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原作改変が問題であるかのように言われているけど、それは違うのではないかと思うよ。原作が壊されないように芦原さんがチェックして(どこまで満足していたかは不明ながら)、OKを出し、最後の2話は自分で脚本を書いているので、ある意味、原作は守られている。
芦原さんが原作を変えたくなかった理由として「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたいという思いが強くあり」と書いていて、この点を見過ごしてはいけないのではないかと思っている。今回の一連のできごとに関して、「生きづらさを抱える人たち」が無視されるのに絶望したというのは、根拠はないが、十分自殺の動機になりえるとは思う。仮にそうだとしたら、「攻撃したかったわけじゃなくて」という発言も、「生きづらさを抱える人たち」を無視しないでほしいという意味として理解できる。
芦原さんの無念をはらしたいなら、「生きづらさを抱える人たち」に寄り添うために何をすればいいのかを考えていくべきなんじゃないかな。
違う。
最初に明確に契約だか約束したのに、日本テレビが全く守ろうとしてなかったからだよ。
それは、作者無視とか軽視とかそういうこと。無視や軽視されることの辛さは格別だ。
多分ね、テレビ局側の変な論理でこれが普通だとか常識だとか、作者を攻めたりすることもあったと思う。
テレビ界の常識なんて、世間の常識とは全く違うことが今回も明らかになったけど、長年そこに住んでると分からなくなるんだろうね。
最後2話は芦原さんが書くのを認めているんだから、TV局も約束は守ろうとはしている。だけど、原作の中の何が大事なのかを、TV局も脚本家も理解できなくて、それが原因で約束を守りたくても守れなかったのが問題なんじゃないかという意見なのね。
驚き、経緯を見ればそう言う意見にならないと思うけど。
8話までに同じことが8回あって、とうとう作者が切れたんじゃない。
最初の回から作者無視のストーリーが出てきて、それを直して、次回はこのようなこと止めてと言う。でも、次回も同じことが発生。これが8回あったのでは。多分ね、守ろうとはしてない。最初に約束があったから、しょうがなく作者の言うとおりにした。邪魔な作者と言う認識だった。
経緯を見てるからそう言ってるんだよ。
TV局は芦原さんに脚本を見せて、修正を認めたわけでしょ。次回はこのようなこと止めてと言っても同じことが発生したのは、何が問題なのかTV局と脚本家が理解してないことを意味しているわけ。
対立構造でこの話を理解してしまうと、TV局を批判している人は芦原さん側に立っていることになるけど、そんな単純じゃないのね。芦原さんが大切に思っていたポイントを理解してなくても、TV局を批判することはできるから。
芦原さんが大切にしているものが踏みにじられた。それは確かだと言っていい。でも、その大切にしているも
漫画もドラマも未見なので推測だが、生きづらさについてがテーマの漫画なら、テレビ局、プロデューサー、脚本家、皆分かるのではないか。Amazonのコメントにも元気が出たとかある。読者も分かってるようだ。プロの脚本家が分からないかな。
で、分かってて無視したのでは。で、当然それに対して作者はテーマを説明したと思う。毎回毎回ね。でも、毎回毎回無視されたのでは。
TV局側も理解できると考えたから契約したんだと思うよ。でも、そんな簡単じゃない。
「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に寄り添えるように」という条件でストーリーを作らせると、「自己肯定感が低かった人が一念発起して成果を上げ、自己肯定できるようになりました」というストーリーを作ってしまう人が大部分じゃないかな。でも、それって「自己肯定感が低い人」の否定でしかないわけ。一般的な価値観を根底からひっくり返したストーリーが要求されることになると思う。
具体的にどういうやり取りがあったかは公表されてないからわからないけどね。
TV局側も理解できると考えたから契約したんだと思うよ。
違うね。本作のチーフディレクター三上絵里子は、初めから原作レイプする気満々で、契約してしまえば何とでも言いくるめられると思っていたんだよ。主役田中京子・Sali役の木南晴夏がベリーダンスの練習を始めたのは、三上絵里子チーフプロデューサーが原作者芦原妃名子とドラマ化交渉を開始し、改変禁止と未完部の展開指定を突き付けられる一月前だったそうだし。
ほとんどの原作付きドラマや映画はそんなもんですねテレビ局、芸能事務所、スポンサーの意向で名前だけ借りて脚本家が換骨奪胎しまくる
本作のチーフディレクター三上絵里子は、初めから原作レイプする気満々で、契約してしまえば何とでも言いくるめられると思っていたんだよ。
チーフディレクターではなくチーフプロデューサーじゃないの。
契約してしまばなんとでも言いくるめられるとか原作レイプする気満々、って君の想像だよね。
「原作を変えない」って、君はすごく簡単に考えているようだけど、単純な話じゃないよ。そもそも、コミックとドラマなんだから、全く同じにはできない。コミックのページをそのまま映すだけの「ドラマ」なんてありえないだろ。さらに、この作品の場合は、原作は完
テレビ局、芸能事務所、スポンサーの意向でやっていることなら、換骨奪胎しているのはテレビ局、芸能事務所、スポンサーでは。なんで脚本家に責任を押し付けようとするんだろう?
原作者以外の要望受け入れて、実際にシナリオ作るのは脚本家周りは、うちのタレントの出番増やせ恋愛要素入れろとか言うだけ
ミスなかとか原作破壊しすぎ、元の名言だけ上手く使って菅田将暉人気でなんとかなってるというか別物になってウケてる
そりゃ失敬、謹んで訂正申し上げる。で、その日テレ(チーフ)プロデューサー三上絵里子が中心となって製作中の次回作「たーたん」(西炯子未完原作名、小学館発行)って、4月放送開始予定なのにまだ発表できないの?それともお蔵入り?
実際にシナリオ作るのはって、脚本家がテレビ局、芸能事務所、スポンサーの要望を無視したら交代させられるだけなんじゃね。たたきやすい相手をたたいてるだけだろ。そういう行動を芦原さんが希望していたと思っているのかな?
自分のTVドラマ作風が、オリジナルか原作レイプしか出来ない事位は当然三上絵里子当人が承知しているのだから、原作忠実・未完部ストーリの原作者指定を踏み躙る気満々でなければ、原作者接触開始前に主役田中京子・Sali役の木南晴夏がベリーダンスの練習開始させられないよな。喩え練習開始していたところで、放送開始延期すれば済んだ話。結果論から言えば今回の件は、放送開始を遅らせて時間を掛けて丹念に交渉してシナリオを作り込めば、原作者の自殺も無かったし、契約後からでもその間に主役田中京子・Sali役の木南晴夏のベリーダンス練習時間は充分確保できてたのだから、拙速な原作レイプドラマ化を強引に進めた三上絵里子チーフプロデューサーの責任が主だ。
自分のTVドラマ作風が、オリジナルか原作レイプしか出来ない事位は当然三上絵里子当人が承知している
それって君の想像だよね。
ある変更が原作レイプなのか受け入れ可能な変更なのか、場合によっては作品をよりよくする変更なのかを、客観的に判断することなんて不可能だよ。「TVドラマ作風が、オリジナルか原作レイプしか出来ない」って、君がプロデューサーを叩くのに都合がいいからそういうことにしたいだけでしょ。
そうやって個人を叩くのに今回の事件を利用するのを、芦原さんが喜ぶと思っているのかな?
原作忠実・未完部ストーリの原作者指定を踏み躙る気満々でなけ
まともなステートメント発表・記者会見を行っていない、周囲の情報から固まった推定主犯法人日テレ及び同個人三上絵里子チーフプロデューサーに庇われる資格は無い。企画がぽしゃらない様、原作者をだまくらかす・強引に合意を取ろうとしていた事は、周辺情報より明らか。練習を無駄にしないベリーダンスを題材にしたオリジナルドラマを作るとか、リカバリ企画に切り替える気も全く無し。結果円盤発売の目途も亡くなった。目出度し目出度し(但しVODは、怖い物見たさで視聴数多くて、多少収益に寄与しているかも)。
尚原現番組のスポンサーは、日本メディアシステムP&Gサントリーキリンビールアイフルイオンだそうで、彼らは著作権・知的財産が侵されても文句が言えませんな。
「原作者をだまくらかす・強引に合意を取ろうとしていた」って、実際には脚本を芦原さんにチェックして修正してくれと言われたところは修正に応じて、最後2話の脚本は芦原さんが書くのを認めているわけだが、それを君の日本語では「だまくらかす・強引に合意を取ろうとした」と表現するのかな? 芦原さん自身のコメントでも、「粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の完成にこぎつけました」、8話も「何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡し」、と書いてある(9、10話は芦原さんが書いた)。
「練習を無駄にしないベリーダンスを題材にしたオリジナルドラマ」って、セクシー田中さんがドラマになったんだから、その時点で練習は無駄になってない。
「彼らは著作権・知的財産が侵されても文句が言えませんな」って、ドラマの脚本は芦原さんが修正を加えたものを使っているので、著作権・知的財産権は侵害されてない。
君の現実認識に問題があることを示しているだけだね。
溺れる犬を棒で叩きまくる人たち
✕スラドの悪いところ◯ACコメントの悪いところ
普段第三者に対し「まともな記者会見しろ」とか放送で流しているくせに、未だ記者会見すらせず、出したステートメントは鼻を木で括った様な奴、そりゃ貴重な国民・世界人類の貴重な放送電波帯資源を独占している企業として許される筈もないでしょう。逆に言えば一般国民はどれだけ罵倒しようとも許される。嫌ならネットに移行して、放送免許返上しろって話。
知る権利で色々要求するくせに逆のパターンはプライバシーの侵害とか喚く連中だぞ
>嫌ならネットに移行して、放送免許返上しろって話。べっつにー。俺達はネットに移行するメリットないしなー。
どんぐりの背比べとも言う🐿
今回の事は日本テレビ側制作者サイドが無能だったことと、小学館サイドがやはり無能で、漫画家を守れなかったことにある。
あと漫画家も性善説・紳士協定・あれば契約履行されるものと信じて、受けて結果自身の作業ボリュームが増えて特に視聴率の振るわなかった10話が推敲不足となり、加えて成功させては面白くない日本テレビ側に協力も得られず、おかしな演出をされた。
成功させては面白くない日本テレビ
本当にそんなことをやったら広告を引き上げられても文句言えないね。君の想像以外に証拠があるなら、スポンサーに伝えればいいのでは。
TV局は視聴率を上げるためにやっているのであって、「少しでも良い作品を作りたい」という意味では関係者みんな一致してる。もめるのは「良い」の方向性がそれぞれ違うから。
それから、テレビ局側が望む変更を無視しても問題ないかのように思っているみたいだけど、そんな単純ではないよ。気軽に言ってるだけの変更なら別に構わないんだけど、中にはその人にとってとても大事な意味を持つものがあっても不思議ではないのね。簡単に無視していいものではないということは理解しておいた方がいいと思うよ。
日テレプロデューサー三上絵里子+小学館(西炯子著未完作たーたん←原作名、ドラマ名は未発表、4月より放送開始予定)タッグの次回作は、「ACジャパン」だらけになるのでは?なお2月半ばのこの後に及んで未だこのドラマの日テレ発表会(記者会見)は行われていない(流石に交代させない限りプロデューサー三上絵里子を出さないわけにはいかない)。
原作は主人公「田中さん」とこれを慕う後輩女性、そして周囲の4人の男性が軸となっている。それ以外の登場人物はあまり多くない。ところが番組の公式ホームページをみると「人物相関図」の中に見慣れない名前が4つ並んでいた。「景子」「アリサ」「絵麻」「花梨」。ベリーダンス教室のクラスメイトで、「アクティブな性格でピラティス、ワイン教室にも通っている」「スーパーのレジ打ちのパートをしているが、子育てがひと段落ついた」などのキャラクター設定も掲載されている。そしてこれらの役には乃木坂46の元メンバー生駒里奈さんやファッションモデルなどの著名人が起用されていた。そのため基本的に原作に沿っているドラマ版でも出番は非常に限られていた。そのセリフの数を調べてみたが、短いセリフが1話に1〜2個あるかどうかで、放送回によってはセリフが無い。もともとこの役には「見せ場」はないのだから、本来ならテレビ局側も著名人にはオファーを出さないはずだ。それなのにドラマではオリジナルの役名が与えられ、人気俳優らが配役されている。なぜなのか。「原作者に『原作に忠実にする』と約束して映像化を許諾してもらうよりも前の時点で、テレビ局側は原作の改変ありきで勝手に役を作り、キャスティングをしてしまっていた」との分析。https://www.dailyshincho.jp/article/2024/02160600/ [dailyshincho.jp]
ドラマ後半制作時期には、円盤発売予定も(ひょっとしたら映画化も)吹っ飛んで、日テレ内は既に敗戦処理モードだったのでは?だからチーフプロデューサー三上絵里子は、芦原妃名子シナリオも受け入れ、形だけでもドラマを終話に持っていき、次回作たーたん(原作名、西炯子著未完作、ドラマ名は未発表、4月より放送開始予定)準備に転進したのだろう。そうでなくても局幹部・スポンサー・広告代理店・芸能プロダクションらへの謝罪廻りに忙しくなっただろうし。
著作へのリスペクトに基づく同一性保持なんだがなぁ。この程度の引用、それこそ巻頭記事を始めスラドでは過去普通に行われてきた。にも拘らず、この投稿だけに対する削除要求は、削除させたい事情(放送局側工作員?)があるのだろう。大体アカウントがあるなら、マイナスモデレートすれば済む話。
その投稿者が全文引用が必要だと思って全文引用したのなら、何の問題もありませんよ。あなたが自分で自覚して書いてる通り、いくら全文引用する必要がないと他人が言っても、その指摘の論弁では意味不明な難癖や俺様ルールにしか見えません。元記事からの引用比率が多すぎるからアウトなんてのは日本の法律のどこにも存在しませんが。どこにあるのですか知りたいですね。「資本主義命」なんて書き込んでる老害社会主義者ですし。俺様ルールを言い続けるしかできないでしょうねえ。
引用したのは、記事文の20%程度、周辺の宣伝とか含めたウェブページ3ページ全体の10%以下。題文は完全オリジナル=投稿者の批評文。これは全文引用ではなかろう。
作者の言うこと守ってるとか、てーまの無理解とか、コミュニケーション不足とか、色々な擁護があったけど、どれも違うと思う。
まずね、守る気が無かったこと。最終的には作者側の要求に従ったよう見えるが、多分しぶしぶだろう。著作権だので作者に従うしかないんだから、局内の弁護士は従えと言う。
テーマの無理解で起きたことなのか?違うでしょう。テーマ分からない人達ばかりなどとは思わない。アマゾンのコメントでも読者は分かってるようだ。テーマも分かってて、無視したと考えるのが妥当でしょう。
コミュニケーション不足か?これも違うでしょう。作者は最初から作品を守るため努力してた。当然、毎回同じ様に努力したのでは。
私が思うに、テレビ局側と脚本家側に、最初から作者無視やテーマ無視の気持ちがあったと思う。その意図が隠して、作者に従いますと言う偽りの約束をしてると思う。こういうのは悪意と言っても良いと思う。
「擁護」とかいうところが、君の無理解を暴露しているんだよね。TV局もTV局をたたいている人もどちらも理解してないのが問題なんじゃないかという指摘のどこが「擁護」かと。君が理解を示す気がないコメントを返すこと自体が、その指摘の裏付けになってるんだよね。
「守る気がない」って、実際守ってるじゃん。しぶしぶだろうと守ろうとしてるのは君も認めてるわけだよね。それでも守れないのは、どうやったら守れるかわからないからと考えるのが最も自然なのね。
「アマゾンのコメントでも読者は分かってる」って、読んでわかった気になるのと、そのテーマでストーリーを作るのとでは全然違うから意味はない。
君はこの件でどういう結末を望んでいるのかな? TV局と脚本家がたたかれて反省して心を入れ替えるのが望ましい結末なのかな? それって、まさに#4601590 で指摘した「悪い奴をやっつけるという成果を上げ、自己肯定できるようになりました」という「自己肯定感が低い人」の否定ストーリーだよ。芦原さんはそういう結末は望んでないんじゃないかな。
でも、今は「自己肯定感の強い脚本家が原作者を喰い物にして終わりました。弱者は強者の踏み台です」というただのバッドエンドじゃないですか。そんな結末が作者が遺した望みだとでも?
だから、別の望ましい結末として、「芦原さんの無念をはらしたいなら、「生きづらさを抱える人たち」に寄り添うために何をすればいいのかを考えていくべきなんじゃないかな」と書いたのね。脚本家がどうなろうとそんなことどうでもいいでしょ。大事なのは「生きづらさを抱える人たち」が今よりも幸福に生きられる社会ができることで、それが芦原さんが求めていたものなんじゃないかな。
もちろん、その認識が正しいかどうかなんて全然わからないから、慎重に進めることは重要だと思うよ。でも、少なくとも、TV局をたたくのは芦原さんが大切にしていたものを踏みにじるやり方である可能性があることを、認識した上で対応する必要があると思っているわけ。実際、芦原さんは「攻撃したかったわけじゃなくて」って書いてるわけだし。
あなたの意見では、原作改変は問題でなく、ある意味原作守られてるんだよね。
では、原作者が自分自身の言葉で書いたを見ましょう。--------------------ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました。
私が漫画「セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、納得のいくお返事はいただけない。
私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、どうして変更していただきたくないのかということも丁寧に
でも、TV局側はチェックのために見せているし、修正してくれと言ったところは修正に応じて、最後の2話で脚本家を変えている。出てくるものは不十分だけど、対応はしてるのね。故意にひどいものを出して修正させても TV局側にはメリットないわけ。対応する気はあるけどなんらかの理由でできてないのは確かで、最もあり得るのは、「守らなければいけないものを理解できてない」なのね。
芦原さんが心の奥底から書いた文章を読んでいるから、「悪い奴をやっつけてめでたしめでたし」というストーリーでいいのか、という疑問が浮かんでくるのね。そういうストーリーを望んでいる人たちも、芦原さんを自殺するほど追い込んだ原因の一部なんじゃないかと思ってるわけ。といっても、多分君は理解しないと思う。芦原さんの求めに対応できなかったTV局や脚本家も、君と同じような感覚だったから、毎回修正が必要なストーリーを持ってくることになったんじゃないかと思うよ。
今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、粘りに粘って
ここまで言ってやっとこさなんだよね。これを簡単に要求に応じてると結論付ける感覚は信じられないわ。そのような無神経さが、人々に生きづらさを感じさせるんだろうね。生きづらさを感じる人々に寄り添いたいように書いてるが、全くそうは思えないね。
簡単に要求に応じてるなんて書いてないよ。理解できてない要求に応じることが簡単にできるわけがないよね。
実際、君自身も、芦原さんにとって大切なものは何なのか、それを守るために必要なものは何か、について真剣に考えてようとしてないじゃん。TV局と芦原さんを対立構造でとらえて、TV局側をたたけば芦原さんのためになると思っている。その行動が芦原さんにとって大切なものを否定することになるかもしれない、という可能性を考えてみようとしてないよね。
君が当然の前提として受け入れてしまっていることが「生きづらさを抱える人々」を不幸にしているかもしれないとは、考えてみないのかな。「ここまで言ってやっとこさ」の原因は、今まさに君がやっているように、TV局も脚本家も「当然の前提」を捨てる必要があることを理解してなかったためだとは、思わないのかな。
生きづらさの原因はテレビ局や脚本家だよね。
生きづらさを抱えてしまっていた原作者が、最後の最後に原因を作る人達に、「お前らが原因なんだ」と言い自死したのでは?
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Stay hungry, Stay foolish. -- Steven Paul Jobs
生きづらさを抱える人たち (スコア:0)
原作改変が問題であるかのように言われているけど、それは違うのではないかと思うよ。原作が壊されないように芦原さんがチェックして(どこまで満足していたかは不明ながら)、OKを出し、最後の2話は自分で脚本を書いているので、ある意味、原作は守られている。
芦原さんが原作を変えたくなかった理由として「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたいという思いが強くあり」と書いていて、この点を見過ごしてはいけないのではないかと思っている。今回の一連のできごとに関して、「生きづらさを抱える人たち」が無視されるのに絶望したというのは、根拠はないが、十分自殺の動機になりえるとは思う。仮にそうだとしたら、「攻撃したかったわけじゃなくて」という発言も、「生きづらさを抱える人たち」を無視しないでほしいという意味として理解できる。
芦原さんの無念をはらしたいなら、「生きづらさを抱える人たち」に寄り添うために何をすればいいのかを考えていくべきなんじゃないかな。
Re: (スコア:0)
違う。
最初に明確に契約だか約束したのに、日本テレビが全く守ろうとしてなかったからだよ。
それは、作者無視とか軽視とかそういうこと。
無視や軽視されることの辛さは格別だ。
多分ね、テレビ局側の変な論理でこれが普通だとか常識だとか、作者を攻めたりすることもあったと思う。
テレビ界の常識なんて、世間の常識とは全く違うことが今回も明らかになったけど、長年そこに住んでると分からなくなるんだろうね。
Re: (スコア:0)
最後2話は芦原さんが書くのを認めているんだから、TV局も約束は守ろうとはしている。だけど、原作の中の何が大事なのかを、TV局も脚本家も理解できなくて、それが原因で約束を守りたくても守れなかったのが問題なんじゃないかという意見なのね。
Re: (スコア:0)
驚き、
経緯を見ればそう言う意見にならないと思うけど。
8話までに同じことが8回あって、とうとう作者が切れたんじゃない。
最初の回から作者無視のストーリーが出てきて、それを直して、次回はこのようなこと止めてと言う。
でも、次回も同じことが発生。
これが8回あったのでは。
多分ね、守ろうとはしてない。
最初に約束があったから、しょうがなく作者の言うとおりにした。
邪魔な作者と言う認識だった。
Re: (スコア:0)
経緯を見てるからそう言ってるんだよ。
TV局は芦原さんに脚本を見せて、修正を認めたわけでしょ。次回はこのようなこと止めてと言っても同じことが発生したのは、何が問題なのかTV局と脚本家が理解してないことを意味しているわけ。
対立構造でこの話を理解してしまうと、TV局を批判している人は芦原さん側に立っていることになるけど、そんな単純じゃないのね。芦原さんが大切に思っていたポイントを理解してなくても、TV局を批判することはできるから。
芦原さんが大切にしているものが踏みにじられた。それは確かだと言っていい。でも、その大切にしているも
Re: (スコア:0)
漫画もドラマも未見なので推測だが、生きづらさについてがテーマの漫画なら、テレビ局、プロデューサー、脚本家、皆分かるのではないか。
Amazonのコメントにも元気が出たとかある。読者も分かってるようだ。
プロの脚本家が分からないかな。
で、分かってて無視したのでは。
で、当然それに対して作者はテーマを説明したと思う。
毎回毎回ね。
でも、毎回毎回無視されたのでは。
Re: (スコア:0)
TV局側も理解できると考えたから契約したんだと思うよ。でも、そんな簡単じゃない。
「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に寄り添えるように」という条件でストーリーを作らせると、「自己肯定感が低かった人が一念発起して成果を上げ、自己肯定できるようになりました」というストーリーを作ってしまう人が大部分じゃないかな。でも、それって「自己肯定感が低い人」の否定でしかないわけ。一般的な価値観を根底からひっくり返したストーリーが要求されることになると思う。
具体的にどういうやり取りがあったかは公表されてないからわからないけどね。
Re:生きづらさを抱える人たち (スコア:1)
TV局側も理解できると考えたから契約したんだと思うよ。
違うね。
本作のチーフディレクター三上絵里子は、初めから原作レイプする気満々で、契約してしまえば何とでも言いくるめられると思っていたんだよ。
主役田中京子・Sali役の木南晴夏がベリーダンスの練習を始めたのは、三上絵里子チーフプロデューサーが原作者芦原妃名子とドラマ化交渉を開始し、改変禁止と未完部の展開指定を突き付けられる一月前だったそうだし。
Re: (スコア:0)
ほとんどの原作付きドラマや映画はそんなもんですね
テレビ局、芸能事務所、スポンサーの意向で名前だけ借りて脚本家が換骨奪胎しまくる
Re: (スコア:0)
チーフディレクターではなくチーフプロデューサーじゃないの。
契約してしまばなんとでも言いくるめられるとか原作レイプする気満々、って君の想像だよね。
「原作を変えない」って、君はすごく簡単に考えているようだけど、単純な話じゃないよ。そもそも、コミックとドラマなんだから、全く同じにはできない。コミックのページをそのまま映すだけの「ドラマ」なんてありえないだろ。さらに、この作品の場合は、原作は完
Re: (スコア:0)
テレビ局、芸能事務所、スポンサーの意向でやっていることなら、換骨奪胎しているのはテレビ局、芸能事務所、スポンサーでは。なんで脚本家に責任を押し付けようとするんだろう?
Re: (スコア:0)
原作者以外の要望受け入れて、実際にシナリオ作るのは脚本家
周りは、うちのタレントの出番増やせ恋愛要素入れろとか言うだけ
ミスなかとか原作破壊しすぎ、元の名言だけ上手く使って菅田将暉人気でなんとかなってるというか別物になってウケてる
Re: (スコア:0)
チーフディレクターではなくチーフプロデューサーじゃないの。
そりゃ失敬、謹んで訂正申し上げる。
で、その日テレ(チーフ)プロデューサー三上絵里子が中心となって製作中の次回作「たーたん」(西炯子未完原作名、小学館発行)って、4月放送開始予定なのにまだ発表できないの?
それともお蔵入り?
Re: (スコア:0)
実際にシナリオ作るのはって、脚本家がテレビ局、芸能事務所、スポンサーの要望を無視したら交代させられるだけなんじゃね。たたきやすい相手をたたいてるだけだろ。そういう行動を芦原さんが希望していたと思っているのかな?
Re: (スコア:0)
自分のTVドラマ作風が、オリジナルか原作レイプしか出来ない事位は当然三上絵里子当人が承知しているのだから、原作忠実・未完部ストーリの原作者指定を踏み躙る気満々でなければ、原作者接触開始前に主役田中京子・Sali役の木南晴夏がベリーダンスの練習開始させられないよな。
喩え練習開始していたところで、放送開始延期すれば済んだ話。
結果論から言えば今回の件は、放送開始を遅らせて時間を掛けて丹念に交渉してシナリオを作り込めば、原作者の自殺も無かったし、契約後からでもその間に主役田中京子・Sali役の木南晴夏のベリーダンス練習時間は充分確保できてたのだから、拙速な原作レイプドラマ化を強引に進めた三上絵里子チーフプロデューサーの責任が主だ。
Re: (スコア:0)
それって君の想像だよね。
ある変更が原作レイプなのか受け入れ可能な変更なのか、場合によっては作品をよりよくする変更なのかを、客観的に判断することなんて不可能だよ。「TVドラマ作風が、オリジナルか原作レイプしか出来ない」って、君がプロデューサーを叩くのに都合がいいからそういうことにしたいだけでしょ。
そうやって個人を叩くのに今回の事件を利用するのを、芦原さんが喜ぶと思っているのかな?
Re: (スコア:0)
まともなステートメント発表・記者会見を行っていない、周囲の情報から固まった推定主犯法人日テレ及び同個人三上絵里子チーフプロデューサーに庇われる資格は無い。
企画がぽしゃらない様、原作者をだまくらかす・強引に合意を取ろうとしていた事は、周辺情報より明らか。
練習を無駄にしないベリーダンスを題材にしたオリジナルドラマを作るとか、リカバリ企画に切り替える気も全く無し。
結果円盤発売の目途も亡くなった。
目出度し目出度し(但しVODは、怖い物見たさで視聴数多くて、多少収益に寄与しているかも)。
尚原現番組のスポンサーは、
日本メディアシステム
P&G
サントリー
キリンビール
アイフル
イオン
だそうで、彼らは著作権・知的財産が侵されても文句が言えませんな。
Re: (スコア:0, 参考になる)
「原作者をだまくらかす・強引に合意を取ろうとしていた」って、実際には脚本を芦原さんにチェックして修正してくれと言われたところは修正に応じて、最後2話の脚本は芦原さんが書くのを認めているわけだが、それを君の日本語では「だまくらかす・強引に合意を取ろうとした」と表現するのかな? 芦原さん自身のコメントでも、「粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の完成にこぎつけました」、8話も「何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡し」、と書いてある(9、10話は芦原さんが書いた)。
「練習を無駄にしないベリーダンスを題材にしたオリジナルドラマ」って、セクシー田中さんがドラマになったんだから、その時点で練習は無駄になってない。
「彼らは著作権・知的財産が侵されても文句が言えませんな」って、ドラマの脚本は芦原さんが修正を加えたものを使っているので、著作権・知的財産権は侵害されてない。
君の現実認識に問題があることを示しているだけだね。
Re: (スコア:0)
溺れる犬を棒で叩きまくる人たち
Re:生きづらさを抱える人たち (スコア:1)
✕スラドの悪いところ
◯ACコメントの悪いところ
Re: (スコア:0)
普段第三者に対し「まともな記者会見しろ」とか放送で流しているくせに、未だ記者会見すらせず、出したステートメントは鼻を木で括った様な奴、そりゃ貴重な国民・世界人類の貴重な放送電波帯資源を独占している企業として許される筈もないでしょう。
逆に言えば一般国民はどれだけ罵倒しようとも許される。
嫌ならネットに移行して、放送免許返上しろって話。
Re: (スコア:0)
知る権利で色々要求するくせに逆のパターンはプライバシーの侵害とか喚く連中だぞ
>嫌ならネットに移行して、放送免許返上しろって話。
べっつにー。俺達はネットに移行するメリットないしなー。
Re: (スコア:0)
✕スラドの悪いところ
◯ACコメントの悪いところ
どんぐりの背比べとも言う🐿
Re: (スコア:0)
今回の事は日本テレビ側制作者サイドが無能だったことと、
小学館サイドがやはり無能で、漫画家を守れなかったこと
にある。
あと漫画家も性善説・紳士協定・あれば契約履行される
ものと信じて、受けて結果自身の作業ボリュームが増えて
特に視聴率の振るわなかった10話が推敲不足となり、
加えて成功させては面白くない日本テレビ側に協力も
得られず、おかしな演出をされた。
Re: (スコア:0)
本当にそんなことをやったら広告を引き上げられても文句言えないね。君の想像以外に証拠があるなら、スポンサーに伝えればいいのでは。
TV局は視聴率を上げるためにやっているのであって、「少しでも良い作品を作りたい」という意味では関係者みんな一致してる。もめるのは「良い」の方向性がそれぞれ違うから。
それから、テレビ局側が望む変更を無視しても問題ないかのように思っているみたいだけど、そんな単純ではないよ。気軽に言ってるだけの変更なら別に構わないんだけど、中にはその人にとってとても大事な意味を持つものがあっても不思議ではないのね。簡単に無視していいものではないということは理解しておいた方がいいと思うよ。
Re: (スコア:0)
日テレプロデューサー三上絵里子+小学館(西炯子著未完作たーたん←原作名、ドラマ名は未発表、4月より放送開始予定)タッグの次回作は、「ACジャパン」だらけになるのでは?
なお2月半ばのこの後に及んで未だこのドラマの日テレ発表会(記者会見)は行われていない(流石に交代させない限りプロデューサー三上絵里子を出さないわけにはいかない)。
デイリー新潮指摘、日テレ版セクシー田中さんに残る三上絵里子プロデューサーの阻止された原作レイプの企て (スコア:1)
原作は主人公「田中さん」とこれを慕う後輩女性、そして周囲の4人の男性が軸となっている。それ以外の登場人物はあまり多くない。ところが番組の公式ホームページをみると「人物相関図」の中に見慣れない名前が4つ並んでいた。
「景子」「アリサ」「絵麻」「花梨」。ベリーダンス教室のクラスメイトで、「アクティブな性格でピラティス、ワイン教室にも通っている」「スーパーのレジ打ちのパートをしているが、子育てがひと段落ついた」などのキャラクター設定も掲載されている。そしてこれらの役には乃木坂46の元メンバー生駒里奈さんやファッションモデルなどの著名人が起用されていた。
そのため基本的に原作に沿っているドラマ版でも出番は非常に限られていた。そのセリフの数を調べてみたが、短いセリフが1話に1〜2個あるかどうかで、放送回によってはセリフが無い。もともとこの役には「見せ場」はないのだから、本来ならテレビ局側も著名人にはオファーを出さないはずだ。
それなのにドラマではオリジナルの役名が与えられ、人気俳優らが配役されている。なぜなのか。
「原作者に『原作に忠実にする』と約束して映像化を許諾してもらうよりも前の時点で、テレビ局側は原作の改変ありきで勝手に役を作り、キャスティングをしてしまっていた」
との分析。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/02160600/ [dailyshincho.jp]
Re: (スコア:0)
ドラマ後半制作時期には、円盤発売予定も(ひょっとしたら映画化も)吹っ飛んで、日テレ内は既に敗戦処理モードだったのでは?
だからチーフプロデューサー三上絵里子は、芦原妃名子シナリオも受け入れ、形だけでもドラマを終話に持っていき、次回作たーたん(原作名、西炯子著未完作、ドラマ名は未発表、4月より放送開始予定)準備に転進したのだろう。
そうでなくても局幹部・スポンサー・広告代理店・芸能プロダクションらへの謝罪廻りに忙しくなっただろうし。
Re: (スコア:0)
著作へのリスペクトに基づく同一性保持なんだがなぁ。
この程度の引用、それこそ巻頭記事を始めスラドでは過去普通に行われてきた。
にも拘らず、この投稿だけに対する削除要求は、削除させたい事情(放送局側工作員?)があるのだろう。
大体アカウントがあるなら、マイナスモデレートすれば済む話。
Re: (スコア:0)
その投稿者が全文引用が必要だと思って全文引用したのなら、何の問題もありませんよ。
あなたが自分で自覚して書いてる通り、いくら全文引用する必要がないと他人が言っても、その指摘の論弁では意味不明な難癖や俺様ルールにしか見えません。
元記事からの引用比率が多すぎるからアウトなんてのは日本の法律のどこにも存在しませんが。どこにあるのですか知りたいですね。
「資本主義命」なんて書き込んでる老害社会主義者ですし。俺様ルールを言い続けるしかできないでしょうねえ。
Re: (スコア:0)
引用したのは、記事文の20%程度、周辺の宣伝とか含めたウェブページ3ページ全体の10%以下。
題文は完全オリジナル=投稿者の批評文。
これは全文引用ではなかろう。
Re: (スコア:0)
作者の言うこと守ってるとか、てーまの無理解とか、コミュニケーション不足とか、色々な擁護があったけど、どれも違うと思う。
まずね、守る気が無かったこと。
最終的には作者側の要求に従ったよう見えるが、多分しぶしぶだろう。著作権だので作者に従うしかないんだから、局内の弁護士は従えと言う。
テーマの無理解で起きたことなのか?
違うでしょう。
テーマ分からない人達ばかりなどとは思わない。
アマゾンのコメントでも読者は分かってるようだ。
テーマも分かってて、無視したと考えるのが妥当でしょう。
コミュニケーション不足か?
これも違うでしょう。
作者は最初から作品を守るため努力してた。
当然、毎回同じ様に努力したのでは。
私が思うに、テレビ局側と脚本家側に、最初から作者無視やテーマ無視の気持ちがあったと思う。
その意図が隠して、作者に従いますと言う偽りの約束をしてると思う。
こういうのは悪意と言っても良いと思う。
Re: (スコア:0)
「擁護」とかいうところが、君の無理解を暴露しているんだよね。TV局もTV局をたたいている人もどちらも理解してないのが問題なんじゃないかという指摘のどこが「擁護」かと。君が理解を示す気がないコメントを返すこと自体が、その指摘の裏付けになってるんだよね。
「守る気がない」って、実際守ってるじゃん。しぶしぶだろうと守ろうとしてるのは君も認めてるわけだよね。それでも守れないのは、どうやったら守れるかわからないからと考えるのが最も自然なのね。
「アマゾンのコメントでも読者は分かってる」って、読んでわかった気になるのと、そのテーマでストーリーを作るのとでは全然違うから意味はない。
君はこの件でどういう結末を望んでいるのかな? TV局と脚本家がたたかれて反省して心を入れ替えるのが望ましい結末なのかな? それって、まさに#4601590 で指摘した「悪い奴をやっつけるという成果を上げ、自己肯定できるようになりました」という「自己肯定感が低い人」の否定ストーリーだよ。芦原さんはそういう結末は望んでないんじゃないかな。
Re: (スコア:0)
でも、今は「自己肯定感の強い脚本家が原作者を喰い物にして終わりました。弱者は強者の踏み台です」というただのバッドエンドじゃないですか。
そんな結末が作者が遺した望みだとでも?
Re: (スコア:0)
だから、別の望ましい結末として、「芦原さんの無念をはらしたいなら、「生きづらさを抱える人たち」に寄り添うために何をすればいいのかを考えていくべきなんじゃないかな」と書いたのね。脚本家がどうなろうとそんなことどうでもいいでしょ。大事なのは「生きづらさを抱える人たち」が今よりも幸福に生きられる社会ができることで、それが芦原さんが求めていたものなんじゃないかな。
もちろん、その認識が正しいかどうかなんて全然わからないから、慎重に進めることは重要だと思うよ。でも、少なくとも、TV局をたたくのは芦原さんが大切にしていたものを踏みにじるやり方である可能性があることを、認識した上で対応する必要があると思っているわけ。実際、芦原さんは「攻撃したかったわけじゃなくて」って書いてるわけだし。
Re: (スコア:0)
あなたの意見では、原作改変は問題でなく、ある意味原作守られてるんだよね。
では、原作者が自分自身の言葉で書いたを見ましょう。
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ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました。
私が漫画「セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、納得のいくお返事はいただけない。
私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、どうして変更していただきたくないのかということも丁寧に
Re: (スコア:0)
でも、TV局側はチェックのために見せているし、修正してくれと言ったところは修正に応じて、最後の2話で脚本家を変えている。出てくるものは不十分だけど、対応はしてるのね。故意にひどいものを出して修正させても TV局側にはメリットないわけ。対応する気はあるけどなんらかの理由でできてないのは確かで、最もあり得るのは、「守らなければいけないものを理解できてない」なのね。
芦原さんが心の奥底から書いた文章を読んでいるから、「悪い奴をやっつけてめでたしめでたし」というストーリーでいいのか、という疑問が浮かんでくるのね。そういうストーリーを望んでいる人たちも、芦原さんを自殺するほど追い込んだ原因の一部なんじゃないかと思ってるわけ。といっても、多分君は理解しないと思う。芦原さんの求めに対応できなかったTV局や脚本家も、君と同じような感覚だったから、毎回修正が必要なストーリーを持ってくることになったんじゃないかと思うよ。
Re: (スコア:0)
今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、粘りに粘って
ここまで言ってやっとこさなんだよね。
これを簡単に要求に応じてると結論付ける感覚は信じられないわ。
そのような無神経さが、人々に生きづらさを感じさせるんだろうね。
生きづらさを感じる人々に寄り添いたいように書いてるが、全くそうは思えないね。
Re: (スコア:0)
簡単に要求に応じてるなんて書いてないよ。理解できてない要求に応じることが簡単にできるわけがないよね。
実際、君自身も、芦原さんにとって大切なものは何なのか、それを守るために必要なものは何か、について真剣に考えてようとしてないじゃん。TV局と芦原さんを対立構造でとらえて、TV局側をたたけば芦原さんのためになると思っている。その行動が芦原さんにとって大切なものを否定することになるかもしれない、という可能性を考えてみようとしてないよね。
君が当然の前提として受け入れてしまっていることが「生きづらさを抱える人々」を不幸にしているかもしれないとは、考えてみないのかな。「ここまで言ってやっとこさ」の原因は、今まさに君がやっているように、TV局も脚本家も「当然の前提」を捨てる必要があることを理解してなかったためだとは、思わないのかな。
Re: (スコア:0)
生きづらさの原因はテレビ局や脚本家だよね。
生きづらさを抱えてしまっていた原作者が、最後の最後に原因を作る人達に、「お前らが原因なんだ」と言い自死したのでは?