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原作改変が問題であるかのように言われているけど、それは違うのではないかと思うよ。原作が壊されないように芦原さんがチェックして(どこまで満足していたかは不明ながら)、OKを出し、最後の2話は自分で脚本を書いているので、ある意味、原作は守られている。
芦原さんが原作を変えたくなかった理由として「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたいという思いが強くあり」と書いていて、この点を見過ごしてはいけないのではないかと思っている。今回の一連のできごとに関して、「生きづらさを抱える人たち」が無視されるのに絶望したというのは、根拠はないが、十分自殺の動機になりえるとは思う。仮にそうだとしたら、「攻撃したかったわけじゃなくて」という発言も、「生きづらさを抱える人たち」を無視しないでほしいという意味として理解できる。
芦原さんの無念をはらしたいなら、「生きづらさを抱える人たち」に寄り添うために何をすればいいのかを考えていくべきなんじゃないかな。
違う。
最初に明確に契約だか約束したのに、日本テレビが全く守ろうとしてなかったからだよ。
それは、作者無視とか軽視とかそういうこと。無視や軽視されることの辛さは格別だ。
多分ね、テレビ局側の変な論理でこれが普通だとか常識だとか、作者を攻めたりすることもあったと思う。
テレビ界の常識なんて、世間の常識とは全く違うことが今回も明らかになったけど、長年そこに住んでると分からなくなるんだろうね。
最後2話は芦原さんが書くのを認めているんだから、TV局も約束は守ろうとはしている。だけど、原作の中の何が大事なのかを、TV局も脚本家も理解できなくて、それが原因で約束を守りたくても守れなかったのが問題なんじゃないかという意見なのね。
驚き、経緯を見ればそう言う意見にならないと思うけど。
8話までに同じことが8回あって、とうとう作者が切れたんじゃない。
最初の回から作者無視のストーリーが出てきて、それを直して、次回はこのようなこと止めてと言う。でも、次回も同じことが発生。これが8回あったのでは。多分ね、守ろうとはしてない。最初に約束があったから、しょうがなく作者の言うとおりにした。邪魔な作者と言う認識だった。
経緯を見てるからそう言ってるんだよ。
TV局は芦原さんに脚本を見せて、修正を認めたわけでしょ。次回はこのようなこと止めてと言っても同じことが発生したのは、何が問題なのかTV局と脚本家が理解してないことを意味しているわけ。
対立構造でこの話を理解してしまうと、TV局を批判している人は芦原さん側に立っていることになるけど、そんな単純じゃないのね。芦原さんが大切に思っていたポイントを理解してなくても、TV局を批判することはできるから。
芦原さんが大切にしているものが踏みにじられた。それは確かだと言っていい。でも、その大切にしているも
漫画もドラマも未見なので推測だが、生きづらさについてがテーマの漫画なら、テレビ局、プロデューサー、脚本家、皆分かるのではないか。Amazonのコメントにも元気が出たとかある。読者も分かってるようだ。プロの脚本家が分からないかな。
で、分かってて無視したのでは。で、当然それに対して作者はテーマを説明したと思う。毎回毎回ね。でも、毎回毎回無視されたのでは。
TV局側も理解できると考えたから契約したんだと思うよ。でも、そんな簡単じゃない。
「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に寄り添えるように」という条件でストーリーを作らせると、「自己肯定感が低かった人が一念発起して成果を上げ、自己肯定できるようになりました」というストーリーを作ってしまう人が大部分じゃないかな。でも、それって「自己肯定感が低い人」の否定でしかないわけ。一般的な価値観を根底からひっくり返したストーリーが要求されることになると思う。
具体的にどういうやり取りがあったかは公表されてないからわからないけどね。
TV局側も理解できると考えたから契約したんだと思うよ。
違うね。本作のチーフディレクター三上絵里子は、初めから原作レイプする気満々で、契約してしまえば何とでも言いくるめられると思っていたんだよ。主役田中京子・Sali役の木南晴夏がベリーダンスの練習を始めたのは、三上絵里子チーフプロデューサーが原作者芦原妃名子とドラマ化交渉を開始し、改変禁止と未完部の展開指定を突き付けられる一月前だったそうだし。
本作のチーフディレクター三上絵里子は、初めから原作レイプする気満々で、契約してしまえば何とでも言いくるめられると思っていたんだよ。
チーフディレクターではなくチーフプロデューサーじゃないの。
契約してしまばなんとでも言いくるめられるとか原作レイプする気満々、って君の想像だよね。
「原作を変えない」って、君はすごく簡単に考えているようだけど、単純な話じゃないよ。そもそも、コミックとドラマなんだから、全く同じにはできない。コミックのページをそのまま映すだけの「ドラマ」なんてありえないだろ。さらに、この作品の場合は、原作は完
自分のTVドラマ作風が、オリジナルか原作レイプしか出来ない事位は当然三上絵里子当人が承知しているのだから、原作忠実・未完部ストーリの原作者指定を踏み躙る気満々でなければ、原作者接触開始前に主役田中京子・Sali役の木南晴夏がベリーダンスの練習開始させられないよな。喩え練習開始していたところで、放送開始延期すれば済んだ話。結果論から言えば今回の件は、放送開始を遅らせて時間を掛けて丹念に交渉してシナリオを作り込めば、原作者の自殺も無かったし、契約後からでもその間に主役田中京子・Sali役の木南晴夏のベリーダンス練習時間は充分確保できてたのだから、拙速な原作レイプドラマ化を強引に進めた三上絵里子チーフプロデューサーの責任が主だ。
自分のTVドラマ作風が、オリジナルか原作レイプしか出来ない事位は当然三上絵里子当人が承知している
それって君の想像だよね。
ある変更が原作レイプなのか受け入れ可能な変更なのか、場合によっては作品をよりよくする変更なのかを、客観的に判断することなんて不可能だよ。「TVドラマ作風が、オリジナルか原作レイプしか出来ない」って、君がプロデューサーを叩くのに都合がいいからそういうことにしたいだけでしょ。
そうやって個人を叩くのに今回の事件を利用するのを、芦原さんが喜ぶと思っているのかな?
原作忠実・未完部ストーリの原作者指定を踏み躙る気満々でなけ
まともなステートメント発表・記者会見を行っていない、周囲の情報から固まった推定主犯法人日テレ及び同個人三上絵里子チーフプロデューサーに庇われる資格は無い。企画がぽしゃらない様、原作者をだまくらかす・強引に合意を取ろうとしていた事は、周辺情報より明らか。練習を無駄にしないベリーダンスを題材にしたオリジナルドラマを作るとか、リカバリ企画に切り替える気も全く無し。結果円盤発売の目途も亡くなった。目出度し目出度し(但しVODは、怖い物見たさで視聴数多くて、多少収益に寄与しているかも)。
尚原現番組のスポンサーは、日本メディアシステムP&Gサントリーキリンビールアイフルイオンだそうで、彼らは著作権・知的財産が侵されても文句が言えませんな。
「原作者をだまくらかす・強引に合意を取ろうとしていた」って、実際には脚本を芦原さんにチェックして修正してくれと言われたところは修正に応じて、最後2話の脚本は芦原さんが書くのを認めているわけだが、それを君の日本語では「だまくらかす・強引に合意を取ろうとした」と表現するのかな? 芦原さん自身のコメントでも、「粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の完成にこぎつけました」、8話も「何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡し」、と書いてある(9、10話は芦原さんが書いた)。
「練習を無駄にしないベリーダンスを題材にしたオリジナルドラマ」って、セクシー田中さんがドラマになったんだから、その時点で練習は無駄になってない。
「彼らは著作権・知的財産が侵されても文句が言えませんな」って、ドラマの脚本は芦原さんが修正を加えたものを使っているので、著作権・知的財産権は侵害されてない。
君の現実認識に問題があることを示しているだけだね。
原作は主人公「田中さん」とこれを慕う後輩女性、そして周囲の4人の男性が軸となっている。それ以外の登場人物はあまり多くない。ところが番組の公式ホームページをみると「人物相関図」の中に見慣れない名前が4つ並んでいた。「景子」「アリサ」「絵麻」「花梨」。ベリーダンス教室のクラスメイトで、「アクティブな性格でピラティス、ワイン教室にも通っている」「スーパーのレジ打ちのパートをしているが、子育てがひと段落ついた」などのキャラクター設定も掲載されている。そしてこれらの役には乃木坂46の元メンバー生駒里奈さんやファッションモデルなどの著名人が起用されていた。そのため基本的に原作に沿っているドラマ版でも出番は非常に限られていた。そのセリフの数を調べてみたが、短いセリフが1話に1〜2個あるかどうかで、放送回によってはセリフが無い。もともとこの役には「見せ場」はないのだから、本来ならテレビ局側も著名人にはオファーを出さないはずだ。それなのにドラマではオリジナルの役名が与えられ、人気俳優らが配役されている。なぜなのか。「原作者に『原作に忠実にする』と約束して映像化を許諾してもらうよりも前の時点で、テレビ局側は原作の改変ありきで勝手に役を作り、キャスティングをしてしまっていた」との分析。https://www.dailyshincho.jp/article/2024/02160600/ [dailyshincho.jp]
著作へのリスペクトに基づく同一性保持なんだがなぁ。この程度の引用、それこそ巻頭記事を始めスラドでは過去普通に行われてきた。にも拘らず、この投稿だけに対する削除要求は、削除させたい事情(放送局側工作員?)があるのだろう。大体アカウントがあるなら、マイナスモデレートすれば済む話。
その投稿者が全文引用が必要だと思って全文引用したのなら、何の問題もありませんよ。あなたが自分で自覚して書いてる通り、いくら全文引用する必要がないと他人が言っても、その指摘の論弁では意味不明な難癖や俺様ルールにしか見えません。元記事からの引用比率が多すぎるからアウトなんてのは日本の法律のどこにも存在しませんが。どこにあるのですか知りたいですね。「資本主義命」なんて書き込んでる老害社会主義者ですし。俺様ルールを言い続けるしかできないでしょうねえ。
引用したのは、記事文の20%程度、周辺の宣伝とか含めたウェブページ3ページ全体の10%以下。題文は完全オリジナル=投稿者の批評文。これは全文引用ではなかろう。
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
生きづらさを抱える人たち (スコア:0)
原作改変が問題であるかのように言われているけど、それは違うのではないかと思うよ。原作が壊されないように芦原さんがチェックして(どこまで満足していたかは不明ながら)、OKを出し、最後の2話は自分で脚本を書いているので、ある意味、原作は守られている。
芦原さんが原作を変えたくなかった理由として「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたいという思いが強くあり」と書いていて、この点を見過ごしてはいけないのではないかと思っている。今回の一連のできごとに関して、「生きづらさを抱える人たち」が無視されるのに絶望したというのは、根拠はないが、十分自殺の動機になりえるとは思う。仮にそうだとしたら、「攻撃したかったわけじゃなくて」という発言も、「生きづらさを抱える人たち」を無視しないでほしいという意味として理解できる。
芦原さんの無念をはらしたいなら、「生きづらさを抱える人たち」に寄り添うために何をすればいいのかを考えていくべきなんじゃないかな。
Re: (スコア:0)
違う。
最初に明確に契約だか約束したのに、日本テレビが全く守ろうとしてなかったからだよ。
それは、作者無視とか軽視とかそういうこと。
無視や軽視されることの辛さは格別だ。
多分ね、テレビ局側の変な論理でこれが普通だとか常識だとか、作者を攻めたりすることもあったと思う。
テレビ界の常識なんて、世間の常識とは全く違うことが今回も明らかになったけど、長年そこに住んでると分からなくなるんだろうね。
Re: (スコア:0)
最後2話は芦原さんが書くのを認めているんだから、TV局も約束は守ろうとはしている。だけど、原作の中の何が大事なのかを、TV局も脚本家も理解できなくて、それが原因で約束を守りたくても守れなかったのが問題なんじゃないかという意見なのね。
Re: (スコア:0)
驚き、
経緯を見ればそう言う意見にならないと思うけど。
8話までに同じことが8回あって、とうとう作者が切れたんじゃない。
最初の回から作者無視のストーリーが出てきて、それを直して、次回はこのようなこと止めてと言う。
でも、次回も同じことが発生。
これが8回あったのでは。
多分ね、守ろうとはしてない。
最初に約束があったから、しょうがなく作者の言うとおりにした。
邪魔な作者と言う認識だった。
Re: (スコア:0)
経緯を見てるからそう言ってるんだよ。
TV局は芦原さんに脚本を見せて、修正を認めたわけでしょ。次回はこのようなこと止めてと言っても同じことが発生したのは、何が問題なのかTV局と脚本家が理解してないことを意味しているわけ。
対立構造でこの話を理解してしまうと、TV局を批判している人は芦原さん側に立っていることになるけど、そんな単純じゃないのね。芦原さんが大切に思っていたポイントを理解してなくても、TV局を批判することはできるから。
芦原さんが大切にしているものが踏みにじられた。それは確かだと言っていい。でも、その大切にしているも
Re: (スコア:0)
漫画もドラマも未見なので推測だが、生きづらさについてがテーマの漫画なら、テレビ局、プロデューサー、脚本家、皆分かるのではないか。
Amazonのコメントにも元気が出たとかある。読者も分かってるようだ。
プロの脚本家が分からないかな。
で、分かってて無視したのでは。
で、当然それに対して作者はテーマを説明したと思う。
毎回毎回ね。
でも、毎回毎回無視されたのでは。
Re: (スコア:0)
TV局側も理解できると考えたから契約したんだと思うよ。でも、そんな簡単じゃない。
「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に寄り添えるように」という条件でストーリーを作らせると、「自己肯定感が低かった人が一念発起して成果を上げ、自己肯定できるようになりました」というストーリーを作ってしまう人が大部分じゃないかな。でも、それって「自己肯定感が低い人」の否定でしかないわけ。一般的な価値観を根底からひっくり返したストーリーが要求されることになると思う。
具体的にどういうやり取りがあったかは公表されてないからわからないけどね。
Re: (スコア:1)
TV局側も理解できると考えたから契約したんだと思うよ。
違うね。
本作のチーフディレクター三上絵里子は、初めから原作レイプする気満々で、契約してしまえば何とでも言いくるめられると思っていたんだよ。
主役田中京子・Sali役の木南晴夏がベリーダンスの練習を始めたのは、三上絵里子チーフプロデューサーが原作者芦原妃名子とドラマ化交渉を開始し、改変禁止と未完部の展開指定を突き付けられる一月前だったそうだし。
Re: (スコア:0)
チーフディレクターではなくチーフプロデューサーじゃないの。
契約してしまばなんとでも言いくるめられるとか原作レイプする気満々、って君の想像だよね。
「原作を変えない」って、君はすごく簡単に考えているようだけど、単純な話じゃないよ。そもそも、コミックとドラマなんだから、全く同じにはできない。コミックのページをそのまま映すだけの「ドラマ」なんてありえないだろ。さらに、この作品の場合は、原作は完
Re: (スコア:0)
自分のTVドラマ作風が、オリジナルか原作レイプしか出来ない事位は当然三上絵里子当人が承知しているのだから、原作忠実・未完部ストーリの原作者指定を踏み躙る気満々でなければ、原作者接触開始前に主役田中京子・Sali役の木南晴夏がベリーダンスの練習開始させられないよな。
喩え練習開始していたところで、放送開始延期すれば済んだ話。
結果論から言えば今回の件は、放送開始を遅らせて時間を掛けて丹念に交渉してシナリオを作り込めば、原作者の自殺も無かったし、契約後からでもその間に主役田中京子・Sali役の木南晴夏のベリーダンス練習時間は充分確保できてたのだから、拙速な原作レイプドラマ化を強引に進めた三上絵里子チーフプロデューサーの責任が主だ。
Re: (スコア:0)
それって君の想像だよね。
ある変更が原作レイプなのか受け入れ可能な変更なのか、場合によっては作品をよりよくする変更なのかを、客観的に判断することなんて不可能だよ。「TVドラマ作風が、オリジナルか原作レイプしか出来ない」って、君がプロデューサーを叩くのに都合がいいからそういうことにしたいだけでしょ。
そうやって個人を叩くのに今回の事件を利用するのを、芦原さんが喜ぶと思っているのかな?
Re: (スコア:0)
まともなステートメント発表・記者会見を行っていない、周囲の情報から固まった推定主犯法人日テレ及び同個人三上絵里子チーフプロデューサーに庇われる資格は無い。
企画がぽしゃらない様、原作者をだまくらかす・強引に合意を取ろうとしていた事は、周辺情報より明らか。
練習を無駄にしないベリーダンスを題材にしたオリジナルドラマを作るとか、リカバリ企画に切り替える気も全く無し。
結果円盤発売の目途も亡くなった。
目出度し目出度し(但しVODは、怖い物見たさで視聴数多くて、多少収益に寄与しているかも)。
尚原現番組のスポンサーは、
日本メディアシステム
P&G
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キリンビール
アイフル
イオン
だそうで、彼らは著作権・知的財産が侵されても文句が言えませんな。
Re:生きづらさを抱える人たち (スコア:0, 参考になる)
「原作者をだまくらかす・強引に合意を取ろうとしていた」って、実際には脚本を芦原さんにチェックして修正してくれと言われたところは修正に応じて、最後2話の脚本は芦原さんが書くのを認めているわけだが、それを君の日本語では「だまくらかす・強引に合意を取ろうとした」と表現するのかな? 芦原さん自身のコメントでも、「粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の完成にこぎつけました」、8話も「何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡し」、と書いてある(9、10話は芦原さんが書いた)。
「練習を無駄にしないベリーダンスを題材にしたオリジナルドラマ」って、セクシー田中さんがドラマになったんだから、その時点で練習は無駄になってない。
「彼らは著作権・知的財産が侵されても文句が言えませんな」って、ドラマの脚本は芦原さんが修正を加えたものを使っているので、著作権・知的財産権は侵害されてない。
君の現実認識に問題があることを示しているだけだね。
デイリー新潮指摘、日テレ版セクシー田中さんに残る三上絵里子プロデューサーの阻止された原作レイプの企て (スコア:1)
原作は主人公「田中さん」とこれを慕う後輩女性、そして周囲の4人の男性が軸となっている。それ以外の登場人物はあまり多くない。ところが番組の公式ホームページをみると「人物相関図」の中に見慣れない名前が4つ並んでいた。
「景子」「アリサ」「絵麻」「花梨」。ベリーダンス教室のクラスメイトで、「アクティブな性格でピラティス、ワイン教室にも通っている」「スーパーのレジ打ちのパートをしているが、子育てがひと段落ついた」などのキャラクター設定も掲載されている。そしてこれらの役には乃木坂46の元メンバー生駒里奈さんやファッションモデルなどの著名人が起用されていた。
そのため基本的に原作に沿っているドラマ版でも出番は非常に限られていた。そのセリフの数を調べてみたが、短いセリフが1話に1〜2個あるかどうかで、放送回によってはセリフが無い。もともとこの役には「見せ場」はないのだから、本来ならテレビ局側も著名人にはオファーを出さないはずだ。
それなのにドラマではオリジナルの役名が与えられ、人気俳優らが配役されている。なぜなのか。
「原作者に『原作に忠実にする』と約束して映像化を許諾してもらうよりも前の時点で、テレビ局側は原作の改変ありきで勝手に役を作り、キャスティングをしてしまっていた」
との分析。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/02160600/ [dailyshincho.jp]
Re: (スコア:0)
著作へのリスペクトに基づく同一性保持なんだがなぁ。
この程度の引用、それこそ巻頭記事を始めスラドでは過去普通に行われてきた。
にも拘らず、この投稿だけに対する削除要求は、削除させたい事情(放送局側工作員?)があるのだろう。
大体アカウントがあるなら、マイナスモデレートすれば済む話。
Re: (スコア:0)
その投稿者が全文引用が必要だと思って全文引用したのなら、何の問題もありませんよ。
あなたが自分で自覚して書いてる通り、いくら全文引用する必要がないと他人が言っても、その指摘の論弁では意味不明な難癖や俺様ルールにしか見えません。
元記事からの引用比率が多すぎるからアウトなんてのは日本の法律のどこにも存在しませんが。どこにあるのですか知りたいですね。
「資本主義命」なんて書き込んでる老害社会主義者ですし。俺様ルールを言い続けるしかできないでしょうねえ。
Re: (スコア:0)
引用したのは、記事文の20%程度、周辺の宣伝とか含めたウェブページ3ページ全体の10%以下。
題文は完全オリジナル=投稿者の批評文。
これは全文引用ではなかろう。