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大して変わらないような気がするむしろ、冷戦時のほうが核戦争や環境破壊のリスクは高かったような。
冷戦時代の最大のリスク要因はイデオロギーが戦争の大義名分になりえたこと。つまり、ソ連は他国を侵略しても「共産化して自陣営に取り込むためだから」という言説が罷り通っていた。これが政治的にはすごく不味い状態だったのは確か。我々はどっぷり西側陣営に浸っているので、逆の大義名分を思いつかないが、共産側も似たような印象を西側に持っていただろう。
翻って、冷戦体制が崩壊したあと、戦争のリスクは増えたか減ったかで言えば、減ったと思う。ただし、潜在的な全面対決大戦争のリスクが減っただけで、地域紛争はむしろ増えている。そして、おそらく核戦争のリスクも増えている。現に日中米の三国は北朝鮮を非核化するまともな方法がいまだに思いつかないでいる。ISILみたいな「やる気」に満ち溢れた連中が核兵器を手に入れないでいる保障はない。あの手の組織の指導者はためらいなく使うだろう。旧ソ連科学者のパキスタン亡命が先例になって、そこそこの国力でも核武装化できることを示してしまったし、北朝鮮はそれをマニュアル化することにすら成功してしまった。北朝鮮はある種、「終わってしまった」案件だから、当然次がくる。これがパキスタンよりも西にあるアジア諸国だと、冷戦時代よりも遥かにマズいことになる。
ソ連やアメリカは無茶苦茶なことをやってたけど、そうかといって、同盟国に核をばら撒いたりはしなかった。核配備はアメリカ軍・ソ連軍とセットだったから、核戦争の行方はワシントンとクレムリンにゆだねられていた。だから、核の拡散と第三世界には密接な関係があったし、今も核武装を目指しているのは、そういう第三世界の諸国だろう。
私がつくづく思うのは、中東っていうのは、ある意味、既に失敗してしまった中国(とロシア)なんだろうな、ってことだ。中東で最大のリスク要因は言うまでもなくイスラム教だ。これは別にイスラム教が邪悪な宗教っていう意味じゃなくて、近代化を阻んでいるという一点だけをもってしても邪魔で仕方がない、という意味だ。既に中東を統一できる思想はイスラムしかない。しかし、イスラム教を尊重すると、イスラム法学者がセットで台頭してくるから、合理的な政策ができない。中東が幸せになるには、シーア派とスンニ派が主導権争いをする必要がなく、政教分離が徹底された新しいイスラムが必要だった。おそらく、その境地に最も近い場所にいたのがバアス主義(汎アラブ主義)だったんだろうけど、指導者のフセイン大統領の失策と自身の敗北で何もかもが無駄になってしまった。今や残党がISILに協力する本末転倒ぶりだ。何をやるにしても中東ではイスラムが邪魔をする。
そういう意味では、共産主義をあっさり手放したロシアや中国は偉いと思うよ。まあ、イスラムと違って借り物の思想だったから、大して愛着もなかったんだろうけど、そういう点は日本の軍国主義みたいなものかな。中国は大多数が漢民族だけれど、少なからず少数民族を内包しているから、政治的な面では常に不安定な状態にある。これは、クルド人などの少数民族を「汎アラブ主義」によって排撃してしまったフセイン政権と被る面がある。この点に関して「内政不干渉」の建前は諸外国に通用しない。
広い中国を統治する上で、イデオロギーが必要だったから、毛沢東は国の根幹に共産主義を置いた。しかし、それでは不都合が多すぎるから、鄧小平は共産主義を捨てた。そこまでは良かった。まさに、イスラムを捨てたフセインと同じ発想だ。しかし、フセインはその受け皿が「汎アラブ主義」だというところがいけなかった。なぜなら、「汎アラブ主義」は、かつて「汎ゲルマン主義」と「汎スラブ主義」がそうだったように、強烈な拡張主義を孕んでいるからだ。他国にいる同朋を同化するために、国境線を軽く見る。汎スラブ主義がオーストリアの皇太子を暗殺して第一次世界大戦を引き起こし、汎ゲルマン主義がチェコの併合とポーランド侵攻で第二次世界大戦を引き起こした。そして、また、汎アラブ主義も湾岸戦争を引き起こした。イラクとクウェートは、歴史的に見て同じ民族と文化圏だから、同じ国であるほうがいい、というのは、まさにミュンヘン会談的発想で、フセインもそう考えたからこそ、イラクはアメリカに滅ぼされた。もちろん、共産主義を捨てたプーチンもそう考えているからこそ、ウクライナに囚われたクリミア半島のロシア民族を見事に救出してのけた。
今、共産主義を捨てた中国の思想のよりどころは、汎漢主義を置いてほかにはない。しかし、漢民族で団結しようと言われると、国内の少数民族は困ってしまうし、この路線を貫く以上、軋轢が増えることはあっても減ることはない。2014年には「第二次世界大战对日战争胜利纪念日」や「南京大屠杀死难者国家公祭日」が制定されたが、こういう時代遅れの抗日活動は、民族対立を煽らない民族主義、という難しい問題を内包している。どんな国にとっても、内乱よりはまだ外憂の方が好ましいものなのだ。
とにかく、強烈な拡張政策を伴う民族主義の足音は、もうそこまで迫っている。
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
冷戦時代から (スコア:1)
大して変わらないような気がする
むしろ、冷戦時のほうが核戦争や環境破壊のリスクは高かったような。
Re:冷戦時代から (スコア:1)
冷戦時代の最大のリスク要因はイデオロギーが戦争の大義名分になりえたこと。つまり、ソ連は他国を侵略しても「共産化して自陣営に取り込むためだから」という言説が罷り通っていた。これが政治的にはすごく不味い状態だったのは確か。我々はどっぷり西側陣営に浸っているので、逆の大義名分を思いつかないが、共産側も似たような印象を西側に持っていただろう。
翻って、冷戦体制が崩壊したあと、戦争のリスクは増えたか減ったかで言えば、減ったと思う。ただし、潜在的な全面対決大戦争のリスクが減っただけで、地域紛争はむしろ増えている。そして、おそらく核戦争のリスクも増えている。現に日中米の三国は北朝鮮を非核化するまともな方法がいまだに思いつかないでいる。ISILみたいな「やる気」に満ち溢れた連中が核兵器を手に入れないでいる保障はない。あの手の組織の指導者はためらいなく使うだろう。旧ソ連科学者のパキスタン亡命が先例になって、そこそこの国力でも核武装化できることを示してしまったし、北朝鮮はそれをマニュアル化することにすら成功してしまった。北朝鮮はある種、「終わってしまった」案件だから、当然次がくる。これがパキスタンよりも西にあるアジア諸国だと、冷戦時代よりも遥かにマズいことになる。
ソ連やアメリカは無茶苦茶なことをやってたけど、そうかといって、同盟国に核をばら撒いたりはしなかった。核配備はアメリカ軍・ソ連軍とセットだったから、核戦争の行方はワシントンとクレムリンにゆだねられていた。だから、核の拡散と第三世界には密接な関係があったし、今も核武装を目指しているのは、そういう第三世界の諸国だろう。
私がつくづく思うのは、中東っていうのは、ある意味、既に失敗してしまった中国(とロシア)なんだろうな、ってことだ。中東で最大のリスク要因は言うまでもなくイスラム教だ。これは別にイスラム教が邪悪な宗教っていう意味じゃなくて、近代化を阻んでいるという一点だけをもってしても邪魔で仕方がない、という意味だ。既に中東を統一できる思想はイスラムしかない。しかし、イスラム教を尊重すると、イスラム法学者がセットで台頭してくるから、合理的な政策ができない。中東が幸せになるには、シーア派とスンニ派が主導権争いをする必要がなく、政教分離が徹底された新しいイスラムが必要だった。おそらく、その境地に最も近い場所にいたのがバアス主義(汎アラブ主義)だったんだろうけど、指導者のフセイン大統領の失策と自身の敗北で何もかもが無駄になってしまった。今や残党がISILに協力する本末転倒ぶりだ。何をやるにしても中東ではイスラムが邪魔をする。
そういう意味では、共産主義をあっさり手放したロシアや中国は偉いと思うよ。まあ、イスラムと違って借り物の思想だったから、大して愛着もなかったんだろうけど、そういう点は日本の軍国主義みたいなものかな。中国は大多数が漢民族だけれど、少なからず少数民族を内包しているから、政治的な面では常に不安定な状態にある。これは、クルド人などの少数民族を「汎アラブ主義」によって排撃してしまったフセイン政権と被る面がある。この点に関して「内政不干渉」の建前は諸外国に通用しない。
広い中国を統治する上で、イデオロギーが必要だったから、毛沢東は国の根幹に共産主義を置いた。しかし、それでは不都合が多すぎるから、鄧小平は共産主義を捨てた。そこまでは良かった。まさに、イスラムを捨てたフセインと同じ発想だ。しかし、フセインはその受け皿が「汎アラブ主義」だというところがいけなかった。なぜなら、「汎アラブ主義」は、かつて「汎ゲルマン主義」と「汎スラブ主義」がそうだったように、強烈な拡張主義を孕んでいるからだ。他国にいる同朋を同化するために、国境線を軽く見る。汎スラブ主義がオーストリアの皇太子を暗殺して第一次世界大戦を引き起こし、汎ゲルマン主義がチェコの併合とポーランド侵攻で第二次世界大戦を引き起こした。そして、また、汎アラブ主義も湾岸戦争を引き起こした。イラクとクウェートは、歴史的に見て同じ民族と文化圏だから、同じ国であるほうがいい、というのは、まさにミュンヘン会談的発想で、フセインもそう考えたからこそ、イラクはアメリカに滅ぼされた。もちろん、共産主義を捨てたプーチンもそう考えているからこそ、ウクライナに囚われたクリミア半島のロシア民族を見事に救出してのけた。
今、共産主義を捨てた中国の思想のよりどころは、汎漢主義を置いてほかにはない。しかし、漢民族で団結しようと言われると、国内の少数民族は困ってしまうし、この路線を貫く以上、軋轢が増えることはあっても減ることはない。2014年には「第二次世界大战对日战争胜利纪念日」や「南京大屠杀死难者国家公祭日」が制定されたが、こういう時代遅れの抗日活動は、民族対立を煽らない民族主義、という難しい問題を内包している。どんな国にとっても、内乱よりはまだ外憂の方が好ましいものなのだ。
とにかく、強烈な拡張政策を伴う民族主義の足音は、もうそこまで迫っている。