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あのー、こういう「遺構が地下4メートルから発見」というのがよくわからないのですが、当時よりも今の地面の場所は4メートル高くなっているのでしょうか。それとも地盤沈下して高さはあまり変わらないのでしょうか。
子供のころ、縄文土器の出土する貝塚が近所にあって丘の上なのに不思議と思っていましたが、縄文海進をしらなかったからなのでそれは仕方ないと思っています。メソポタミアなどは町があったところはつぶして上に建てるから丘になると聞いたことがあって、それは理解できますが、日本の地下数メートルみたいなのはどうなってるのかなーと。
(1)遺跡なぜ地下に?https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken01.html [nabunken.go.jp]> 理由の一つは、腐植土です。落ち葉や枯れ草などの植物が分解され、腐植土となって積もり、地下に埋もれていったと考えられます。ちりも積もれば山となる。1年に0・5ミリ積もれば、1300年で65センチにもなります。
> 平城宮跡や藤原宮跡を掘ると、まず田や畑の土が出てきます。この田畑の土のさらに下が、古代の層です。平城宮や藤原宮が都でなくなると、急速に田畑になりました。> 田畑を作るときには、平らにするために土を盛ったり、耕作に適した土を運び込んだりします。こうして遺跡は埋まっていったのです。
ずっと人が住んでいて賑わっていたところでなければ、火山噴火の堆積物が少しずつ積もることもあるでしょう日本では都市部でも何度も大火があれば灰が少しずつ積もっていくでしょうし
川沿いだし洪水で埋まっちゃったとか?京都は掘ると遺跡が出るとか面倒だから工事現場では取りあえず埋めちゃうとかもよく聞くし工事した昔の人も遺跡が出たところで気にせず埋めちゃったでしょうしね
国家による隠蔽です
5chねらが「埋め」ってやったんだよ
素人なんで「こうなんではないか」的ばイメージですが、近現代の治水技術がない時代では河口付近や沃野などでは定期的に洪水が起きて、過去の地表に+αの堆積が何年かおきにあるとして
それ以前に蓄積された地層のabscdfに+αの堆積が上に積まれるとしたの「abcdef」はその分上に積もった重み
場所が場所だから淀川の氾濫で埋まったんだろうね。
昔と今の地面の高さが同じなら、遺構は地上だからすでに見つかってるか、人の手や風化で破壊されてる(現代でもたびたび発見されるナスカの地上絵のように僻地ならわんちゃん残ってる)昔は今よりも地面が高かったら、遺構は空中だから存在しない(空飛ぶ城ならわんちゃんあり得る)
ということで、新しく見つかる遺構は必ず地面の下(昔は今よりも地面が低かった場所)で、洪水や噴火などなんらかの原因で埋まった場所。昔の方が地面高かった場所も必ずあるけど、そういう場所では見つからないだけ。
古代から延々と治水が行われて豊臣秀吉が本格的に治水に乗り出して、三川のありさまがこれですからな。 https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/shisetu/misu-museum/history/nb3uba... [mlit.go.jp] (この頃に淀川の舟運の京での中心は秀吉の開いた伏見港へ移っている。左上の「淀村」がもとの淀津のあたり。)これ以降、400年に渡る日本人の三川との戦いがあっていまの淀川水系に至るのだ。
参考リンク(国土交通省淀川河川事務所)淀川舟運の歴史 https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/use/ship/history.html [mlit.go.jp] 三栖樋門誕生の背景
現役の街中でも、昔からの建物の高さより、道路の高さの方が高いっての見たことない?現役で使い続けてても、だんだん土地の高さは上がっていくよ。
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
地下4メートル (スコア:2, 興味深い)
あのー、こういう「遺構が地下4メートルから発見」というのがよくわからないのですが、当時よりも今の地面の場所は4メートル高くなっているのでしょうか。それとも地盤沈下して高さはあまり変わらないのでしょうか。
子供のころ、縄文土器の出土する貝塚が近所にあって丘の上なのに不思議と思っていましたが、縄文海進をしらなかったからなのでそれは仕方ないと思っています。
メソポタミアなどは町があったところはつぶして上に建てるから丘になると聞いたことがあって、それは理解できますが、日本の地下数メートルみたいなのはどうなってるのかなーと。
Re:地下4メートル (スコア:4, 参考になる)
(1)遺跡なぜ地下に?
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken01.html [nabunken.go.jp]
> 理由の一つは、腐植土です。落ち葉や枯れ草などの植物が分解され、腐植土となって積もり、地下に埋もれていったと考えられます。ちりも積もれば山となる。1年に0・5ミリ積もれば、1300年で65センチにもなります。
> 平城宮跡や藤原宮跡を掘ると、まず田や畑の土が出てきます。この田畑の土のさらに下が、古代の層です。平城宮や藤原宮が都でなくなると、急速に田畑になりました。
> 田畑を作るときには、平らにするために土を盛ったり、耕作に適した土を運び込んだりします。こうして遺跡は埋まっていったのです。
Re:地下4メートル (スコア:1)
Re: (スコア:0)
ずっと人が住んでいて賑わっていたところでなければ、火山噴火の堆積物が少しずつ積もることもあるでしょう
日本では都市部でも何度も大火があれば灰が少しずつ積もっていくでしょうし
Re: (スコア:0)
川沿いだし洪水で埋まっちゃったとか?
京都は掘ると遺跡が出るとか面倒だから工事現場では取りあえず埋めちゃうとかもよく聞くし
工事した昔の人も遺跡が出たところで気にせず埋めちゃったでしょうしね
Re: (スコア:0)
国家による隠蔽です
Re: (スコア:0)
5chねらが「埋め」ってやったんだよ
Re: (スコア:0)
あのー、こういう「遺構が地下4メートルから発見」というのがよくわからないのですが、当時よりも今の地面の場所は4メートル高くなっているのでしょうか。それとも地盤沈下して高さはあまり変わらないのでしょうか。
素人なんで「こうなんではないか」的ばイメージですが、
近現代の治水技術がない時代では河口付近や沃野などでは
定期的に洪水が起きて、過去の地表に+αの堆積が何年かおきにあるとして
それ以前に蓄積された地層のabscdfに+αの堆積が上に積まれると
したの「abcdef」はその分上に積もった重み
Re: (スコア:0)
場所が場所だから淀川の氾濫で埋まったんだろうね。
昔と今の地面の高さが同じなら、遺構は地上だからすでに見つかってるか、人の手や風化で破壊されてる(現代でもたびたび発見されるナスカの地上絵のように僻地ならわんちゃん残ってる)
昔は今よりも地面が高かったら、遺構は空中だから存在しない(空飛ぶ城ならわんちゃんあり得る)
ということで、新しく見つかる遺構は必ず地面の下(昔は今よりも地面が低かった場所)で、洪水や噴火などなんらかの原因で埋まった場所。
昔の方が地面高かった場所も必ずあるけど、そういう場所では見つからないだけ。
Re: (スコア:0)
古代から延々と治水が行われて豊臣秀吉が本格的に治水に乗り出して、三川のありさまがこれですからな。
https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/shisetu/misu-museum/history/nb3uba... [mlit.go.jp]
(この頃に淀川の舟運の京での中心は秀吉の開いた伏見港へ移っている。左上の「淀村」がもとの淀津のあたり。)
これ以降、400年に渡る日本人の三川との戦いがあっていまの淀川水系に至るのだ。
参考リンク(国土交通省淀川河川事務所)
淀川舟運の歴史
https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/use/ship/history.html [mlit.go.jp]
三栖樋門誕生の背景
Re: (スコア:0)
現役の街中でも、昔からの建物の高さより、道路の高さの方が高いっての見たことない?
現役で使い続けてても、だんだん土地の高さは上がっていくよ。