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欧米だと写真は大抵OKですねまた入場料が不要で,かわりに任意で寄付する,というスタイルが多いです
メトロポリタン美術館とかは,入場料らしき金額が書いてありますが,よく見るとこれは"希望料金"で,全額払ってくれると嬉しいな,とか明記してたりします1円も払わない人も居ますが,気に入ったから多めに払う人さらに別口で大金を寄付するパトロンが居るので,全体では破綻しないようです
一方,日本だと写真撮影は一切禁止,さらに出口のおみやげコーナーで図録を売りつけようと宣伝している場合が多いように思います.
個人的には,日本だと寄付が集まりにくいので,入場料や図録の売上に頼るしか無く,その結果,写真撮影が禁止になっているように思います考えようによっては日本はまだ貧しい国なのかも知れません
いや、コンパクトカメラ(やスマホ)でカジュアルに撮った画像が、図録の代わりになるなんて考えてる人はいないでしょう。そんな【絵】で満足する人はどっちみち、おみやげコーナーの物品なんて買いませんよ。
入場料についての考え方は、欧米ではそういう【寄付を募る】的な考え方のところもよくあるようですね。また、入場料は定額でも館内ガイドのリーフレットもらうのにチップを出すみたいなところもあります。そのあたり日本とは根本的に文化が違うんだなとは思いますが、日本が(文化的に)貧しいというのはどうでしょう?
>日本が(文化的に)貧しいというのはどうでしょう?
西洋先進国に比べるとそういう面があるのだと思います。たとえば、俗にフランスで大統領や大臣の頭が固くて話をうけ入れないようなときに「ムシュー、あなたは文化を理解していない」というと態度が急変すると言われているような変節が日本の政治家(国であれ自治体であれ)や官僚には通用しないとか公共のサービスに金を払うくらいならフリーライダーになる人が多いことをまま見受けられることとか。
それを「違い」ではなく「貧しさ」と考えるのは何故ですか?
違いであれば「所変われば」とか「ローマに入りては」という諺のように見習うことに抵抗ないのですが (#2775936)でわたしが述べた例は日本だからという理由で例に倣ってしまっていいと割り切れない抵抗を感じる。その抵抗感が何に由来するのか元を求めると貧しいというかゲスいというものと通じるところがあるからだと考えた次第です。
貧しさと言われて違和感を感じる、そこが貧しいと指摘される謂われですよ
> 貧しさと言われて違和感を感じる、そこが貧しいと指摘される謂われですよ
すいません。
論理に飛躍があって意味がわからないのでもうちょっと、丁寧に説明してください。
それは文化的な貧富というよりただのカルチャーギャップでは?「都会はみんなそうだよ」と煽られてホイホイ釣られる田舎者と同ベクトルで、あまり豊かな反応には感じられないんですが…。
> 「ムシュー、あなたは文化を理解していない」というと態度が急変すると言われているむしろそんな煽り文句を受けて態度を変える方が、本当の文化を知らない【野蛮人】っぽい感じがしますが。
> 公共のサービスに金を払うくらいならフリーライダーになる人が多いことをまま見受けられることとか。定量的に示していただけないと、単なる「個人の感想」ですね。
なるほど野蛮人かもしれませんね。そのことはひとまず措いて、大臣や国が文化を十分にわかっていないんじゃないか?という件については古い資料(平成21年白書)ですが第7章 文化芸術立国を目指して:文部科学省 [mext.go.jp]の「図表2‐7‐4 文化予算と寄附額」で比較対象諸国よりも国の支出が手薄いというケチり方が一定程度裏づけになっているとわたしは考えます。
フリーライダーの件を定量的にというのは手間ですね。なでしこジャパンの代表選手の収入がちょっと前まではひどいものだったなどという話を横断的かつ重層的似に示せばいいんでしょうか?手に余ります。
文化に対する国の手当てが薄い件については了解しました。
またフリーライダーのくだりで、「なでしこ」に限らずスポーツの【日本代表】に対する手当てがひどいものだって話がかなり前から出ていることは認識しています。ただそれを、一般人の支出性向に当てはめるのはどうですかね。
そこまで言うなら,
>> 公共のサービスに金を払うくらいならフリーライダーになる人が多いことをまま見受けられることとか。> 定量的に示していただけないと、単なる「個人の感想」ですね。
という「個人の感想」の部分が正しいことを定量的に示してほしいですね.
御自身が出来ないことを他人に要求するのは良くないですよ
「そこまで」ってどこをさしているのでしょうか。定量的に(ry って混ぜ返しはともかく、
「まま見受けられる」というのは、自分の目に見えた範囲について叙述するための表現だと理解しているのですが、よろしいでしょうか。次に、【自分が見えた範囲】の状況をそのまま全体の傾向とみなすのは、必ずしも正しい判断ではないと考えますが、それには同意いただけるでしょうか。それを指摘するためのフレーズとして「個人の感想」という表現を使用するのは、ふさわしくなかったでしょうか。
私は上記の考えのもとに「個人の感想」という表現を用いましたが、あなたが同意できるかどうかわからないので、一応疑問文の形を取らせていただきました。よろしくご理解をお願いいたします。
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
「国外の主要美術館」 (スコア:3)
ダメなのはプラド美術館くらいか。
日本の美術館や博物館で撮影OKというのはあまり聞いたことがない。
Re: (スコア:5, 興味深い)
欧米だと写真は大抵OKですね
また入場料が不要で,かわりに任意で寄付する,というスタイルが多いです
メトロポリタン美術館とかは,入場料らしき金額が書いてありますが,よく見るとこれは"希望料金"で,全額払ってくれると嬉しいな,とか明記してたりします
1円も払わない人も居ますが,気に入ったから多めに払う人
さらに別口で大金を寄付するパトロンが居るので,全体では破綻しないようです
一方,日本だと写真撮影は一切禁止,さらに出口のおみやげコーナーで図録を売りつけようと宣伝している場合が多いように思います.
個人的には,日本だと寄付が集まりにくいので,入場料や図録の売上に頼るしか無く,その結果,写真撮影が禁止になっているように思います
考えようによっては日本はまだ貧しい国なのかも知れません
Re: (スコア:1)
いや、コンパクトカメラ(やスマホ)でカジュアルに撮った画像が、図録の代わりになるなんて考えてる人はいないでしょう。そんな【絵】で満足する人はどっちみち、おみやげコーナーの物品なんて買いませんよ。
入場料についての考え方は、欧米ではそういう【寄付を募る】的な考え方のところもよくあるようですね。また、入場料は定額でも館内ガイドのリーフレットもらうのにチップを出すみたいなところもあります。
そのあたり日本とは根本的に文化が違うんだなとは思いますが、日本が(文化的に)貧しいというのはどうでしょう?
Re:「国外の主要美術館」 (スコア:2)
>日本が(文化的に)貧しいというのはどうでしょう?
西洋先進国に比べるとそういう面があるのだと思います。
たとえば、俗にフランスで大統領や大臣の頭が固くて話をうけ入れないようなときに
「ムシュー、あなたは文化を理解していない」というと態度が急変すると言われている
ような変節が日本の政治家(国であれ自治体であれ)や官僚には通用しないとか
公共のサービスに金を払うくらいならフリーライダーになる人が多いことをまま見受けられることとか。
Re:「国外の主要美術館」 (スコア:2)
それを「違い」ではなく「貧しさ」と考えるのは何故ですか?
Re:「国外の主要美術館」 (スコア:1)
違いであれば「所変われば」とか「ローマに入りては」という諺のように見習うことに抵抗ないのですが
(#2775936)でわたしが述べた例は日本だからという理由で例に倣ってしまっていいと割り切れない抵抗を感じる。
その抵抗感が何に由来するのか元を求めると貧しいというかゲスいというものと通じるところがあるからだと考えた次第です。
Re: (スコア:0)
貧しさと言われて違和感を感じる、そこが貧しいと指摘される謂われですよ
Re:「国外の主要美術館」 (スコア:2)
> 貧しさと言われて違和感を感じる、そこが貧しいと指摘される謂われですよ
すいません。
論理に飛躍があって意味がわからないので
もうちょっと、丁寧に説明してください。
Re:「国外の主要美術館」 (スコア:1)
それは文化的な貧富というよりただのカルチャーギャップでは?
「都会はみんなそうだよ」と煽られてホイホイ釣られる田舎者と同ベクトルで、
あまり豊かな反応には感じられないんですが…。
Re:「国外の主要美術館」 (スコア:1)
> 「ムシュー、あなたは文化を理解していない」というと態度が急変すると言われている
むしろそんな煽り文句を受けて態度を変える方が、本当の文化を知らない【野蛮人】っぽい感じがしますが。
> 公共のサービスに金を払うくらいならフリーライダーになる人が多いことをまま見受けられることとか。
定量的に示していただけないと、単なる「個人の感想」ですね。
Re:「国外の主要美術館」 (スコア:1)
なるほど野蛮人かもしれませんね。
そのことはひとまず措いて、大臣や国が文化を十分にわかっていないんじゃないか?という件については古い資料(平成21年白書)ですが第7章 文化芸術立国を目指して:文部科学省 [mext.go.jp]の「図表2‐7‐4 文化予算と寄附額」で比較対象諸国よりも国の支出が手薄いというケチり方が一定程度裏づけになっているとわたしは考えます。
フリーライダーの件を定量的にというのは手間ですね。なでしこジャパンの代表選手の収入がちょっと前まではひどいものだったなどという話を横断的かつ重層的似に示せばいいんでしょうか?手に余ります。
Re:「国外の主要美術館」 (スコア:1)
文化に対する国の手当てが薄い件については了解しました。
またフリーライダーのくだりで、「なでしこ」に限らずスポーツの【日本代表】に対する手当てがひどいものだって話がかなり前から出ていることは認識しています。
ただそれを、一般人の支出性向に当てはめるのはどうですかね。
Re: (スコア:0)
そこまで言うなら,
>> 公共のサービスに金を払うくらいならフリーライダーになる人が多いことをまま見受けられることとか。
> 定量的に示していただけないと、単なる「個人の感想」ですね。
という「個人の感想」の部分が正しいことを定量的に示してほしいですね.
御自身が出来ないことを他人に要求するのは良くないですよ
Re:「国外の主要美術館」 (スコア:1)
「そこまで」ってどこをさしているのでしょうか。定量的に(ry って混ぜ返しはともかく、
「まま見受けられる」というのは、自分の目に見えた範囲について叙述するための表現だと理解しているのですが、よろしいでしょうか。
次に、【自分が見えた範囲】の状況をそのまま全体の傾向とみなすのは、必ずしも正しい判断ではないと考えますが、それには同意いただけるでしょうか。
それを指摘するためのフレーズとして「個人の感想」という表現を使用するのは、ふさわしくなかったでしょうか。
私は上記の考えのもとに「個人の感想」という表現を用いましたが、あなたが同意できるかどうかわからないので、一応疑問文の形を取らせていただきました。
よろしくご理解をお願いいたします。