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インフラ関係者なので実際に現地を視察したことがありますが
・大川小学校から海は見えないほど遠く、しかも文字通り山の向こう側にある 入江の河口からでも4km、東京ならば距離的に秋葉原や恵比寿あたりの話です。 現地に行っても「ここまで津波が来たのか…しかも数mもの高さで…」と思うような立地です。
・裏山は木々が茂り下草も子供の背丈程度あり、大人でも四つん這いでないと登れない非常に急な法面 2m間隔程度で植林されているため見通しも悪く、危険な法面を登り続けても先に拓けた箇所はありません。転落すれば直下は舗装道路ですし命の危険もあります、普段は立ち入りも禁止
大川小学校は大河川である北上川のほとりにある、標高が約10mの地点にあります。また河口から大川小学校付近までの北上川は直線状で、大川小学校付近で大きく湾曲しています。大河川は津波の誘導路になる事は周知の事実で、「ここまで津波が来たのか」とは随分と素朴過ぎる感想の様に思えます。
・裏山は木々が茂り下草も子供の背丈程度あり、大人でも四つん這いでないと登れない非常に急な法面2m間隔程度で植林されているため見通しも悪く、危険な法面を登り続けても先に拓けた箇所はありません。転落すれば直下は舗装道路ですし命の危険もあります、普段は立ち入りも禁止されている場所です。
被災直後と思われる写真(このページ [eritokyo.jp]の3枚目)を見ると、大川小学校に接した斜面は皆伐されています。皆伐されているのですから「2m間隔程度で植林」されていませんし、「下草も子供の背丈程度」どころか、地面がむき出しの状態に見えます。大体、春が遅い東北の3月初旬で、子供の背丈ほども下草が伸びるものでしょうか。
数階建ての防災センターすら跡形もなく飲み込まれるような、日頃の行政の想像を超えた非常に稀な大災害でした。後から「ここに避難していれば…」と指摘するのは容易いですが、当時の状況として「避難しきれなかったのもやむを得ない」と個人的には感じています。
明治三陸地震での津波の遡上高が最大で38mあった事を考えた場合、「日頃の行政の想像を超えた非常に稀な大災害」というのは如何なものでしょうか。行政の怠慢や想像力の欠如を指弾する意味合いなら結構ですが。怠慢や想像力の欠如を擁護するつもりなら、行政と同様に無責任極まりないですね。大体、小高くなっているとはいえ、大川小学校よりも標高が低い地点(標高4m)に避難しようという考え自体が愚劣極まりないでしょう。
大変な事実誤認がある様に思えますが、本当に現地を視察されたのでしょうか。視察されたとすれば、それは何時の事なのでしょうか。
震災前と半年後に現地に行っています。たしか斜面の伐採されている部分は落石防止のフェンスがかかっていて校庭から直接は登れなかったと思います。フェンス横の木が茂っている部分にケモノ道があってそちらが校庭から直結した登り口のようでした。
少し登れば伐採された部分にも出られるし勾配も緩やかになってそうでしたが、登り口付近は急勾配で低学年が補助なしに上がるのは難しそうだと感じました。
震災のあったのと同じ3月上旬に仙台と石巻に行きました。現地に行くと本当にまわりになにもないので、慰霊碑のすぐ隣の裏山もよく分かります(大勢の人が見に来ていました)。
撮った写真も見てみましたが(確かに半ば立ち枯れている状態ではありましたが)間伐されているわけでもないので、枯れた下草や下枝が胸の高さほどまであり、下も不整地に倒木や枝、落ち葉が積もっているので、かなりの斜面であることを加えると大人でも装備なしで気軽に分け入るのは難しいと思いました。
> 別スレでも指摘されていますが、大川小学校は「津波発生時の避難所」として県から> 指定されていました。> 大川小学校なら安全…それが当時の周辺地域における認識です、歪めないでください。
思考停止の典型例ですね。大火事の際に避難所の四方が火に包まれても、避難所を死守しますか?こんがり蒸し焼き必定でも?
津波の際の避難場所として県が大川小学校を指た定していたとすれば、それは県の怠慢、行政の不作為ですね。また教員が鵜呑みにしていとすれば、それは教員の怠慢、監督者である市と(雇用主である)県の怠慢や不作為でしょう。教員に犠牲者が出ていたとしても
> 別スレでも指摘されていますが、大川小学校は「津波発生時の避難所」として県から指定されていました。> 大川小学校なら安全…それが当時の周辺地域における認識です、歪めないでください。
大川小学校が安全という認識なら、なぜ大川小学校から別の場所へ避難したんだろう。それも、1km離れた、大川小学校よりも標高の低い川沿いの場所に向けて。
県のハザードマップを見ると、想定の津波の遡上高は5m程度に見えるが、5m以上の津波が来ないと考えたのはどういう根拠からなのだろう。
大川小学校の児童のうち、何人かは保護者に連れられ避難したが、この子達は助かっている。保護者が、大川小学校では危ないから裏山へ避難すべきだと言ったが教員は聞く耳を持たなかった、なる話が漏れ伝わって来るが、これはどういう事なのだろうか。保護者の中には、「大川小学校なら安全」の認識を持っていなかった変わった人もいたらしいね。
>県のハザードマップを見ると、想定の津波の遡上高は5m程度に見えるが、>5m以上の津波が来ないと考えたのはどういう根拠からなのだろう。
県で想定していたのは最大波高10mの津波です。それだと大川小学校までの行程の半分にも到達しない、という予想でした。
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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
東日本大震災は多くの人に現地を見て欲しい (スコア:4, 参考になる)
インフラ関係者なので実際に現地を視察したことがありますが
・大川小学校から海は見えないほど遠く、しかも文字通り山の向こう側にある
入江の河口からでも4km、東京ならば距離的に秋葉原や恵比寿あたりの話です。
現地に行っても「ここまで津波が来たのか…しかも数mもの高さで…」と思うような立地です。
・裏山は木々が茂り下草も子供の背丈程度あり、大人でも四つん這いでないと登れない非常に急な法面
2m間隔程度で植林されているため見通しも悪く、危険な法面を登り続けても先に拓けた箇所はありません。
転落すれば直下は舗装道路ですし命の危険もあります、普段は立ち入りも禁止
Re:東日本大震災は多くの人に現地を見て欲しい (スコア:2, 参考になる)
・大川小学校から海は見えないほど遠く、しかも文字通り山の向こう側にある
入江の河口からでも4km、東京ならば距離的に秋葉原や恵比寿あたりの話です。
現地に行っても「ここまで津波が来たのか…しかも数mもの高さで…」と思うような立地です。
大川小学校は大河川である北上川のほとりにある、標高が約10mの地点にあります。また河口から大川小学校付近までの北上川は直線状で、大川小学校付近で大きく湾曲しています。大河川は津波の誘導路になる事は周知の事実で、「ここまで津波が来たのか」とは随分と素朴過ぎる感想の様に思えます。
・裏山は木々が茂り下草も子供の背丈程度あり、大人でも四つん這いでないと登れない非常に急な法面
2m間隔程度で植林されているため見通しも悪く、危険な法面を登り続けても先に拓けた箇所はありません。
転落すれば直下は舗装道路ですし命の危険もあります、普段は立ち入りも禁止されている場所です。
被災直後と思われる写真(このページ [eritokyo.jp]の3枚目)を見ると、大川小学校に接した斜面は皆伐されています。皆伐されているのですから「2m間隔程度で植林」されていませんし、「下草も子供の背丈程度」どころか、地面がむき出しの状態に見えます。大体、春が遅い東北の3月初旬で、子供の背丈ほども下草が伸びるものでしょうか。
数階建ての防災センターすら跡形もなく飲み込まれるような、日頃の行政の想像を超えた非常に稀な大災害でした。
後から「ここに避難していれば…」と指摘するのは容易いですが、
当時の状況として「避難しきれなかったのもやむを得ない」と個人的には感じています。
明治三陸地震での津波の遡上高が最大で38mあった事を考えた場合、「日頃の行政の想像を超えた非常に稀な大災害」というのは如何なものでしょうか。行政の怠慢や想像力の欠如を指弾する意味合いなら結構ですが。怠慢や想像力の欠如を擁護するつもりなら、行政と同様に無責任極まりないですね。
大体、小高くなっているとはいえ、大川小学校よりも標高が低い地点(標高4m)に避難しようという考え自体が愚劣極まりないでしょう。
大変な事実誤認がある様に思えますが、本当に現地を視察されたのでしょうか。視察されたとすれば、それは何時の事なのでしょうか。
Re: (スコア:0)
震災前と半年後に現地に行っています。
たしか斜面の伐採されている部分は落石防止のフェンスがかかっていて校庭から直接は登れなかったと思います。
フェンス横の木が茂っている部分にケモノ道があってそちらが校庭から直結した登り口のようでした。
少し登れば伐採された部分にも出られるし勾配も緩やかになってそうでしたが、登り口付近は急勾配で低学年が補助なしに上がるのは難しそうだと感じました。
Re: (スコア:0)
7月に撮影したモジャモジャな風景の写真まで法廷に証拠として提出している。
あいつら事件が3月だったことすら忘れたらしい。
Re: (スコア:0)
被災直後と思われる写真(このページ [eritokyo.jp]の3枚目)を見ると、大川小学校に接した斜面は皆伐されています。皆伐されているのですから「2m間隔程度で植林」されていませんし、「下草も子供の背丈程度」どころか、地面がむき出しの状態に見えます。大体、春が遅い東北の3月初旬で、子供の背丈ほども下草が伸びるものでしょうか。
震災のあったのと同じ3月上旬に仙台と石巻に行きました。
現地に行くと本当にまわりになにもないので、慰霊碑のすぐ隣の裏山もよく分かります(大勢の人が見に来ていました)。
撮った写真も見てみましたが(確かに半ば立ち枯れている状態ではありましたが)間伐されているわけでもないので、枯れた下草や下枝が胸の高さほどまであり、下も不整地に倒木や枝、落ち葉が積もっているので、かなりの斜面であることを加えると大人でも装備なしで気軽に分け入るのは難しいと思いました。
Re: (スコア:0)
> 別スレでも指摘されていますが、大川小学校は「津波発生時の避難所」として県から
> 指定されていました。
> 大川小学校なら安全…それが当時の周辺地域における認識です、歪めないでください。
思考停止の典型例ですね。大火事の際に避難所の四方が火に包まれても、避難所を死守しますか?こんがり蒸し焼き必定でも?
津波の際の避難場所として県が大川小学校を指た定していたとすれば、それは県の怠慢、行政の不作為ですね。また教員が鵜呑みにしていとすれば、それは教員の怠慢、監督者である市と(雇用主である)県の怠慢や不作為でしょう。教員に犠牲者が出ていたとしても
Re: (スコア:0)
> 別スレでも指摘されていますが、大川小学校は「津波発生時の避難所」として県から指定されていました。
> 大川小学校なら安全…それが当時の周辺地域における認識です、歪めないでください。
大川小学校が安全という認識なら、なぜ大川小学校から別の場所へ避難したんだろう。
それも、1km離れた、大川小学校よりも標高の低い川沿いの場所に向けて。
県のハザードマップを見ると、想定の津波の遡上高は5m程度に見えるが、
5m以上の津波が来ないと考えたのはどういう根拠からなのだろう。
大川小学校の児童のうち、何人かは保護者に連れられ避難したが、
この子達は助かっている。保護者が、大川小学校では危ないから裏山へ
避難すべきだと言ったが教員は聞く耳を持たなかった、なる話が漏れ
伝わって来るが、これはどういう事なのだろうか。保護者の中には、
「大川小学校なら安全」の認識を持っていなかった変わった人もいたらしいね。
Re: (スコア:0)
>県のハザードマップを見ると、想定の津波の遡上高は5m程度に見えるが、
>5m以上の津波が来ないと考えたのはどういう根拠からなのだろう。
県で想定していたのは最大波高10mの津波です。
それだと大川小学校までの行程の半分にも到達しない、という予想でした。