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原作改変が問題であるかのように言われているけど、それは違うのではないかと思うよ。原作が壊されないように芦原さんがチェックして(どこまで満足していたかは不明ながら)、OKを出し、最後の2話は自分で脚本を書いているので、ある意味、原作は守られている。
芦原さんが原作を変えたくなかった理由として「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたいという思いが強くあり」と書いていて、この点を見過ごしてはいけないのではないかと思っている。今回の一連のできごとに関して、「生きづらさを抱える人たち」が無視されるのに絶望したというのは、根拠はないが、十分自殺の動機になりえるとは思う。仮にそうだとしたら、「攻撃したかったわけじゃなくて」という発言も、「生きづらさを抱える人たち」を無視しないでほしいという意味として理解できる。
芦原さんの無念をはらしたいなら、「生きづらさを抱える人たち」に寄り添うために何をすればいいのかを考えていくべきなんじゃないかな。
あなたの意見では、原作改変は問題でなく、ある意味原作守られてるんだよね。
では、原作者が自分自身の言葉で書いたを見ましょう。--------------------ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました。
私が漫画「セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、納得のいくお返事はいただけない。
私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、どうして変更していただきたくないのかということも丁寧に
でも、TV局側はチェックのために見せているし、修正してくれと言ったところは修正に応じて、最後の2話で脚本家を変えている。出てくるものは不十分だけど、対応はしてるのね。故意にひどいものを出して修正させても TV局側にはメリットないわけ。対応する気はあるけどなんらかの理由でできてないのは確かで、最もあり得るのは、「守らなければいけないものを理解できてない」なのね。
芦原さんが心の奥底から書いた文章を読んでいるから、「悪い奴をやっつけてめでたしめでたし」というストーリーでいいのか、という疑問が浮かんでくるのね。そういうストーリーを望んでいる人たちも、芦原さんを自殺するほど追い込んだ原因の一部なんじゃないかと思ってるわけ。といっても、多分君は理解しないと思う。芦原さんの求めに対応できなかったTV局や脚本家も、君と同じような感覚だったから、毎回修正が必要なストーリーを持ってくることになったんじゃないかと思うよ。
今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、粘りに粘って
ここまで言ってやっとこさなんだよね。これを簡単に要求に応じてると結論付ける感覚は信じられないわ。そのような無神経さが、人々に生きづらさを感じさせるんだろうね。生きづらさを感じる人々に寄り添いたいように書いてるが、全くそうは思えないね。
簡単に要求に応じてるなんて書いてないよ。理解できてない要求に応じることが簡単にできるわけがないよね。
実際、君自身も、芦原さんにとって大切なものは何なのか、それを守るために必要なものは何か、について真剣に考えてようとしてないじゃん。TV局と芦原さんを対立構造でとらえて、TV局側をたたけば芦原さんのためになると思っている。その行動が芦原さんにとって大切なものを否定することになるかもしれない、という可能性を考えてみようとしてないよね。
君が当然の前提として受け入れてしまっていることが「生きづらさを抱える人々」を不幸にしているかもしれないとは、考えてみないのかな。「ここまで言ってやっとこさ」の原因は、今まさに君がやっているように、TV局も脚本家も「当然の前提」を捨てる必要があることを理解してなかったためだとは、思わないのかな。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
生きづらさを抱える人たち (スコア:0)
原作改変が問題であるかのように言われているけど、それは違うのではないかと思うよ。原作が壊されないように芦原さんがチェックして(どこまで満足していたかは不明ながら)、OKを出し、最後の2話は自分で脚本を書いているので、ある意味、原作は守られている。
芦原さんが原作を変えたくなかった理由として「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたいという思いが強くあり」と書いていて、この点を見過ごしてはいけないのではないかと思っている。今回の一連のできごとに関して、「生きづらさを抱える人たち」が無視されるのに絶望したというのは、根拠はないが、十分自殺の動機になりえるとは思う。仮にそうだとしたら、「攻撃したかったわけじゃなくて」という発言も、「生きづらさを抱える人たち」を無視しないでほしいという意味として理解できる。
芦原さんの無念をはらしたいなら、「生きづらさを抱える人たち」に寄り添うために何をすればいいのかを考えていくべきなんじゃないかな。
Re: (スコア:0)
あなたの意見では、原作改変は問題でなく、ある意味原作守られてるんだよね。
では、原作者が自分自身の言葉で書いたを見ましょう。
--------------------
ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました。
私が漫画「セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、納得のいくお返事はいただけない。
私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、どうして変更していただきたくないのかということも丁寧に
Re:生きづらさを抱える人たち (スコア:0)
でも、TV局側はチェックのために見せているし、修正してくれと言ったところは修正に応じて、最後の2話で脚本家を変えている。出てくるものは不十分だけど、対応はしてるのね。故意にひどいものを出して修正させても TV局側にはメリットないわけ。対応する気はあるけどなんらかの理由でできてないのは確かで、最もあり得るのは、「守らなければいけないものを理解できてない」なのね。
芦原さんが心の奥底から書いた文章を読んでいるから、「悪い奴をやっつけてめでたしめでたし」というストーリーでいいのか、という疑問が浮かんでくるのね。そういうストーリーを望んでいる人たちも、芦原さんを自殺するほど追い込んだ原因の一部なんじゃないかと思ってるわけ。といっても、多分君は理解しないと思う。芦原さんの求めに対応できなかったTV局や脚本家も、君と同じような感覚だったから、毎回修正が必要なストーリーを持ってくることになったんじゃないかと思うよ。
Re: (スコア:0)
今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、粘りに粘って
ここまで言ってやっとこさなんだよね。
これを簡単に要求に応じてると結論付ける感覚は信じられないわ。
そのような無神経さが、人々に生きづらさを感じさせるんだろうね。
生きづらさを感じる人々に寄り添いたいように書いてるが、全くそうは思えないね。
Re: (スコア:0)
簡単に要求に応じてるなんて書いてないよ。理解できてない要求に応じることが簡単にできるわけがないよね。
実際、君自身も、芦原さんにとって大切なものは何なのか、それを守るために必要なものは何か、について真剣に考えてようとしてないじゃん。TV局と芦原さんを対立構造でとらえて、TV局側をたたけば芦原さんのためになると思っている。その行動が芦原さんにとって大切なものを否定することになるかもしれない、という可能性を考えてみようとしてないよね。
君が当然の前提として受け入れてしまっていることが「生きづらさを抱える人々」を不幸にしているかもしれないとは、考えてみないのかな。「ここまで言ってやっとこさ」の原因は、今まさに君がやっているように、TV局も脚本家も「当然の前提」を捨てる必要があることを理解してなかったためだとは、思わないのかな。