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で、アクセス数が「質」と(正の)相関をしてるってわけでもないでしょう、というのは webにおいて大昔から知られている事実かと。
必要があれば質が低くてもアクセスするし、公開されてなければアクセスしようがありませんから、公開度とアクセス数は正の相関になると思います。同じような仕事/規模の部門間でアクセス量が大きく違えば公開度が違う可能性が考えられるだろうし、アクセス数が稼げる(読む気になる)ページを作って情報公開するのはそれ自体評価すべきことかと。
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あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
エイプリルフールはとっくに終わっているのだが… (スコア:0)
それとも SEO 業者から何か貰ったか。
必要な情報に必要な時アクセス出来ればいいのであってアクセス数なぞ関係ない。
情報公開が進めば結果的にアクセス数があがりそれが査証になると思っているなら大間違いだ。アクセス数は作られた物、業務と密接に結びついた証明になると考えているなら幻想もいいと
Re:エイプリルフールはとっくに終わっているのだが… (スコア:1)
少なくとも、高度なアクセス分析に辿り着く最初の一歩は、アクセス数を数えてみる事だと思います。
目的を達成する為の手段としては的外れですけど、手段の方向性は的外れではないと思います。
#関連するサイト全てで採用しやすい方法でもないとね。
Re:エイプリルフールはとっくに終わっているのだが… (スコア:0)
既にさまざまなアクセス解析手法が提案され、いくつかは評価も確立しているにもかかわらず、今の時点で「数」とか言い出す情報収集能力のなさが問題視されているのではないかと。
Re:エイプリルフールはとっくに終わっているのだが… (スコア:0)
Re:エイプリルフールはとっくに終わっているのだが… (スコア:1)
情報公開というものの顧客は、あえて言えば「公開される情報そのもの」(つまり公開してもらうわけね)
でありまして、一般に顧客と呼ばれる所謂アクセス者じゃないんですよね。
だから、乱暴に言えば例えば、公開した情報の頁数や行数やバイト数を数えるほうが、
まだしも「
Re:エイプリルフールはとっくに終わっているのだが… (スコア:-1, フレームのもと)
> 多くは型通りの事業案内で住民のニーズにこたえていない
ってのが記事の趣旨だろうに。
Re:エイプリルフールはとっくに終わっているのだが… (スコア:1)
>ってのが記事の趣旨だろうに。
んだから、そんなもんを趣旨とすることがまずオカシイ、という話なんだけど。
必要なのは公開された頁のバイト数、というのは言い過ぎだけど、言い直すならば
必要なのは頁の「質」でしょうね。公開すべきものを公開してるような文面(等)になっているかどうかという点。
で、アクセス数が「質」と(正の)相関をしてるってわけでもないでしょう、というのは
webにおいて大昔から知られている事実かと。
あと、嫌な話(?)だけど、「判りやすいかどうか」などの一般的に顧客重視路線と思える判定基準は、
「公開度」とは微妙にズレたオフトピな基準ですね。
#OpenSourceのライセンスみたいなものですね。アクセス可能かどうかとソースが綺麗かどうかとは別問題(笑)
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他の人も言ってるみたいだけど、「情報公開度」という言葉のここでの(国土交通省の?)定義が、まず変なんでしょうね。
アクセス数で測れるモノの中には、公開度は含まれないでしょう。明らかに。
#ん?もしや、ここで「情報公開度」という言葉が(誤って)使われてることを、気にするな、とでも仰る?
##どうもスラドって、言葉の間違いを「気にしない」ことが、何か良いことだと思ってる人がしばしば居るようで、心配です。
##あんまり何でもかんでも違いを無視しちゃったら、思考が的外れになっても気付き損ねたりしがちになるっすよ。
ところで、公開度を人事考課のネタにするのは同意できるけど、アクセス数をネタにするのは、ちと違うのでは?と思うです。
公開度で客に媚びへつらうのは多分無理だけど、アクセス数を稼ぐために媚びることは幾らでも可能だから…
Re:エイプリルフールはとっくに終わっているのだが… (スコア:1)
必要があれば質が低くてもアクセスするし、公開されてなければアクセスしようがありませんから、公開度とアクセス数は正の相関になると思います。同じような仕事/規模の部門間でアクセス量が大きく違えば公開度が違う可能性が考えられるだろうし、アクセス数が稼げる(読む気になる)ページを作って情報公開するのはそれ自体評価すべきことかと。
の
Re:エイプリルフールはとっくに終わっているのだが… (スコア:0)
> 私的には正の相関があると思ってるんですけど。同じ条件であれば、質が高い方へアクセスは流れるというのは自然な行動でしょう。
予想され得る反例
以下の2ケースを想定してみる
情報公開の内容または公開度に問題があり方々で議論になった結果アクセス数が上がった場合
十分な情報公開がなされ方々に紹介/議論になりアクセス数が上がった場合
数で括ってしまうとどちらも同じ評価として扱われる。公開度=(内容無視の)認知度と考えるならまだしも考課につなげている以上肯定的な要素しか考慮されていない。
# 例: NihonLinux、島さとしオフィシャルサイト
Re:エイプリルフールはとっくに終わっているのだが… (スコア:1)
>公開度とアクセス数は正の相関になると思います。
「公開されていなければ」は、任意の数かけるゼロはゼロである、という自明なことを言っているだけですから、
話の数に入れる意味はあまりなさそうです。
「必要があれば質が低くてもアクセスする」のほうは、公開度(俺の定義(笑)では質)とアクセス頻度が
むしろゼロや負の相関になることもあるぞ、という意味ですよね?
つまり、公開情報が欲しくて頁を見に行ったが、空振りに終わる、という残念な事態もあるわけです。
この場合、アクセス数が幾ら有っても公開度は測れないわけで。
>同じような仕事/規模の部門間でアクセス量が大きく違えば公開度が違う可能性が考えられるだろうし
色々考えられる可能性の1つに、それ(公開度)も有る、というだけですね。
うーん。いにしえより、悪貨は良貨を駆逐すると申しまして、そこが心配です。
>アクセス数が稼げる(読む気になる)ページを作って情報公開するのはそれ自体評価すべきことかと。
本題であるはずの公開情報だけが「読む気になる」物だ、と言い切れるなら話は簡単なんですけどね。
余談:
2chで祭られたら、「公開度」が高いと判断(誤認?)されるでしょうね。