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この法案は、かなり狡猾なコンテンツ規制法になります。すでにコメントを書いている人達は、その点には 気がついてないのだろうか?
この法案の作成経過について、 タレ込みからリンクのある毎日新聞サイトでは 以前から追っていたわけですが、それによれば、 原案はコンテンツ削除や発信者情報開示について、 ISPに対して「義務づける」方向づけだったのが、 結局のところ憲法上の制約を クリアできないということで ISPが「コンテンツ削除をしやすい」、あるいは ISPが「情報開示できる」環境をつくるにとどまった、 という感じです。
まず、第3条の「損害賠償責任の免除」
発信者情報開示についても、悪意ある情報発信者が開示に同意するわけがない。これを放置すれば権利侵害に対する救済がまったく得られない状況を作ることになる。
とにかく、告発系みたいな「ある程度の人は正当性があると考えるが、否定する人もいる」情報と、プライバシー公開のように「正当性のまったくない」情報を区別して論じる必要がある。その上で我々に必要なのは
「被害者側」のための立法が全く要らない、 と言ってるわけじゃないのですけど? バランスの問題としてあまりにも 言論の自由と通信の秘密への配慮がない、ということ。
あなたも、ボーダラインのものが影響を受けることは 認めていますよね。 「萎縮効果」(chilling effect)が 生じるわけです。 で、これが、立法意図と関連がなくて、かつ 軽微なものだったら、それは「仕方無いか」ってことに なるかもしれない。でも、そういう話ではない。 chilling effectこそを狙った立法だし、 影響は軽微ではない (「致命的じゃなきゃいい」てのはおかしいぞ)。
また、 あなたが致命的でないとする理由は根拠がない。 なぜなら、この法案が成立すれば、 「被害者」はプロバイダが免責条件を満たさない処理をした場合、 従来よりも責任を問いやすくなる可能性があるからです。 最近は、名誉毀損に関する訴訟で、 昔に比べて金額が高額化していますし、 またかなり緩い条件で原告が勝つということが 続いています。 こういう流れにプロバイダが巻き込まれたら、 資本力があるところなら違うかもしれませんが、 そうでなければ、経営に影響が出るレベルの 賠償を求められてしまう可能性があります。 とくに、あなたが言及しているような 「市民運動系のプロバイダ」はそうです。 ついでにいえば、 「市民運動」的活動をつぶしてやろうと、 狙い打ちに訴訟を仕掛けてくる人達も 確実に出るでしょうね。 単に顧客を得られるかどうかではないわけです。
まあ、あなたはそういうのも 「市場経済」というのかもしれませんが、 ここでは政府が「責任」についての ルール作りをして、 その結果でお金が動いてしまうわけで、 悪影響については「市場経済」ってのは ちょっと待ったという感じだ。
法案の内容を判断して? 別のところで書いたけど、すでに成立・施行されているドイツのプロバイダ責任法案もほぼ同内容。それによってドイツで闘う労組や市民運動がなくなったという話も聞かないし、彼らが法案の廃止運動を繰り広げたという話もない。何を根拠に日本のこの法案は邪悪な意図によるもので、ドイツはそうでないという線を引くの?
さらに。極論だが、影響は致命的でなければいい。致命的でない損害には事後の賠償等で補いがつくというのが法システムを支えている根幹の前提だし(もちろん本当にはそんなことはない、失われた時間は決して帰ってこないが、それは誰が何をしても回復できない)、民主主義のプロセスそれ自体を死滅させるような規制でなければ、国民が「これはまずい」と思えば廃止することができる。仮に今回の法案で市民運動に対する損害賠償請求が多発したとして、国民の多数が「これはまずい」と判断すれば、法律改正されるだろう。この事後的統制のプロセスを信用しないのは、国民を信用しないのと同じこと。
実際には、例えば商法の株主代表訴訟規定のように、施行後に企業側から「これは何とかしてほしい」という要求が出てきても(それ自体ある程度は正当な要求だと思うけど)「市民運動」の人たちの力で跳ね返しているとか、このプロセスは有効に機能している。そこにおいてなお、多数の国民の支持を得られなかったら? そんな「市民運動」は滅びるのが当然でしょ。それこそ「市場経済」。何が悪いの?
免責条件に関する評価もおかしいと思う。免責が得られないのは、損害の発生を知り・技術的に損害発生を防止することができながら放置した場合。そんなの事後従犯なんだから責任を問われるのが当然で、実際この法律がなくても民法の一般法理で追求されえる(ニフティ事件を参照。二審だってプロバイダ責任が発生しえることは否定していない)。するとこの法律の価値は、むしろ免責を得られる条件を明示したこと。こちらの方が判例では揺れているし、十分に特定されていなかったから。
メリット評価をせずに、一部の回復可能な被害の存在を言い立てる。オルタナティブを提示することもなく、規制しなければ救済されない損害は放置する。これじゃ戦後50年政権を取れなかった野党の行動様式とまったく同じ。国民はちゃんと見ている。支持を得たいなら、「市民運動」に影響を与えない一方で救済を保障できる代替案でもきっちり提示して見せなって感じだ。
大枠、建前の部分がよければ細かい問題は目をつぶれるのか、というと違うわけです。 むしろ、大枠では反対できないような立法のなかに 問題のある仕掛けをいれた法案を出してきているのが 最近の政府のトレンドと言えます。
例えば、「個人情報保護法」といえば、 そういうもの自体が必要だということは 誰も否定しないわけです。 しかし、政府提出のものは「言論の自由」との バランスをとるという点についてあえてやらず、 また政府による民間活動へのsurvailance能力を 高める方向での立法なわけで、問題があるわけです。 今の政府は、個人情報法案以外にも 多くのメディア規制法案を準備していおり、 個別の法案ではたいしたことないようにみえても、 総合的にみれば政府法案が全て通ったあとには 「言論の自由」というものが 実質的には機能しなくなる状態が出現する可能性は 高いと思いでしょう。
それから、あなたはドイツで問題ないじゃん、 と言ってるわけだけど、 私は「ドイツのは問題ない」とは言ってない。 ドイツと日本の社会が同一でない以上 でてくる影響は限定されたり異なったりするわけだし、 また、ドイツが問題ないかといえばそんなことはない。むしろ今後が問題で、 法執行システムだけではなくて、 その外の民間部分を含めた 広範なコンテンツ規制のフレームワーク (1999年に、ベルテルスマン財団によって ドイツで開かれた会合で提示されている) というものがあって、 EUと日本政府はそういうものを推進するスタンス。 日本でいえば、インターネット協会(IAJapan)が 民間部門をやっている。 notice & take down を推進するこの法案は、 そういう規制フレームワークを 機能させるために「積極的に」活用される可能性が 高いことも考慮すべき。
免責規定については、 条件明示によって逆にそれから外れたら免責されない、 という影響が出ることのほうを問題にしているんです。 もちろん、法律の条文そのものは 「免責」を定めただけで、有責かどうかば 別に立証が必要、というのが ストレートな読み方なのだろうけど、 実際の運用ではプロバイダ有責ということについて 原告サイドの立証責任を大幅に緩和する方向に 使われる可能性は十分にある。 個人的には プロバイダは ユーザコンテンツ内容の放置について 全面的に免責されるべきだと考える (コモン・キャリアとしての地位を確立させよう!) が、それが無理にしても、 もう少しコンテンツ削除をしない方向でバランスを とるべきだと思うわけです。
あと、あなたは chilling effectを 軽視しすぎている。 本当に損害賠償をすべき類の情報発信を行った 当事者が、それを負うことになるのは、 それ自体は問題ない。 が、プロバイダは当事者ではないので、 放置についての全面的な免責がないのであれば 防御的に、実際に問題のある部分よりも広く コンテンツ削除に動く動機を持つことになり、 そしてコンテンツ削除をした場合の免責については 広く認めているこの法案に沿うなら、 実際にプロバイダはそういう方向に動くことになる。 そして、実際に賠償事例が積み上げられれば、 現実の秩序はそういう方向に動くことになる。 少なくとも、 政治家が自分のスキャンダルを報じたマスメディアを かたっぱしから告訴しているような国ではね。
「市場」について。 あなたのいう「市場」は、 規制が全く存在しない仮想の市場ではないですね。 むしろ、言論の規制に市場をつき動かす インセンティブをこの法案は与えようとしているわけ。 だから、この法案が as isで通ったらまずい、 と私は言っているわけです。 それぞれをバラバラにとらえて、 実質的な影響をみないようなあなたには、 Lessig教授の『CODE』を読むことをおすすめします。
対案については、 免責範囲の調整に加えて、例えば、 情報発信者側の権利保証をするために 「削除」や「発信者情報開示」が 行われる前に発信者側の要求で司法によるチェックが 行えるような枠組を用意する、という 形がありえるでしょうね。
ドイツについては、そういう意見なら一貫性はあると評価できる。問題は、当のドイツ人があまり問題を感じていなさそうなこととか、日本のメディア法学者のあいだでもドイツ立法の評価が比較的高いことをどう評価するか(ないのに比べれば明らかに良いから、という側面は否定できないけどね)。なぜ、「日本において」この立法はまずいのか。日本の政府はドイツに比べて邪悪だし、国民はそのような政府を民主制のプロセスで排除できないほど愚かだと言いたいのか、もともとドイツは完全な意味での言論の自由などない国だから(憲法擁護庁を見よ)日本と比較するのが誤っていると言いたいのか。ちと煽りっぽい書き方なので気に触ったら申し訳ないが、でどうなのかね。
政治家がマスメディアを訴えても、その評価は社会的に分かれている。明らかに訴えた方が馬鹿だと思われているケースもあるし、報道自体が下劣な例もある(噂の真相とかね)。下劣な報道が市場か報道内部の自浄作用で排除されるならいいけど、その仕組み作りを報道は怠ってきた。とすれば救済を求める先は司法しかない。裁判を求める権利は憲法上も保障されているもので、権利行使者の職業を理由としてそれを批判するのは人権侵害。もちろんよい提訴も悪い提訴もあるけど、それを判断するのは司法と国民。全部一緒くたにして馬鹿にする権利は、あなたにはない。
対案について。「免責範囲の調整」というのは対案になっていない。条件と範囲をどう設定するのか、そこまで詰めないと。「司法によるチェック」を要求するのは悪くないアイディアだけど、
という各ポイントから、筋のいいものとは言えませんな。てゆーか日本は大陸法国だから裁判所は基本的に法に基づいて紛争を処理する機関であって、英米みたいな実質的正義の実現機関じゃないの。幻想持ち過ぎ。
あ、それから、プロバイダをコモンキャリア視するのは無理。コモンキャリアの典型は郵便・電話だけど、これらの特徴は憲法上の検閲の禁止を守る限り内容に関するチェックが行えない点。メイルは同様の性質があるし認められる可能性もあるけど(今回の法案の対象からも除外されている)、http等による送信の場合、送信可能になった段階で言論はすでに公にされたことになる。プロバイダの責任が問題にされているのもそれ以降の段階でしょ? 憲法上の制約はないし、実質的管理可能性(と往々にしてサービス提供による対価受領)があるんだから、作為義務を認めるのはまあ常識(ニフティ事件でも肯定)。このへんの理屈がわからないなら刑法総論をやり直してください。
総論。前にも言ったような気がするのだが(このスレッドだったかな?)「使われる可能性が十分にある」とか「活用される可能性が高い」とか、じゃああんたは「使われる」あいだ何をしとんのじゃいと言いたくなる議論ばっかし。法案を読む限り、そういう使い方も(司法府もすべてグルにできれば ← 無理だ無理)可能だけど、まっとうに使われる可能性も十分にあるもの。もしこの法案どおり可決されたとして、なんかヤバゲな使い方がされたらきっと批判の市民運動とか法改正運動とかするよねえ、あなた良心的な人みた
一応。 私の論点が理解されていないようなので。
まず、Lessigをひきあいにだした点について。 誰か知らないのかってお言葉なので と調べてみると若手の法哲学者なんですね。 でも、ここで問題なのはそういう専門性の話、 じゃないんだな 。 CODEで、 Lessigは政府とビジネスセクターが手をとりあって 規制につきすすんでいることにふれています。 この法案は、そういう性質のものです。 もちろん、Lessigは国家の関与を肯定しています。 しかし、それは憲法的価値の擁護を 民主的手段を通して担保するには 国家の定める法による介入以外に手がない、 ということではないですか? あなたのように、 「もっと人を信頼しなさい」ってことは 言ってない。
で、なぜ「日本では」まずいか。 まず、この国は 国家が憲法的価値をないがしろにする ことについて甘い歴史をすでに つくってしまっている。 違憲立法審査権が裁判所にあっても、 具体的な訴訟のなかでしか 扱えないこともあるし、 また具体的事例がある場合にしても、 ほとんど審査権は機能していないと いっていいだろう。 まして、 アメリカにおける「修正一条」の強さに比べた場合の 日本における「言論の自由」条項の 実質的な弱さ、 そういうものを考えると、 私はあなたのような楽観主義には到底立てない。 日本の政府が「邪悪」でないというなら、 ほぼ一貫して政権与党でありつづける自民党 というものが「言論の自由」という価値を 本気で擁護しているぞ、という証拠があれば 教えてほしい。 むしろ、彼らはそういう憲法的価値を いかにないがしろにするか、あるいは 改憲して制限出来る方向にもっていくか、 日夜努力しているようにしか思われない。 さらに、「国民」はマスとして そういう政府を排除できていない。 どころか、ヴォルテール的に古典的な形で 言論の自由の擁護を語ったところで、 「でも~みたいなひどいのは許せない」と 簡単に排除のロジックを語る連中 ばかりじゃないか。 少なくとも「言論の自由」は少数派にこそ 必要なはずだが、多数派の自分が 不自由しなければ問題なし、という態度を とる人達があまりに多い。
政治家スキャンダルについて。 もちろん、個別のケースで裁判の受ける権利は ある。それはそうだろう。 しかし、政治家が 「訴えるぞ」と恫喝したにもかかわず 最後はそのスキャンダルが本物となり、 逮捕・起訴・有罪への道を進んでいる ケースもいくつかある。 名誉毀損について 「真実性」や「公益性」から、 違法性がなくなるわけだ。 一方、真実でなかったり、公益性のないことを 扱うゆえに情報発信者が責めを負う、 それは当り前だ。
私が問題にしているのは、 そういう「勝負」の前提となる自由が 損なわれるということだ。 「不正を暴く」側は、そのことで 商業的利益や名誉など、 なんらかの利益を期待できる。 だから「勝負」のリスクを負うことができる。 しかし、 プロバイダは単にディスクと帯域を貸している だけだ。 コンテンツの中身によるゲインは期待できない。 一方で、中身に対するリスクは負わされる ことになる。 そして、この法案はそのリスクについて、 情報発信者の利益を損なう方向について あきらかに免責の度合を大きくしている。 これは、言論の市場を歪めることになる。
対案について。 なるほど、具体的でないというのは つねに法律賛成派が反対派に行う攻撃だけど(笑)、 例えば、 第三条での、権利保持者に対して 免責としない部分の条件について、 当事者からの具体的アクションがあった場合に 限定するとか、 発信者に対する免責条件について ORじゃなくてANDにして、 でもそれだけだと 権利保持者側への責任との 間で問題がおきるから、 「やることやったよ」ということで 免責にする、などですね。 ANDにした場合、連絡のための7日というのが 緊急事例に対して長すぎるのであれば、 暫定的に「送信防止」して連絡到着後に回復、というプロトコルを限定的にとれる 形ぐらい許容できるでしょう。
司法を通すことについての批判だけど、 リソース足りないってのは、理由にならないですよね。とくにこれだけを外すのはね。 それから、 「一方の当事者に伝えない仕組みがない」 ということだけど、 情報発信者とプロバイダの間での問題として 扱うのであれば、 開示請求者は当事者でない、ということになるし、 あるいはプロバイダが開示請求について常に 「発信者情報について 秘密解除の許可を裁判所に請求する」 というスタイルをとり、 発信者は証人として意見陳述ができる (あるいは上申書のようなものを出す)、 というような形であれば 名前を出さずにいけるような。
で、コモンキャリア性の批判。 そりゃ、ここまで積み上げられてきた日本の 法秩序の上に加えるという前
最初に「誰か知らないのか」とは書いてないことを弁明したい。というか/.はそういう社会的身分とかなしの言説空間である・あるべきだと思っているので当然なんだけど、自分が誰か知っている自分にとっては割と皮肉な事態だったのでちと筆が滑りました。ちなみに一応「情報化問題をテーマとする法哲学者」です。立法とかの評価については学会でも割と少数派なので、学界全体が偏向してるとは思わないでくださいな。ちなみに今年の学会テーマは「情報社会の秩序問題」です。宣伝。
「もっと人を信用しなさい」と言いたいわけでもない。むしろ逆で、「よい法律を作れば十分」ではなく「どんな法律でも重要なのは事後的規制」だと言いたい。「誰も信用するな」と言いたい。どんな法律でも悪く使われえるし、今の法案は事後的規制が十分ならよく使われえる。試されているのはむしろ、我々の民主主義の強さ。「よい法案を作ろう」という議論は、その本質を忘却させる危険がある。仮にその民主主義プロセスに致命的影響を与える法規制なら私も反対する。今回の法案がそれに該当するかどうか、それがあなたと私の価値判断の対立点。
司法のリソース問題だけど、これだけではなくて全部をはずしているのが実情。長期的にはリソース不足を解消する方向性だけど(ロースクール化とかね)、20年くらいはかかります。司法については一定の技能を身に付けた人間しか使えないので、リソース不足は短期にはどうにもできない所与の条件と考えた方がいい。災害現場で医師が足りなくなってもその辺の人を医師にするわけにいかないでしょ?
開示請求を情報発信者・プロバイダ間関係と構成するのは私も考えたけど、「そういう事件がありました」という情報が公開されてしまうので弁護士が十分に有能なら事実上開示したのと同様になってしまうと思われる。詳しくは民事訴訟法関係の規則をかなり検討しないとわからないのだが。
コモンキャリアの判断だけど、アメリカ憲法は日本と違って検閲を明文で禁じていないはずなので、同列で語れない面あり。少なくともこの点で日本憲法は諸外国と比較して非常に言論の自由を重視した特異な立法例だとは言える(それが悪いと言うつもりはない、やや理想主義的な面はあるけど)。
あと一つだけ、これは愚痴になる。「ここまで積み上げられてきた日本の法秩序の上に加えるという前提なら」ってそうじゃないのかよ!(三村風)。いや法律家としては既存の法秩序をとりあえず所与として議論するというのは当然の前提なので、不意を突かれました。解釈論(現行の法文をどう解釈するか)と立法論(どのような法文が望ましいか)を区別せよ、ってのは法学生が叩き込まれるイロハなのだが、その手前に法秩序全体が選択対象であるという段階があったのね。いや決して馬鹿にしているわけでも責めているわけでもなくて、法律家じゃない人を相手にした話ならそういう議論の可能性を当然予測すべきだったよなあという反省。ううむ、自分でも知らんうちに随分「法学」の世界の住人になってしまっていたのだなあ(詠嘆)。精進せねば。
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
狡猾なコンテンツ規制法 (スコア:5, 興味深い)
この法案は、かなり狡猾なコンテンツ規制法になります。すでにコメントを書いている人達は、その点には 気がついてないのだろうか?
この法案の作成経過について、 タレ込みからリンクのある毎日新聞サイトでは 以前から追っていたわけですが、それによれば、 原案はコンテンツ削除や発信者情報開示について、 ISPに対して「義務づける」方向づけだったのが、 結局のところ憲法上の制約を クリアできないということで ISPが「コンテンツ削除をしやすい」、あるいは ISPが「情報開示できる」環境をつくるにとどまった、 という感じです。
まず、第3条の「損害賠償責任の免除」
Re:狡猾なコンテンツ規制法 (スコア:1)
発信者情報開示についても、悪意ある情報発信者が開示に同意するわけがない。これを放置すれば権利侵害に対する救済がまったく得られない状況を作ることになる。
とにかく、告発系みたいな「ある程度の人は正当性があると考えるが、否定する人もいる」情報と、プライバシー公開のように「正当性のまったくない」情報を区別して論じる必要がある。その上で我々に必要なのは
Takehiro OHYA
Re:狡猾なコンテンツ規制法 (スコア:2)
「被害者側」のための立法が全く要らない、 と言ってるわけじゃないのですけど? バランスの問題としてあまりにも 言論の自由と通信の秘密への配慮がない、ということ。
あなたも、ボーダラインのものが影響を受けることは 認めていますよね。 「萎縮効果」(chilling effect)が 生じるわけです。 で、これが、立法意図と関連がなくて、かつ 軽微なものだったら、それは「仕方無いか」ってことに なるかもしれない。でも、そういう話ではない。 chilling effectこそを狙った立法だし、 影響は軽微ではない (「致命的じゃなきゃいい」てのはおかしいぞ)。
また、 あなたが致命的でないとする理由は根拠がない。 なぜなら、この法案が成立すれば、 「被害者」はプロバイダが免責条件を満たさない処理をした場合、 従来よりも責任を問いやすくなる可能性があるからです。 最近は、名誉毀損に関する訴訟で、 昔に比べて金額が高額化していますし、 またかなり緩い条件で原告が勝つということが 続いています。 こういう流れにプロバイダが巻き込まれたら、 資本力があるところなら違うかもしれませんが、 そうでなければ、経営に影響が出るレベルの 賠償を求められてしまう可能性があります。 とくに、あなたが言及しているような 「市民運動系のプロバイダ」はそうです。 ついでにいえば、 「市民運動」的活動をつぶしてやろうと、 狙い打ちに訴訟を仕掛けてくる人達も 確実に出るでしょうね。 単に顧客を得られるかどうかではないわけです。
まあ、あなたはそういうのも 「市場経済」というのかもしれませんが、 ここでは政府が「責任」についての ルール作りをして、 その結果でお金が動いてしまうわけで、 悪影響については「市場経済」ってのは ちょっと待ったという感じだ。
さっぱりわからん。 (スコア:1)
法案の内容を判断して? 別のところで書いたけど、すでに成立・施行されているドイツのプロバイダ責任法案もほぼ同内容。それによってドイツで闘う労組や市民運動がなくなったという話も聞かないし、彼らが法案の廃止運動を繰り広げたという話もない。何を根拠に日本のこの法案は邪悪な意図によるもので、ドイツはそうでないという線を引くの?
さらに。極論だが、影響は致命的でなければいい。致命的でない損害には事後の賠償等で補いがつくというのが法システムを支えている根幹の前提だし(もちろん本当にはそんなことはない、失われた時間は決して帰ってこないが、それは誰が何をしても回復できない)、民主主義のプロセスそれ自体を死滅させるような規制でなければ、国民が「これはまずい」と思えば廃止することができる。仮に今回の法案で市民運動に対する損害賠償請求が多発したとして、国民の多数が「これはまずい」と判断すれば、法律改正されるだろう。この事後的統制のプロセスを信用しないのは、国民を信用しないのと同じこと。
実際には、例えば商法の株主代表訴訟規定のように、施行後に企業側から「これは何とかしてほしい」という要求が出てきても(それ自体ある程度は正当な要求だと思うけど)「市民運動」の人たちの力で跳ね返しているとか、このプロセスは有効に機能している。そこにおいてなお、多数の国民の支持を得られなかったら? そんな「市民運動」は滅びるのが当然でしょ。それこそ「市場経済」。何が悪いの?
免責条件に関する評価もおかしいと思う。免責が得られないのは、損害の発生を知り・技術的に損害発生を防止することができながら放置した場合。そんなの事後従犯なんだから責任を問われるのが当然で、実際この法律がなくても民法の一般法理で追求されえる(ニフティ事件を参照。二審だってプロバイダ責任が発生しえることは否定していない)。するとこの法律の価値は、むしろ免責を得られる条件を明示したこと。こちらの方が判例では揺れているし、十分に特定されていなかったから。
メリット評価をせずに、一部の回復可能な被害の存在を言い立てる。オルタナティブを提示することもなく、規制しなければ救済されない損害は放置する。これじゃ戦後50年政権を取れなかった野党の行動様式とまったく同じ。国民はちゃんと見ている。支持を得たいなら、「市民運動」に影響を与えない一方で救済を保障できる代替案でもきっちり提示して見せなって感じだ。
Takehiro OHYA
Re:さっぱりわからん。 (スコア:2)
大枠、建前の部分がよければ細かい問題は目をつぶれるのか、というと違うわけです。 むしろ、大枠では反対できないような立法のなかに 問題のある仕掛けをいれた法案を出してきているのが 最近の政府のトレンドと言えます。
例えば、「個人情報保護法」といえば、 そういうもの自体が必要だということは 誰も否定しないわけです。 しかし、政府提出のものは「言論の自由」との バランスをとるという点についてあえてやらず、 また政府による民間活動へのsurvailance能力を 高める方向での立法なわけで、問題があるわけです。 今の政府は、個人情報法案以外にも 多くのメディア規制法案を準備していおり、 個別の法案ではたいしたことないようにみえても、 総合的にみれば政府法案が全て通ったあとには 「言論の自由」というものが 実質的には機能しなくなる状態が出現する可能性は 高いと思いでしょう。
それから、あなたはドイツで問題ないじゃん、 と言ってるわけだけど、 私は「ドイツのは問題ない」とは言ってない。 ドイツと日本の社会が同一でない以上 でてくる影響は限定されたり異なったりするわけだし、 また、ドイツが問題ないかといえばそんなことはない。むしろ今後が問題で、 法執行システムだけではなくて、 その外の民間部分を含めた 広範なコンテンツ規制のフレームワーク (1999年に、ベルテルスマン財団によって ドイツで開かれた会合で提示されている) というものがあって、 EUと日本政府はそういうものを推進するスタンス。 日本でいえば、インターネット協会(IAJapan)が 民間部門をやっている。 notice & take down を推進するこの法案は、 そういう規制フレームワークを 機能させるために「積極的に」活用される可能性が 高いことも考慮すべき。
免責規定については、 条件明示によって逆にそれから外れたら免責されない、 という影響が出ることのほうを問題にしているんです。 もちろん、法律の条文そのものは 「免責」を定めただけで、有責かどうかば 別に立証が必要、というのが ストレートな読み方なのだろうけど、 実際の運用ではプロバイダ有責ということについて 原告サイドの立証責任を大幅に緩和する方向に 使われる可能性は十分にある。 個人的には プロバイダは ユーザコンテンツ内容の放置について 全面的に免責されるべきだと考える (コモン・キャリアとしての地位を確立させよう!) が、それが無理にしても、 もう少しコンテンツ削除をしない方向でバランスを とるべきだと思うわけです。
あと、あなたは chilling effectを 軽視しすぎている。 本当に損害賠償をすべき類の情報発信を行った 当事者が、それを負うことになるのは、 それ自体は問題ない。 が、プロバイダは当事者ではないので、 放置についての全面的な免責がないのであれば 防御的に、実際に問題のある部分よりも広く コンテンツ削除に動く動機を持つことになり、 そしてコンテンツ削除をした場合の免責については 広く認めているこの法案に沿うなら、 実際にプロバイダはそういう方向に動くことになる。 そして、実際に賠償事例が積み上げられれば、 現実の秩序はそういう方向に動くことになる。 少なくとも、 政治家が自分のスキャンダルを報じたマスメディアを かたっぱしから告訴しているような国ではね。
「市場」について。 あなたのいう「市場」は、 規制が全く存在しない仮想の市場ではないですね。 むしろ、言論の規制に市場をつき動かす インセンティブをこの法案は与えようとしているわけ。 だから、この法案が as isで通ったらまずい、 と私は言っているわけです。 それぞれをバラバラにとらえて、 実質的な影響をみないようなあなたには、 Lessig教授の『CODE』を読むことをおすすめします。
対案については、 免責範囲の調整に加えて、例えば、 情報発信者側の権利保証をするために 「削除」や「発信者情報開示」が 行われる前に発信者側の要求で司法によるチェックが 行えるような枠組を用意する、という 形がありえるでしょうね。
ちと笑う。 (スコア:1)
ドイツについては、そういう意見なら一貫性はあると評価できる。問題は、当のドイツ人があまり問題を感じていなさそうなこととか、日本のメディア法学者のあいだでもドイツ立法の評価が比較的高いことをどう評価するか(ないのに比べれば明らかに良いから、という側面は否定できないけどね)。なぜ、「日本において」この立法はまずいのか。日本の政府はドイツに比べて邪悪だし、国民はそのような政府を民主制のプロセスで排除できないほど愚かだと言いたいのか、もともとドイツは完全な意味での言論の自由などない国だから(憲法擁護庁を見よ)日本と比較するのが誤っていると言いたいのか。ちと煽りっぽい書き方なので気に触ったら申し訳ないが、でどうなのかね。
政治家がマスメディアを訴えても、その評価は社会的に分かれている。明らかに訴えた方が馬鹿だと思われているケースもあるし、報道自体が下劣な例もある(噂の真相とかね)。下劣な報道が市場か報道内部の自浄作用で排除されるならいいけど、その仕組み作りを報道は怠ってきた。とすれば救済を求める先は司法しかない。裁判を求める権利は憲法上も保障されているもので、権利行使者の職業を理由としてそれを批判するのは人権侵害。もちろんよい提訴も悪い提訴もあるけど、それを判断するのは司法と国民。全部一緒くたにして馬鹿にする権利は、あなたにはない。
対案について。「免責範囲の調整」というのは対案になっていない。条件と範囲をどう設定するのか、そこまで詰めないと。「司法によるチェック」を要求するのは悪くないアイディアだけど、
という各ポイントから、筋のいいものとは言えませんな。てゆーか日本は大陸法国だから裁判所は基本的に法に基づいて紛争を処理する機関であって、英米みたいな実質的正義の実現機関じゃないの。幻想持ち過ぎ。
あ、それから、プロバイダをコモンキャリア視するのは無理。コモンキャリアの典型は郵便・電話だけど、これらの特徴は憲法上の検閲の禁止を守る限り内容に関するチェックが行えない点。メイルは同様の性質があるし認められる可能性もあるけど(今回の法案の対象からも除外されている)、http等による送信の場合、送信可能になった段階で言論はすでに公にされたことになる。プロバイダの責任が問題にされているのもそれ以降の段階でしょ? 憲法上の制約はないし、実質的管理可能性(と往々にしてサービス提供による対価受領)があるんだから、作為義務を認めるのはまあ常識(ニフティ事件でも肯定)。このへんの理屈がわからないなら刑法総論をやり直してください。
総論。前にも言ったような気がするのだが(このスレッドだったかな?)「使われる可能性が十分にある」とか「活用される可能性が高い」とか、じゃああんたは「使われる」あいだ何をしとんのじゃいと言いたくなる議論ばっかし。法案を読む限り、そういう使い方も(司法府もすべてグルにできれば ← 無理だ無理)可能だけど、まっとうに使われる可能性も十分にあるもの。もしこの法案どおり可決されたとして、なんかヤバゲな使い方がされたらきっと批判の市民運動とか法改正運動とかするよねえ、あなた良心的な人みた
Takehiro OHYA
そろそろ表からは消えかかってるが (スコア:2)
一応。 私の論点が理解されていないようなので。
まず、Lessigをひきあいにだした点について。 誰か知らないのかってお言葉なので と調べてみると若手の法哲学者なんですね。 でも、ここで問題なのはそういう専門性の話、 じゃないんだな 。 CODEで、 Lessigは政府とビジネスセクターが手をとりあって 規制につきすすんでいることにふれています。 この法案は、そういう性質のものです。 もちろん、Lessigは国家の関与を肯定しています。 しかし、それは憲法的価値の擁護を 民主的手段を通して担保するには 国家の定める法による介入以外に手がない、 ということではないですか? あなたのように、 「もっと人を信頼しなさい」ってことは 言ってない。
で、なぜ「日本では」まずいか。 まず、この国は 国家が憲法的価値をないがしろにする ことについて甘い歴史をすでに つくってしまっている。 違憲立法審査権が裁判所にあっても、 具体的な訴訟のなかでしか 扱えないこともあるし、 また具体的事例がある場合にしても、 ほとんど審査権は機能していないと いっていいだろう。 まして、 アメリカにおける「修正一条」の強さに比べた場合の 日本における「言論の自由」条項の 実質的な弱さ、 そういうものを考えると、 私はあなたのような楽観主義には到底立てない。 日本の政府が「邪悪」でないというなら、 ほぼ一貫して政権与党でありつづける自民党 というものが「言論の自由」という価値を 本気で擁護しているぞ、という証拠があれば 教えてほしい。 むしろ、彼らはそういう憲法的価値を いかにないがしろにするか、あるいは 改憲して制限出来る方向にもっていくか、 日夜努力しているようにしか思われない。 さらに、「国民」はマスとして そういう政府を排除できていない。 どころか、ヴォルテール的に古典的な形で 言論の自由の擁護を語ったところで、 「でも~みたいなひどいのは許せない」と 簡単に排除のロジックを語る連中 ばかりじゃないか。 少なくとも「言論の自由」は少数派にこそ 必要なはずだが、多数派の自分が 不自由しなければ問題なし、という態度を とる人達があまりに多い。
政治家スキャンダルについて。 もちろん、個別のケースで裁判の受ける権利は ある。それはそうだろう。 しかし、政治家が 「訴えるぞ」と恫喝したにもかかわず 最後はそのスキャンダルが本物となり、 逮捕・起訴・有罪への道を進んでいる ケースもいくつかある。 名誉毀損について 「真実性」や「公益性」から、 違法性がなくなるわけだ。 一方、真実でなかったり、公益性のないことを 扱うゆえに情報発信者が責めを負う、 それは当り前だ。
私が問題にしているのは、 そういう「勝負」の前提となる自由が 損なわれるということだ。 「不正を暴く」側は、そのことで 商業的利益や名誉など、 なんらかの利益を期待できる。 だから「勝負」のリスクを負うことができる。 しかし、 プロバイダは単にディスクと帯域を貸している だけだ。 コンテンツの中身によるゲインは期待できない。 一方で、中身に対するリスクは負わされる ことになる。 そして、この法案はそのリスクについて、 情報発信者の利益を損なう方向について あきらかに免責の度合を大きくしている。 これは、言論の市場を歪めることになる。
対案について。 なるほど、具体的でないというのは つねに法律賛成派が反対派に行う攻撃だけど(笑)、 例えば、 第三条での、権利保持者に対して 免責としない部分の条件について、 当事者からの具体的アクションがあった場合に 限定するとか、 発信者に対する免責条件について ORじゃなくてANDにして、 でもそれだけだと 権利保持者側への責任との 間で問題がおきるから、 「やることやったよ」ということで 免責にする、などですね。 ANDにした場合、連絡のための7日というのが 緊急事例に対して長すぎるのであれば、 暫定的に「送信防止」して連絡到着後に回復、というプロトコルを限定的にとれる 形ぐらい許容できるでしょう。
司法を通すことについての批判だけど、 リソース足りないってのは、理由にならないですよね。とくにこれだけを外すのはね。 それから、 「一方の当事者に伝えない仕組みがない」 ということだけど、 情報発信者とプロバイダの間での問題として 扱うのであれば、 開示請求者は当事者でない、ということになるし、 あるいはプロバイダが開示請求について常に 「発信者情報について 秘密解除の許可を裁判所に請求する」 というスタイルをとり、 発信者は証人として意見陳述ができる (あるいは上申書のようなものを出す)、 というような形であれば 名前を出さずにいけるような。
で、コモンキャリア性の批判。 そりゃ、ここまで積み上げられてきた日本の 法秩序の上に加えるという前
いやすっかり消えているのだが。 (スコア:1)
最初に「誰か知らないのか」とは書いてないことを弁明したい。というか/.はそういう社会的身分とかなしの言説空間である・あるべきだと思っているので当然なんだけど、自分が誰か知っている自分にとっては割と皮肉な事態だったのでちと筆が滑りました。ちなみに一応「情報化問題をテーマとする法哲学者」です。立法とかの評価については学会でも割と少数派なので、学界全体が偏向してるとは思わないでくださいな。ちなみに今年の学会テーマは「情報社会の秩序問題」です。宣伝。
「もっと人を信用しなさい」と言いたいわけでもない。むしろ逆で、「よい法律を作れば十分」ではなく「どんな法律でも重要なのは事後的規制」だと言いたい。「誰も信用するな」と言いたい。どんな法律でも悪く使われえるし、今の法案は事後的規制が十分ならよく使われえる。試されているのはむしろ、我々の民主主義の強さ。「よい法案を作ろう」という議論は、その本質を忘却させる危険がある。仮にその民主主義プロセスに致命的影響を与える法規制なら私も反対する。今回の法案がそれに該当するかどうか、それがあなたと私の価値判断の対立点。
司法のリソース問題だけど、これだけではなくて全部をはずしているのが実情。長期的にはリソース不足を解消する方向性だけど(ロースクール化とかね)、20年くらいはかかります。司法については一定の技能を身に付けた人間しか使えないので、リソース不足は短期にはどうにもできない所与の条件と考えた方がいい。災害現場で医師が足りなくなってもその辺の人を医師にするわけにいかないでしょ?
開示請求を情報発信者・プロバイダ間関係と構成するのは私も考えたけど、「そういう事件がありました」という情報が公開されてしまうので弁護士が十分に有能なら事実上開示したのと同様になってしまうと思われる。詳しくは民事訴訟法関係の規則をかなり検討しないとわからないのだが。
コモンキャリアの判断だけど、アメリカ憲法は日本と違って検閲を明文で禁じていないはずなので、同列で語れない面あり。少なくともこの点で日本憲法は諸外国と比較して非常に言論の自由を重視した特異な立法例だとは言える(それが悪いと言うつもりはない、やや理想主義的な面はあるけど)。
あと一つだけ、これは愚痴になる。「ここまで積み上げられてきた日本の法秩序の上に加えるという前提なら」ってそうじゃないのかよ!(三村風)。いや法律家としては既存の法秩序をとりあえず所与として議論するというのは当然の前提なので、不意を突かれました。解釈論(現行の法文をどう解釈するか)と立法論(どのような法文が望ましいか)を区別せよ、ってのは法学生が叩き込まれるイロハなのだが、その手前に法秩序全体が選択対象であるという段階があったのね。いや決して馬鹿にしているわけでも責めているわけでもなくて、法律家じゃない人を相手にした話ならそういう議論の可能性を当然予測すべきだったよなあという反省。ううむ、自分でも知らんうちに随分「法学」の世界の住人になってしまっていたのだなあ(詠嘆)。精進せねば。
Takehiro OHYA