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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
まぁ、妥当な線では (スコア:3, 興味深い)
喉から手が出る程待ち望んでいた事ではないでしょうか?
一時は、セガの規模からすると引取れる体力のある企業は日本には無く、
MS位しか引取り手が居ないんじゃないかとまで言われていただけに、
サミーが無事引き取ってくれて良かったんじゃないかと思います。
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:1)
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:1)
セガの内情はそこそこ聞いていますが、一部社員が会社を私物化するわ、会長の道楽でアレコレ動かされるわで駄目になって、リストラ対象者を一日中監禁す
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:0)
なんだかんだ言っても、セガが駄目になったのには開発のレベルが
低下してしまったのが原因ではないでしょうか?
AM業界が先細りだと言うことを考えても、最近のゲームでメガヒットが
全然無いと言うのは痛すぎるかと。
AMとCSの開発を統合した上、分社化→一部再統合なんてやってるから…
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:2, すばらしい洞察)
>低下してしまったのが原因ではないでしょうか?
一介のセガファンとして、外部からセガを見ている印象なので、
事実とは違う考察かもしれませんが、
セガの開発のレベルが低下したというよりは、
ゲームが(とくに家庭用ゲームが)ポリゴン全盛時代になってからは、
ゲームの開発に必要とされる技術的/プログラミング的スキルが上がったので、
本来ならば、外部から、高い能力(スキル)を持った人を中途採用するか、
もしくは自社内で、ゲーム業界全体のレベル向上に合わせて、
きちんとスキル養成する制度な
Re:まぁ、妥当な線では (スコア:2, 参考になる)
>縦スクロール横スクロール・シューティングゲーム系メーカーが崩壊する前に
シューティングゲームは滅びる運命にあったと思います(まだ絶滅してないけど)。だんだん弾幕が芸術的かつ、難易度が高くなるの相乗効果というか、シューティングゲームファンとメーカーとのいたちごっこみたいな進化しかしてないというか、ステージの最後には必ずボスがいて2ボタン式のショット+ボムの単調なシステムが殆ど。 バリエーションを出すとしたらグラフィックと弾幕とBGM、後は何か新し
すらど宴会SNS開放中 [e-meet.jp]
文化とコンピュータービデオゲーム :長文 (スコア:1)
~中略~
>潰れて当たり前だったのかも。今じゃシューティングゲームなんてバクチに近いかも、
いやいや、日本政府や東京都が、
コンピュータービデオゲームを、
本当に「文化」として、認識すると言うのなら、
採算性や事業性は、ある意味では関係無いと考えたわけで。
「文化」の場合は、需要すら度外視する場合も有るわけで。
文化ならば、バクチなんですよ。絵画とかポエムとか詩とかを考えてみれば分かるはず。
ただ、ゲームの場合は、フリーソフトやGPLソフトで無い限り、
文化であるのと同時に、商業物でもあるので、100%バクチだと成り立ちませんという点は有ります。
「文化」って何?とか、「価値観」って何?と考えると、
いろいろな考え方が有りますが、例え話で説明すると、
例えば、有名作家作品なら、水墨画の掛け軸一本で、
数百万円したり数千万円したりするわけですよね。
例えば、この前あった事件で、
絵としての価値だけで言ったら1万円~2万円程度の価値しか無い絵が、
ゴッホの絵画だと分かっただけで6600万円になっちゃうわけですよね。
もちろん、無名作家の水墨画の掛け軸なんて、金銭的価値は無いに等しいし、
仮に、私が掛け軸を描いても、世間的な金銭的価値はゼロ円です。
なんでなんでなんで? と、考えてみましょう。
水墨画も、物質としては、単なる紙の上に炭素の粉が貼りついているだけですし、
2万円の絵画も、6600万円のゴッホの絵画も、どちらも、
布の上に、絵の具が載っているだけですよね。
でも、「価値観」として、数百万円になったり数千万円になったり、数億円になったりしてるわけです。
そして、なぜ、そういう価値観が出来あがったかを解析すると、
「この作者は、美術史上、画期的なことをやった」とか、
「この作者は、日本画の歴史上、画期的な技法と美しさを達成したから」とか、
そういう歴史的認識や歴史的テクストの蓄積が、親世代から子世代へ、
周囲の身近な人間関係や、文章や、映像などを媒体として伝わっているからですよね。
そこで考えてみましょう。
例えば、日本の相撲界の内部や相撲ファンの間では、
横綱を、ちょっと異常なほど、「特別な存在、1段高い存在、孤高、至高」と見て、
「とんでも系リスペクト」するシキタリが有りますよね。
しきたりというか、風習というか。ね。
そこで、例えば、ヨーロッパでもアフリカでも北南米大陸でもどこでも良いですが、
日本とは全然無関係な国の、日本文化には特別の興味が無い人物が、
相撲取りの横綱を、「スモーレスラーのチャンピオン」だと聞いて、
日本の相撲界内部の人間や相撲ファンが感じるような強度の、
「特別な存在、1段高い存在、孤高、至高」という受け取り方をするでしょうか?
もちろん、「あぁ、きっと強いんだね、力持ちなんだねぇ」という感想くらいは持つでしょうが。
逆に、その、日本とは特に関係が無い国の、
普通の日本人は聞いたことも無いような「国技」や「人気のスポーツ」の
チャンピオンだ、と、人物を紹介されても、
普通の日本人だと、「はぁ、凄いんですね、きっと強いんですね」くらいの感想しか感じないと思いませんか?
きっと、その当事国では、大スターで、「特別な存在、1段高い存在、孤高、至高」と受けとめられていて、
金銭的にも莫大な収入だったりしているはずですよね。
これは、なぜでしょう?
その横綱やチャンピオンの能力は、
日本人の前に居る時と、外国人の前に居る時では、変化したのでしょうか?
能力は変化するわけ無いから、同じままですよね。
では、なぜ、見る人によって「特別な存在、1段高い存在、孤高、至高」と感じたり感じなかったりするのでしょうか?
その答えは「価値観」ですよね。
人間(動物も同じ)を根本的に考えてみると、
人生の始まりである産まれた瞬間から(正確には母親のお腹の中から)、
人間の脳は、目や耳や鼻や口や触覚などなどの感覚器官から入力される情報を処理して、
それを経験として蓄積して成り立っているわけですよね。
その、産まれてから、感覚器官からの信号として脳に蓄積された情報の総体が、
「価値観」の根源になっていると考えられるわけです。
もう一つ、別の例え話を考えてみましょう。
有名な話ですが、プロ野球(というか野球は)という競技は、
ほとんど、アメリカや日本、台湾、韓国くらいの国でしか盛んではありません。
もちろん、それ以外の国でも野球をやっている人は居ますが、
それらの国々の一般国民には、アメリカや日本の現状に比較して圧倒的に認知されていません。
日本のマスメディアでは、今現在、猛烈に、
ゴジラ松井の一挙手一投足を、詳細に熱烈報道していますが、
松井は凄い!松井は能力が高い!松井は素晴らしいプレーヤーだ!と、
「特別な存在、1段高い存在、孤高、至高」だと、
「とんでも系リスペクト」するプロパガンダ情報が大量に流されていますが、
ここで今までに私が書いた文章を読んで、その上で考えてみると、
どう思いますか?
例えば、野球なんて全く興味が無い国民性の国へ松井が行って、
「俺は、野球のチャンピオンだ!」と宣伝しても、
「ほう、たぶん凄いんだろうねぇ」という反応しか返ってこないと思いませんか?
その状態で、その国の中で、日本やアメリカのような高額な収入を得ることは可能でしょうか?と考えてみる。
もちろん、松井がその国に定住して、子供に野球を広めて、
その国や地域の中で、時間を掛けて、尊敬される偉人にのぼりつめれば、
それは、その国や地域や場所でも「特別な存在、1段高い存在、孤高、至高」になれる可能性は有りますが・・・。
もちろん、人間の権利として、自分にとって有利な場所や国を選んで、
自由に選択して、その場所で活躍して、自分を有利にすることは、
間違っているとは言いませんが、しかし。
もちろん、場所や時代や条件によって、民衆の価値観が全く変化するので、
民衆が、「チャンピオン」に対する、受け取り方は大きく変化しますが、
しかし、能力が高いことには間違いは無いので、
平凡なサラリーマンの生涯年収よりも、数倍多く稼ぐ程度なら納得できますが(笑、
現代社会で一生普通に暮らせる以上の金額を何十億円も何百億円も稼いだりするのは、
ちょっと待てよ、変だゾ、その膨大な利益の意味や根拠は???
と、感じてしまうTaiyakissなのです(笑。
この、極論と正論をゴチャ混ぜにして展開した書き込みを読んで、
皆さんは、どう感じるでしょうか。
まあ、この発想のおおもとの半分は、ルサンチマンですが(笑。
半分は、私欲や感情を抑えて、真剣に思考してみた結果です。
と、ここまで細かく、価値観や文化を分解して考えてみて、
やっと、本題に入ります。
例えば、シューティングゲーム作りがパターン化する以前の、
ゲームとしてのジャンルがドンドン進化していた時期に、
ゲーム開発企業内でシューティングゲームを開発していた人たちって、
いま現在、どうしているだろうか?とか考えてみることって有りますよね。
ほんとうに、どうしているんでしょうか。
きっと、ある人は、ゲーム開発の業界から去ってしまっているでしょうし、
また、ある人は、今でもゲーム開発業界のどこかで働いているのでしょう。
でも、ゲームは文化なのである!のですよね、これからの日本の方針としては。
有名画家の水墨画の掛け軸一本が、数百万円したり数千万円したりしていて、
ゴッホの絵画だと分かっただけで6600万円の絵だったりするわけですよね。
なぜなら、それは「文化」だから、「芸術」だから。
そして、なぜ、そういう価値観が出来あがったかを解析すると、
「この作者は、美術史上、画期的なことをやった」とか、
「この作者は、日本画の歴史上、画期的な技法と美しさを達成したから」。
そうですよね、
では、シューティングゲームの進化と変化の歴史の中で、
「画期的なアイデアを盛りこんだり」、
「その当時としては、素晴らしい美しさを表現した」人物は、
いま現在、どんな扱いを受けているのでしょうか?
どんな境遇で暮らしていて、どんな仕事をしているのでしょうか?
世間から、どんな名声を受けているのでしょうか?
もちろん、作品(商品)の価格が、
数百万円とか数千万円のプレミア価格になれ、と言っているわけではありません。
もちろん、ゲームソフトも、多少のプレミア価格が付いて販売されるようになった名作もありますが。
例えば、コピー生産されてマスマーケットに大量に配布された
マンガ本でも、手塚治虫さんや藤子不二雄さんの名作は、
ある程度のプレミア価格が付いていますし、その点はゲームソフト同じです。
しかし、名作や、歴史的にみて画期的な作品を作り出したマンガ家や有名画家と、
名作や、歴史的にみて画期的な作品を作り出したゲームクリエイターが
大きく違う点は、広く世間一般に、クリエイターの名前が知られているか?ある意味での正当な尊敬を受けているか?
という点です。
ゲーム業界に詳しいゲームマニアは、
ゲームの歴史の中でキーパーソンとなるクリエイターの名前を知っていますが、
それはあくまでもマニアの間だけのことで・・・。
でも、どれもこれも、みな、同じように平等に、
文化なんですよね、芸術ですよね。
なにしろ、日本政府や東京都のバカ石原都知事が認定してるんですよね?
長文になってしまって、うまくまとまらないのですが、
こういうこと全体を大きく言いたかったのです。
>データイーストやUPLや、
>縦スクロール横スクロール・シューティングゲーム系メーカーが崩壊する前に
>手助けしてやってくれてれば・・・!
というのは、その会社自体を援助して存続させると言うよりも、
これらのどのメーカーも、その全盛期には、
独創的で優れた発想のゲームを作れる開発人員と開発部隊が有りました。ので、
その「人員」や「部隊」などの、人的資産を、
きちんとバックアップして欲しいと言うことです・・・。
ゲームの歴史上、画期的なアイデアを導入した人や開発グループ、
美しいグラフィックス、芸術的かつ実用的なプログラミングアルゴリズム、
全てが、非常に重要な「文化」ですよね。私の考え方は間違っているでしょうか。
国家として東京都として、日本の文化を守るんだ!などと言うのなら、
せめて最低限、福利公正や保証や保険などで不利にならないようにするとか、
この際、プロパガンダ的な行為でも何でもいいから、
偉大な人物は、きちんと尊敬されたり、広く一般民衆に名前や功績が知られたりするように、
きちんと行動して欲しいと言いたいのです。
輸出産業として金になるからという理由だけで「文化、文化」と持ち上げるのでは無くね・・・。
カッコイイことを言って自分をアピールしているだけの石原慎太郎を、
崇拝したり支持したりする人が居ることが、私には信じられません(笑。
石原慎太郎の発想や行動も、2%くらいは意味が有るかな(笑。
彼の場合、あとの98%は、自分自身をアピールするための単なるアピール行動ですがね(笑。
ロン!リーチのみ。(Re:文化とコンピュータービデオ (スコア:1)
ゲームを文化と認めるとしたらとりあえずゲーム会社の人たちには文化人である事を誇りに思ってもらいつつ世間一般に受け入れられるものを劇希望いたしもうす。
あ、シューティングゲームはボスオンパレードでとってもでかくてカタイ奴をよろしく(マテ
すらど宴会SNS開放中 [e-meet.jp]
デジタライズ・マインド (スコア:1)
すすす、すいません。
セガマニアは、言葉通りの偏執狂 [infoseek.co.jp]なんです。
infoseek辞典より:偏執狂→一つのことに異常な執着をもち、常軌を逸した行動をする人。偏執狂(へんしゆうきよう)。偏狂。
セガマニアは日本人ではないのです。
セガ人(せがびと/せがじん)なのです。
よく、アメリカ人が、一般の日本人には想像も出来ないような
トンデモ無い事件を起こしてニュースになりますが、
そのアメリカ人と日本人の脳は、生物学的には同一ですよね。
違いは無い。では、なぜ価値観や倫理観や行動や違ってくるかと言うと、
それは、分析的に考えてみれば、
産まれてから現在までの、
周囲の身近な人物との係わり合いの経験の蓄積と、
それにプラスして、近代社会ならマスメディアからの情報を脳内で蓄積。
(それらは、目や耳や鼻などの五感(感覚器)からの単なる
情報(シグナル)として、脳というプロセッサーに送られ、その中で処理される。
つまり、自然情報も人工情報も真実も嘘も、脳にとっては本質的には差は無い。この恐ろしさに気付けよ乙女。)
そしてその2種類の情報を脳が脳内でブレンドして、
個人の脳内で、その個体固有の価値観が自然発生する。
つまり、セガ黄金期にセガ人だった人は、
メガドライブのカートリッジはバイト代を注ぎ込んで全部買い、
昼でも夜でも、いつゲーセンに行っても、なぜかそこに居て(笑。
10代~20代の多くの時間と脳の処理時間を、そして自身の周辺環境を、
セガのゲームと、その周辺のセガ情報の処理で埋め尽くし、
目や耳や鼻や触覚など感覚器から送られる情報を、
脳で処理して経験として蓄積しているので、
ある意味では、セガ人は、アメリカ人よりも日本人から遠い存在です(笑。
マジで、社会科学や比較文化論や民俗学的に見て、
文化や価値観が本当に違う種族になっているんですよ。
冗談で書いていると思われるかもしれませんが、
ころ論理は、もちろん完全ではないにしろ、
(少なくとも私は)かなり確度が高いと考えています。(笑
「フレームの元」とモデレートされそうな人とか言われちゃったかもしれないけれども、
全てのフレーム(過剰な論争)が、同等に悪だとは思っていないのでする。
なぜならば、
まったく本当に無意味な論争で、何の方向性も、もしくは、
面白がるためのメタ方向性地球周回軌道を外れてメチャクチャに飛んで
いってしまって見える人工衛星(論争)でも、
その無駄で猛烈な推進パワーによって、
何かの弾みで、万が一、第2宇宙速度を超えたりしたら、
地球の重力をのがれ、地球周回軌道から出てゆくことも有るからです。
つまり何の役にも立たない単なる失敗人工衛星だとしか見えないものが、
実は、失敗人工衛星どころか、
それは一段階新しいレベルの、新たなる人工惑星のシード(種)となる胎動だったのかもしれないからです。
地球周回軌道から太陽周回軌道へのintrinsic leapは、
理知的に、論理的に、初めから完全に狙って計画通りに起こすことは、
なかなか難しい・・・のではないだろうか、と私は考えています。
初めから狙っていて首尾良くそれを見つけるのではなく、
実験の途中で偶然に発見される発明や発見は、意外に多いという話です。
ただ、注意しなくてはならない点は、
第3宇宙速度を超えてしまうと、太陽系外へ飛び出してしまい、
たんなる電波系やとんでも系になってしまうので、
大軌道修正用メインロケットエンジンの噴射時間の さじ加減は、
非常に微妙ですよね(笑。
電波さんやトンデモさんが、一人なら、
個人に搭載されたロケットエンジンの出力以上の推進力は出せませんが、
電波さんや、トンデモさんが複数人数、フレーム(過剰な論争)に参加すると、
超重量級の妄想&ルサンチマン質量をペイロードとして搭載した衛星同士のガチンコ勝負なので、
お互いがお互いの巨大質量とトンデモ重力を利用してスイングバイして、
まるで、夢の永久機関のように、簡単に第3宇宙速度を超えてしまう可能性が高くなるので、
ここんとこ試験に出ます。要チェックやで~!(笑。
時代が泣いている。
Re:デジタライズ・マインド (スコア:1)
一言で言うなら「Taiyakissさんはセガが世界一」の一言で要約しちゃってもよろしいでしょうか?(^^
とりあえず私はメガドライブでエイリアンソルジャーとガンスターとスペースハリアー2とスーパーファンタジーゾーンが遊べれば満足だったりします。 そういえばテラドライブはいったいどこにいったんだろう。一度も現物を見た事がなかったりして(^^;
すらど宴会SNS開放中 [e-meet.jp]