ろにはしない、というだけで、多少は情があります。
あなたは理解できていない様ですが、私の立場から言えば、同性婚が法律婚として認められる条件は、同性婚を希望するカップルが多数派になることではありません。同性婚は結婚の一種である、と認める人が多数派になればいいのです。個々人の判断は、情による判断でまったく構いません。
私個人としては、同性婚は結婚の一種だと考えていますし、そろそろ法律婚として認めても良いんじゃないか、と思います。
ただし、法律婚に基づいた各制度は、全面的に見直す必要があるでしょう。
あるいは、法律婚とは別のパートナー制度を作ってもいいかもしれません。
で、あなたは結局どういう方法なら理もあり情もある善い方法だと言っているんですか?
どんな少数派の意見でも認めろでも言うんでしょうか? もしそうだとすると、重婚や複数婚、架空の人物との結婚、あるいはもっと荒唐無稽な「結婚」も認めねばなりません。
そうでないなら、あなたの立場も所詮、私と同様、理はあるが情はなく、五十歩百歩と言ったところです。
あなたは、そう言う自分を直視する勇気を持っていない様に見えます。
しかし、私のコメントは、勇気の無いあなたがそう言う自分を直視せざるを得ない状況に追い込みます。
それが、あなたが私の態度を「情が無い」と感じる最大の原因ではありませんか?
駄文で不愉快な気分にさせて申し訳ない。
「文」が「駄」というよりは、「論理」がまったく「駄」です。従って正確には、「駄文」ではなく「駄論理」が問題です。
しかしながら、そんなことで私が不愉快になることはありません。そんな下らない心配は無用に願います。
Re: (スコア:0)
長いから俺が要約してやるぞ
元コメは同性婚を求めているが、なぜか結婚というもの自体を自明視している
結婚制度は(良し悪しはともかく)差別の体系そのものであるから、上の点について元コメ自身が差別的に振る舞っている
Re:絶対正義でもなかろうに (スコア:1)
元コメは同性婚を求めているが、なぜか結婚というもの自体を自明視している
その通りだね。
#2574574 [srad.jp]でも述べたけど、同性婚を認めるかどうか、と言う問題は、「結婚とは何か」という根源的な問題に帰着せざるを得ない。重婚や架空の人物との結婚も同様。
そして、その答は、
結婚制度は(良し悪しはともかく)差別の体系そのものである
という事実に行きついてしまうわけだ。
そして、そういう根源的な問いに耐えられない人達や、自分達が他意なく差別に加担していたという事実と向き合うことに耐えられない人達が、残念ながら、一定数いるんだね。
そういう人達が、差別に反対していたりして、つくづく啓蒙って難しいな、と思いますね。
Re: (スコア:0)
ガキの戯言に付き合ってあげる大人の度量を見た
Re:絶対正義でもなかろうに (スコア:1)
ガキの戯言に付き合ってあげる大人の度量を見た
反論できない意見を、ガキの戯言と中傷するのが大人の度量かね(失笑)。