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いい加減デジタル化したほうがいいかもね。(カネがあればだが) でも、俺らが言うと説得力ないが、 子どもの手元では手書きで勉強しなきゃダメだよ。タブレットの手書きなんか、コピペや変換しちゃうじゃん。紙ノートと同じ使い勝手を実現する教育用タブレットでも作るならそれもいいけど。
子どもに運動させないといけないのと同じで、手書きも覚えさせないとダメ。
きれいにまとまった「板書」をいくら「そのまま写して」も頭には入らない。先生がその場で書き上げた「板書」を「整理しながら」ノートに書くことで頭に入る。別に機械的に写したってなんの意味もない。だからPowerPointみたなのを使ったプレゼン形式の授業は子供のためになってない。と思います(大学に10年ほどいるもんで、最近はそういう境地に最近辿り着きつつあります)。#ただ、うちの弟様(ガチ文系)は「本なんて眺めてれば頭に入る」と仰るので(そしてしっかり覚えてるんだよなぁ・・・)、頭の構造がたぶん違うのだろう。#あと、字が汚い板書はやっぱりカンベンしてほしい・・・。
前半は私と同じことを仰っているように見えますが(写経に意味などほぼない・・・どうしても暗記しないといけないものを除く)、その後が真逆の結論のように見えますので、書いた意図をきちんと説明します。私の経験的には、最近は子供達のほとんどが結局、「ノートは書いたら終わり」なんですよ。だから「講義ノートを配布した」ら「受け取って終わり」。それでは「理解」なんて出来るわけがない。もっとひどい例では、最近の大学生はPowerPointでプレゼン形式の講義なんてやったら「スマホで写真を取り出す」んです。これではその場では何も考えない。試験に出るであろう内容が講義ノートでも写真でも他人のノートのコピーでもなんでもいいけど手元にあれば「それだけで安心」してしまう。で、試験前に「丸暗記しようとして」理解もできなきゃ試験もできない学生を山ほど見てきてます。そんなわけで、理想的には「その場で」「理解までこぎ着けてもらう」ことが要求されるのが教育の現場なのだと思っています。まぁ、現実問題として限られた時間の中で100%理解させることなんて無理ですけどね。でも「あとで見直せば理解できる」程度にはその場で考えさせる必要があります。で、「あとで見直す」ことを半強制するためには、課題を出すことも有効(ただし後でチェックする教員は苦労することが確定しますが)。
横レスですが、私は書き写すのが遅い子だったので、板書をノートに書き写させるというスタイルには激しく反対します。
私は勉強が好きな学生でしたが、内容がよくわからないから調べたい/考えたいのに、先生がすばやく黒板に書いては消していくから、必死になって写さざるえない→写すのも間に合わなければ内容もよくわからない、という場面を何百回も体験させられました。ですので、板書を写すというのは百害あって一利なし、ノートに写させただけで勉強させた気になってる、先生の自己満足の代物でしかないと感じます。
「スマホで撮っただけで終わり」な人は「ノートに書き写したら終わり」です。勉強しないことに変わりはありません。そんな人たちのために、真面目に勉強したかった私たちを踏みにじらないでください。
なぜ黒板の板書を消される前に「まだ写し終わってない」ことを告げて消すのを止められないのか。なぜ勉強好きなのに後から質問しにいくこともできないのか(経験的に、授業中にできなかったもっと深い話まで喜んでしてくれる教員が多いと思いますよ)。なぜ教科書の予復習をしないのか。他の大部分の学生の権利を奪おうとしてますよ。個人指導塾みたいなところならあなたのいう主張もごもっともだと思うが、1人の教員で数十人を相手にする講義でそれをやっても、理解できた学生が減るだけ。その究極がゆとり教育じゃないですか(本来の趣旨は知った上で、日教組連中がサボる口実にうまく活用した感がすごくあるが)。(やる気がなかろうが授業料払って来ている限り、平等に扱わなければいけないのが講義形式における教員の立場)本音をいえば、やる気ない学生は切り捨ててやる気のある子だけを相手に深く面白く授業したいんだけどね・・・。
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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである
黒板は (スコア:0)
いい加減デジタル化したほうがいいかもね。(カネがあればだが)
でも、俺らが言うと説得力ないが、
子どもの手元では手書きで勉強しなきゃダメだよ。
タブレットの手書きなんか、コピペや変換しちゃうじゃん。
紙ノートと同じ使い勝手を実現する教育用タブレットでも作るならそれもいいけど。
子どもに運動させないといけないのと同じで、
手書きも覚えさせないとダメ。
Re: (スコア:1)
Re: (スコア:1)
きれいにまとまった「板書」をいくら「そのまま写して」も頭には入らない。
先生がその場で書き上げた「板書」を「整理しながら」ノートに書くことで頭に入る。別に機械的に写したってなんの意味もない。
だからPowerPointみたなのを使ったプレゼン形式の授業は子供のためになってない。
と思います(大学に10年ほどいるもんで、最近はそういう境地に最近辿り着きつつあります)。
#ただ、うちの弟様(ガチ文系)は「本なんて眺めてれば頭に入る」と仰るので(そしてしっかり覚えてるんだよなぁ・・・)、頭の構造がたぶん違うのだろう。
#あと、字が汚い板書はやっぱりカンベンしてほしい・・・。
Re: (スコア:1)
講義などビデオで構わない。板書など講義ノートの配布で済ますべき。それに対する学生の質問と教師の回答のほうがずっと大事だと主張したい。講義に出て綺麗なノートを作っていても、何らの質問をしない学生の単位など不可にしてもいいぐらいだと主張したい。
Re:黒板は (スコア:1)
前半は私と同じことを仰っているように見えますが(写経に意味などほぼない・・・どうしても暗記しないといけないものを除く)、その後が真逆の結論のように見えますので、書いた意図をきちんと説明します。
私の経験的には、最近は子供達のほとんどが結局、「ノートは書いたら終わり」なんですよ。だから「講義ノートを配布した」ら「受け取って終わり」。それでは「理解」なんて出来るわけがない。
もっとひどい例では、最近の大学生はPowerPointでプレゼン形式の講義なんてやったら「スマホで写真を取り出す」んです。これではその場では何も考えない。
試験に出るであろう内容が講義ノートでも写真でも他人のノートのコピーでもなんでもいいけど手元にあれば「それだけで安心」してしまう。で、試験前に「丸暗記しようとして」理解もできなきゃ試験もできない学生を山ほど見てきてます。
そんなわけで、理想的には「その場で」「理解までこぎ着けてもらう」ことが要求されるのが教育の現場なのだと思っています。
まぁ、現実問題として限られた時間の中で100%理解させることなんて無理ですけどね。でも「あとで見直せば理解できる」程度にはその場で考えさせる必要があります。で、「あとで見直す」ことを半強制するためには、課題を出すことも有効(ただし後でチェックする教員は苦労することが確定しますが)。
黒板を写させるのは、百害あって一利なし (スコア:0)
横レスですが、私は書き写すのが遅い子だったので、板書をノートに書き写させるというスタイルには激しく反対します。
私は勉強が好きな学生でしたが、内容がよくわからないから調べたい/考えたいのに、先生がすばやく黒板に書いては消していくから、必死になって写さざるえない→写すのも間に合わなければ内容もよくわからない、という場面を何百回も体験させられました。
ですので、板書を写すというのは百害あって一利なし、ノートに写させただけで勉強させた気になってる、先生の自己満足の代物でしかないと感じます。
「スマホで撮っただけで終わり」な人は「ノートに書き写したら終わり」です。勉強しないことに変わりはありません。
そんな人たちのために、真面目に勉強したかった私たちを踏みにじらないでください。
Re: (スコア:0)
なぜ黒板の板書を消される前に「まだ写し終わってない」ことを告げて消すのを止められないのか。なぜ勉強好きなのに後から質問しにいくこともできないのか(経験的に、授業中にできなかったもっと深い話まで喜んでしてくれる教員が多いと思いますよ)。なぜ教科書の予復習をしないのか。
他の大部分の学生の権利を奪おうとしてますよ。
個人指導塾みたいなところならあなたのいう主張もごもっともだと思うが、1人の教員で数十人を相手にする講義でそれをやっても、理解できた学生が減るだけ。その究極がゆとり教育じゃないですか(本来の趣旨は知った上で、日教組連中がサボる口実にうまく活用した感がすごくあるが)。
(やる気がなかろうが授業料払って来ている限り、平等に扱わなければいけないのが講義形式における教員の立場)
本音をいえば、やる気ない学生は切り捨ててやる気のある子だけを相手に深く面白く授業したいんだけどね・・・。