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ザハ最後の作品になりそうな建築物
規制と制約で無難なスタジアムになりそうだった新国立競技場よりは、ザハらしい建築物になりそう。
日本で唯一、ザハのデザインを見ることができた
国立競技場ですが、たしかに、シュリンク無しでザハ案がそのまんま実現していたら、ザハ氏の最後の代表作となったんでしょうねえ。
今の日本国民には、そこまでの器が無かったということですね。で、無理を通そうとした責任者のはずの安藤忠雄氏も、問題視されると、抗弁すること無く、僕しーらない、って逃げ出したし。これが現実。
まあ財力も器を構成する一要素か
ほんと近ごろの日本には「貧すれば鈍する」ということわざがぴったり
国民の器じゃなくて、文字通り土地としてハディト氏の建物を収められる器が無かったんだな。敷地に収まらん物をデザイン案として出してくる方もどうかと思うが、コンペでそれを選んじゃう方はもっとアレだ。で、仕切り直しでやった2回目も、選んだものに聖火台の置きようがないとか、あほの集まりか。
日本国民の自浄能力を世界に示した、素晴らしい一件でした。
思いの外、たくさんの返信があったので、補足します。
恥ずかしながら、ザハ案の問題は予算だけだと思っていたので、物理的に無理なのだとしたらザハ案はナンセンスとなりますが、以下、予算だけだと思っていた立場から述べさせていただきます。(地下鉄のコースの微変更ならばやろうと思えばやれますよね)
また、実は、私も一連の騒動でザハ案が却下されたのを歓迎した一人です。しかし、出てきた代案の中途半端さを思うと、高くついたとしても、ザハ案のほうが個性的で良いように思えてきました。ザハ案はザハ案で魅力があったのです。
ザハ案の問題点は審査委員は理解していたはずだと思います。そもそも、それを審査するための審査委員ですから。それでもザハ案を推したということは、それだけの魅力を感じたということです。ならば、騒がれたときに、そのことを説明するのが基本だと思います。「ルール違反だがそれに見合うだけの魅力がザハ案にはあります」といった感じで。説明して、その思いが国民に伝われば、ザハ案を支持する国民も出てきたかもしれません。
実際は、安藤忠雄氏をはじめとして、関係者のだれからも、ザハ案の良さを説く人は現れませんでした。ザハ案のために手間を惜しまない、夢を説く人が出てこなかったのです。しかし、仮にそのような人が出てきたとしても、国民の側にもそういう人を受け止めることができたかどうか、大いに疑問です。その辺りをひっくるめて、今の日本国民の「器」なんだなと思います。本件を含めて、東京五輪が、悪い意味で現在の日本の水準を明らかにする、リトマス試験紙となっているように感じます。
ちなみにですが、私は #2990214 のリンク先の記事に説得力を感じるのですが、そうだとしたら、ザハ案を擁護するどころか、足蹴にしたようなものですね。だとしたら・・・
さらに考えてみました。
建設費が高く付いた公共投資として、瀬戸大橋、明石海峡大橋、東京湾アクアラインなどが挙げられます。これらは、当初は、高すぎる建設費が災いして、通行料が高く設定され、利用者が少なかったのですが、ここ最近は料金も値下げされて利用者が増えてます。今となったら、これらを「無駄な公共投資」という人は少ないんじゃないかと思います。これは、 建設費を利用者にまるまるかぶせる → 利用者が減る → 施設が活用されないという本末転倒な事態に陥るより、 (税金から持ち出しが生じてでも)利用料金を下る → 利用者を増やす → 施設が生み出す効果を最大化するほうが、長い目で見て優れているということを示唆しているように感じます。
新国立競技場は、当初はサッカーやラグビーの国際大会まで対応した、あれもできる、これもできる、という欲張りな設計でした。それがコスト増につながり、国民に反発され、仕様の縮退につながり、結果として、あれもできない、これもできない、スタジアムになってしまいました。しかし、新国立競技場は都内の一等地に位置することを考えると、活用しないこと自体が無駄、に思えてきました。立地条件を活かし、使えば使うほど、スポーツや文化の振興に貢献できます。つまり、(コスト増になって税金から大量の持ち出しが発生したとしても)当初案のように多目的化して施設の稼働率を高めるやりかたのほうが正しかったように思えてきました。なんといっても、スポーツや文化の振興といったメリットはプライスレスですから。
(しつこいようですが)このように発想しなかったのが、現在の日本人の「器」なのだと思います。
大幅に予算オーバーしてるのに器もなにもないだろ
どうぞhttp://matome.naver.jp/odai/2143668538426704101 [naver.jp]
あくまで一面的な見方だけどね
工学的に見れば、長手方向に梁を渡すのはナンセンス。重力のモーメントから生じる応力を同じにするためには、梁の重さが長さの3乗に比例します。アーチ構造で軽減しているのかもしれませんが、地面を横に押す力が生じます。それも角度が浅いのでアーチの重量の数倍の力がかかります。その横の力を支える鉄筋コンクリートの重さは横力より大きくなります。結論: 建築家を信じてはいけない。かれらは芸術家で、優れた建築家とは、客をだまして作りたいものを作ることができる人である。ついでの結論 環境学者を信じてはいけない。やたら意識が高く、現実的なことを考えていない。 憲法学者を信じてはいけない。思想が先で、憲法が後である。
設計に関してはコンピューターで応力計算が出来るので騙しは無いかと
二本の橋を架けてそこを観客席にしているだけなので、別段おかしくも無いのでは?
別に壊れはしないと思いますが、合理的でないため値段が高くなるだけです。あのキールは2万トンもあるのですよ。横力を支えるコンクリートブロックはそれより重いと思います。そして、地盤が弱いから集中させるという発想も信じられません。力を分散させるべきと思います。さらに集中させようとすれば構造物は重くなります。個人的には鉄筋コンクリートで柱を作ったB案にすればと思います。何で木を使うのかわかりません。
リンク先にてアーチで屋根を支えている競技場の実例が紹介されてましたし、橋梁のアーチの曲がり具合もこの程度だと思いますので、私もリンク先の記事に説得力を感じましたね。
こちらの記事の後半、私は専門家ではないので信憑性はわかりませんが…http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-11999776557.html [ameblo.jp]アーチが地面を横に押す力に対処するために、地下にアーチと同規模の巨大なタイバーを設ける羽目になったとある。これが事実であれば、最初のザハ案の時点で、構造設計のことなどまるで考えていなかったことになる。
とりあえず,スパンを縦にわたす合理性なんてない。面白味はないけれど、シンガポールの国立競技場、5万人規模、開閉屋根、空調付き、サッカー時には客席が移動、1500億円程度のhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%... [wikipedia.org]みたいなものが合理的と思います。
せっかくだから、ネタ追加
http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/02/ryuji-fujimura-talks-on-new-na... [huffingtonpost.jp]
ゴタゴタの経緯については恥ずべきことだが、このタイミングでお亡くなりになってしまわれたとなると、やはり選んでたら困ったことになっていた気はする。
チームだから何とかなるとは思いたいですが、選んでいたら困ってたろうねぇ
地下鉄つぶさないと作れない建造物がそんなに必要でした?
まだ、あんな似非建築屋のいうこと信じてるやついるんだ…あの人、土木関係は経験も知識もほとんどないぜ?
金も土地も、なにもないところから無限に湧きだしてくるわけじゃないんですよ?敷地内に収まらず、予算にも収まらず。それでもなおあのデザインを無理矢理採用しなければならない理由はどこにありますか?
採用した選考委員会のアホさ加減と同じ位、あのデザインを妄信するバカどもは救いようが無い。
ザハ・ハディド氏の建築物って何がそんなに良いの?コストエフェクティブじゃない、その一点で論外。
「器」とか言う曖昧な言葉で、多数発生した問題点をまるで卑小なことのように表現するのは止めて欲しい。
// こういう言葉遊びで物事を語る人が増えたせいで、様々な問題が適切な順位で解決されづらくなってる。
器という言葉で問題点が卑小化されると?少し違うような気がする。大元が腐ってきてるから、表面化した問題に個別に取り組んでもただのもぐらたたきにしかならないんじゃね?と言いたいんじゃないかと思った。これも一種の思考停止ではあるが。
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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
最後の作品 (スコア:3, 参考になる)
ザハ最後の作品になりそうな建築物
規制と制約で無難なスタジアムになりそうだった新国立競技場よりは、ザハらしい建築物になりそう。
日本で唯一、ザハのデザインを見ることができた
Re:最後の作品 (スコア:1)
国立競技場ですが、たしかに、シュリンク無しでザハ案がそのまんま実現していたら、
ザハ氏の最後の代表作となったんでしょうねえ。
今の日本国民には、そこまでの器が無かったということですね。
で、無理を通そうとした責任者のはずの安藤忠雄氏も、
問題視されると、抗弁すること無く、僕しーらない、って逃げ出したし。
これが現実。
Re:最後の作品 (スコア:2)
まあ財力も器を構成する一要素か
Re: (スコア:0)
ほんと近ごろの日本には「貧すれば鈍する」ということわざがぴったり
Re:最後の作品 (スコア:1)
国民の器じゃなくて、文字通り土地としてハディト氏の建物を収められる器が無かったんだな。
敷地に収まらん物をデザイン案として出してくる方もどうかと思うが、コンペでそれを選んじゃう方はもっとアレだ。
で、仕切り直しでやった2回目も、選んだものに聖火台の置きようがないとか、あほの集まりか。
Re:最後の作品 (スコア:1)
日本国民の自浄能力を世界に示した、素晴らしい一件でした。
Re:最後の作品 (スコア:1)
思いの外、たくさんの返信があったので、補足します。
恥ずかしながら、ザハ案の問題は予算だけだと思っていたので、物理的に無理なのだとしたらザハ案はナンセンスとなりますが、以下、予算だけだと思っていた立場から述べさせていただきます。(地下鉄のコースの微変更ならばやろうと思えばやれますよね)
また、実は、私も一連の騒動でザハ案が却下されたのを歓迎した一人です。しかし、出てきた代案の中途半端さを思うと、高くついたとしても、ザハ案のほうが個性的で良いように思えてきました。ザハ案はザハ案で魅力があったのです。
ザハ案の問題点は審査委員は理解していたはずだと思います。そもそも、それを審査するための審査委員ですから。それでもザハ案を推したということは、それだけの魅力を感じたということです。ならば、騒がれたときに、そのことを説明するのが基本だと思います。「ルール違反だがそれに見合うだけの魅力がザハ案にはあります」といった感じで。説明して、その思いが国民に伝われば、ザハ案を支持する国民も出てきたかもしれません。
実際は、安藤忠雄氏をはじめとして、関係者のだれからも、ザハ案の良さを説く人は現れませんでした。ザハ案のために手間を惜しまない、夢を説く人が出てこなかったのです。しかし、仮にそのような人が出てきたとしても、国民の側にもそういう人を受け止めることができたかどうか、大いに疑問です。その辺りをひっくるめて、今の日本国民の「器」なんだなと思います。本件を含めて、東京五輪が、悪い意味で現在の日本の水準を明らかにする、リトマス試験紙となっているように感じます。
ちなみにですが、私は #2990214 のリンク先の記事に説得力を感じるのですが、そうだとしたら、ザハ案を擁護するどころか、足蹴にしたようなものですね。だとしたら・・・
Re:最後の作品 (スコア:1)
さらに考えてみました。
建設費が高く付いた公共投資として、瀬戸大橋、明石海峡大橋、東京湾アクアラインなどが挙げられます。これらは、当初は、高すぎる建設費が災いして、通行料が高く設定され、利用者が少なかったのですが、ここ最近は料金も値下げされて利用者が増えてます。今となったら、これらを「無駄な公共投資」という人は少ないんじゃないかと思います。これは、
建設費を利用者にまるまるかぶせる → 利用者が減る → 施設が活用されない
という本末転倒な事態に陥るより、
(税金から持ち出しが生じてでも)利用料金を下る → 利用者を増やす → 施設が生み出す効果を最大化する
ほうが、長い目で見て優れているということを示唆しているように感じます。
新国立競技場は、当初はサッカーやラグビーの国際大会まで対応した、あれもできる、これもできる、という欲張りな設計でした。それがコスト増につながり、国民に反発され、仕様の縮退につながり、結果として、あれもできない、これもできない、スタジアムになってしまいました。しかし、新国立競技場は都内の一等地に位置することを考えると、活用しないこと自体が無駄、に思えてきました。立地条件を活かし、使えば使うほど、スポーツや文化の振興に貢献できます。つまり、(コスト増になって税金から大量の持ち出しが発生したとしても)当初案のように多目的化して施設の稼働率を高めるやりかたのほうが正しかったように思えてきました。なんといっても、スポーツや文化の振興といったメリットはプライスレスですから。
(しつこいようですが)このように発想しなかったのが、現在の日本人の「器」なのだと思います。
Re: (スコア:0)
大幅に予算オーバーしてるのに器もなにもないだろ
Re: (スコア:0)
どうぞ
http://matome.naver.jp/odai/2143668538426704101 [naver.jp]
あくまで一面的な見方だけどね
Re:最後の作品 (スコア:3, すばらしい洞察)
工学的に見れば、長手方向に梁を渡すのはナンセンス。重力のモーメントから生じる応力を同じにするためには、梁の重さが長さの3乗に比例します。
アーチ構造で軽減しているのかもしれませんが、地面を横に押す力が生じます。それも角度が浅いのでアーチの重量の数倍の力がかかります。
その横の力を支える鉄筋コンクリートの重さは横力より大きくなります。
結論:
建築家を信じてはいけない。かれらは芸術家で、優れた建築家とは、客をだまして作りたいものを作ることができる人である。
ついでの結論
環境学者を信じてはいけない。やたら意識が高く、現実的なことを考えていない。
憲法学者を信じてはいけない。思想が先で、憲法が後である。
Re: (スコア:0)
設計に関してはコンピューターで応力計算が出来るので騙しは無いかと
二本の橋を架けてそこを観客席にしているだけなので、別段おかしくも無いのでは?
Re:最後の作品 (スコア:2)
別に壊れはしないと思いますが、合理的でないため値段が高くなるだけです。
あのキールは2万トンもあるのですよ。横力を支えるコンクリートブロックはそれより重いと思います。
そして、地盤が弱いから集中させるという発想も信じられません。力を分散させるべきと思います。
さらに集中させようとすれば構造物は重くなります。
個人的には鉄筋コンクリートで柱を作ったB案にすればと思います。何で木を使うのかわかりません。
Re:最後の作品 (スコア:1)
リンク先にてアーチで屋根を支えている競技場の実例が紹介されてましたし、
橋梁のアーチの曲がり具合もこの程度だと思いますので、
私もリンク先の記事に説得力を感じましたね。
Re: (スコア:0)
こちらの記事の後半、私は専門家ではないので信憑性はわかりませんが…
http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-11999776557.html [ameblo.jp]
アーチが地面を横に押す力に対処するために、地下にアーチと同規模の巨大なタイバーを設ける羽目になったとある。
これが事実であれば、最初のザハ案の時点で、構造設計のことなどまるで考えていなかったことになる。
Re:最後の作品 (スコア:2)
とりあえず,スパンを縦にわたす合理性なんてない。
面白味はないけれど、シンガポールの国立競技場、5万人規模、開閉屋根、空調付き、サッカー時には客席が移動、1500億円程度の
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%... [wikipedia.org]
みたいなものが合理的と思います。
Re: (スコア:0)
せっかくだから、ネタ追加
http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/02/ryuji-fujimura-talks-on-new-na... [huffingtonpost.jp]
Re: (スコア:0)
ゴタゴタの経緯については恥ずべきことだが、
このタイミングでお亡くなりになってしまわれたとなると、やはり選んでたら困ったことになっていた気はする。
Re: (スコア:0)
チームだから何とかなるとは思いたいですが、選んでいたら困ってたろうねぇ
Re: (スコア:0)
地下鉄つぶさないと作れない建造物がそんなに必要でした?
Re: (スコア:0)
まだ、あんな似非建築屋のいうこと信じてるやついるんだ…
あの人、土木関係は経験も知識もほとんどないぜ?
Re: (スコア:0)
金も土地も、なにもないところから無限に湧きだしてくるわけじゃないんですよ?
敷地内に収まらず、予算にも収まらず。それでもなおあのデザインを無理矢理採用しなければならない理由はどこにありますか?
採用した選考委員会のアホさ加減と同じ位、あのデザインを妄信するバカどもは救いようが無い。
Re: (スコア:0)
ザハ・ハディド氏の建築物って何がそんなに良いの?
コストエフェクティブじゃない、その一点で論外。
Re: (スコア:0)
「器」とか言う曖昧な言葉で、多数発生した問題点をまるで卑小なことのように表現するのは止めて欲しい。
// こういう言葉遊びで物事を語る人が増えたせいで、様々な問題が適切な順位で解決されづらくなってる。
Re: (スコア:0)
器という言葉で問題点が卑小化されると?
少し違うような気がする。
大元が腐ってきてるから、表面化した問題に個別に取り組んでもただのもぐらたたきにしかならないんじゃね?と言いたいんじゃないかと思った。
これも一種の思考停止ではあるが。