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話し相手が ID だろうがそうでなかろうが、基本的には気にしないようにしているつもりですが (そうでないときもあるなぁという自覚も無いわけではないのですが)、自分が ID で (と、言うよりは、このハンドル名を冠した上で) なにかを書くときには、それ相応の緊張感があります。これは、あるいは私の場合はいたって特殊で、自分のサイト [asahi-net.or.jp] や、他のいくつかの場所でも使用しているハンドルネームである為に、(個人情報についておおっぴらに公開しているわけではないにも関わらず) ネット上での多くの行動に関連付けて観察される可能性があるからなのかもしれません。
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192.168.0.1は、私が使っている IPアドレスですので勝手に使わないでください --- ある通りすがり
変わっていないと言うより (スコア:0)
2chと比べられるのを極端に嫌がったり、2chを悪く言うIDが多いのも、実はスラドがどうしようもなく下世話な状態であることに薄々気づきつつそれを陽に認めることができないからこそ、という感じがします。また、そんな現状をきちんと認識できないあたりが、いかにもスラドらしくトホホなんですがね。
Re:変わっていないと言うより (スコア:1)
本家のことだよ。
slashdot.org について書かれた Hotwired の記事から5年経ってるってこと。
ジャパンと本家は似て非なるもの。
本家のほうが2chにより近いと思う。
Re:変わっていないと言うより (スコア:1)
本家くらいのユーザ数になると
IDとanonymousとで違いがない。
以前にも書いたが、IDがラジオでのお便り紹介、
「×市の○さん」と同じようなものになる。
個別差はあるが、まず覚えられない。
なので自ずと2ちゃんねる的な混沌を持つ。
しかし現在の.jp規模ではどうしても馴染みIDができる。
それはそれで面白いのではあるものの
馴れ合いと揶揄される状況へ簡単に移行しがち。
.jpのユーザに2ちゃんねるを嫌う傾向が強いのは、規模へのやっかみ、
2ちゃんのヘビーユーザであったことがなくてその文化を知らない、
IDと匿名が変わらないことを理解していないために
「IDの優越感」を持っているからだと思う。
最後
Beauty is within us, just like a rose.
本質なんてどうでもいいのですが (スコア:1)
話し相手が ID だろうがそうでなかろうが、基本的には気にしないようにしているつもりですが (そうでないときもあるなぁという自覚も無いわけではないのですが)、自分が ID で (と、言うよりは、このハンドル名を冠した上で) なにかを書くときには、それ相応の緊張感があります。これは、あるいは私の場合はいたって特殊で、自分のサイト [asahi-net.or.jp] や、他のいくつかの場所でも使用しているハンドルネームである為に、(個人情報についておおっぴらに公開しているわけではないにも関わらず) ネット上での多くの行動に関連付けて観察される可能性があるからなのかもしれません。
むらちより/あい/をこめて。
レッテル (スコア:1)
これはいわば「脳内モデレーション」であろう。
誰でも「評価すべき瞬間」と「そうでない瞬間」がある。
「評価すべき瞬間」の多さには差がある。
良いコメントの篩い分けは手間が掛かる。
多い人と少ない人がいるので
先に「IDというレッテル」で篩い分けするのだな。
対話を続けることは、それがネガティブでもポジティブでも
消耗するから、余計なコストを掛けたくないわけだ。
本来、レッテルでなくコメントごと評価批判すべきものだ。
これをシステムへ明示的に取り込めば FoF になる。
> ハンドル名を見た瞬間に、その発言を読む姿勢がある程度決まってしまう
このレッテルとトレーサビリティは読む側の勝手な都合であって、
コメント毎に評価するのがリアルなコミュニケーションだ。
常に君子聖人でいる人はいない。
気心の知れたはずの大好きな恋人や夫婦ですら
ダメなときはどうやってもダメだから(笑)。
良い悪い、「評価すべき瞬間」は読む側の状況でいくらでも可変だ。
その人、その時、その状況で簡単に変わり得る。
ID、モデ、FoFなど、「客観的で妥当に見える道具」を用意すると
コミュニケーション状態が固定化されてしまう。
私にはあまり健全とは思えない。
Beauty is within us, just like a rose.