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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
匿名発言は両刃 (スコア:2, 興味深い)
『贅沢は素敵だ』
…との匿名スローガンが秘かに喝采されていたという話を思い出しました。
「弾圧」から逃れるための匿名と「責任」から逃れるための匿名では、重みが違うということを感じます。
だから(一応)言論弾圧のない現在の日本では、匿名は軽く扱われるんでしょう。
Re:匿名発言は両刃 (スコア:1)
「弾圧」が今まさにそこで生じているのかどうかは、第三者からは観測不可能であることが
多い(過半数かどうかはさておき)んじゃないかなあ?
弾圧の過程が隠されることは、弾圧というものの性質上、きっと珍しくなかろう。
で、そういう時には、弾圧が「ない」にも関わらず匿名を使っている、かのように
第三者からは見えてしまうんじゃないかな。
というわけで、その匿名発言行為がほんとに「重い」かどうかは、当人(と謎の弾圧者)にしか判らないのかも知れません。
#幸運なことに大抵の場合は身軽なのでG7
ところで、
>贅沢は素敵だ
これ、今の我々から見れば確かに、重みのあるパロディ(=戦い)なんだけど、
当時の"常識"から見れば、ただの破廉恥だったんじゃないかなあ。
もちろん、あの時代の"常識"を否定することで今の我々が成り立ってるわけだから、
食い違いがあるのは当たり前なんだけど、
問題は、重いかどうかを判定する我々も、相対的な視点からしかモノを見れない、ってことかと。
そういう意味では、今の国家に潰されないように程ほどにしとけ(^^;という意見は、
よしあしはさておき、なんか相対的であって弱いよなあ、という印象がある。
うーん。他人の戦いが、自分の目に価値有るものとして映るかどうか、という問題だったりしないだろうか?
リスクを冒してでも戦い続けるべき事柄なのか、リスク回避を優先すべきなのか、の線をドコに引くべきかが、
各人の思想信条によって判定されてるという類の…