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> すでに競争相手がいっぱいいる状況下で競り勝っていく(淘汰)
淘汰ってのはそういうのとは違うんじゃないかな。確かにそれも淘汰の一部ではあるけれど。進化や変異というと
> 自分を変えることで「繁殖可能な空白地」を新たに見つけたり生み出すしたりする
といった「ある目的に向かって変化」するものと考えてる人が多いようだけど、自分にはそうは思えないです。変化はランダムであって、目的も方向性もないんじゃないでしょうか。 そうして様々に変化した結果、たまたま優秀な能力を得たならば「
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
100万年後に人類が生き残っていたら (スコア:1, すばらしい洞察)
そうするとどういう遺伝子が残っていくんだろうか。
種としての劣化が始まるのでは? (スコア:1, 興味深い)
社会も同じく。社会を構成する個体の淘汰が起きなくなると、社会としての劣化が始まり、結果としてまた個体の淘汰が再開されるのだと思います。その螺旋的繰り返し。今の日本はどの状態だろう。社会として劣化のまっただ中?
屍体メモ [windy.cx]
Re:種としての劣化が始まるのでは? (スコア:3, 興味深い)
淘汰って、進化の中ではそれほど大きな割合を占めてないんだよね。
今西とかが言ってることだ(ったと思う)けど、
実際には種の繁殖に適しているがまだ侵入されていない
「空白地」があって、
そこに新たに侵入してきた種のうち、爆発的に繁殖した
ものがそこで支配的になる、
というほうが進化のパターンとしては多い。
言い方を変えれば、自分を変えることで「繁殖可能な空白地」
を新たに見つけたり生み出すしたりするほうが進化の
大部分であって、すでに競争相手がいっぱいいる
状況下で競り勝っていく(淘汰)というのは進化の
うちのごく一部にすぎない。
というよーな話があったかと思うんだけどね。
だから「種の劣化」とか言うのはちと違うような気がする。
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています
淘汰ってのは (スコア:0)
淘汰ってのはそういうのとは違うんじゃないかな。確かにそれも淘汰の一部ではあるけれど。
進化や変異というと
といった「ある目的に向かって変化」するものと考えてる人が多いようだけど、自分にはそうは思えないです。変化はランダムであって、目的も方向性もないんじゃないでしょうか。
そうして様々に変化した結果、たまたま優秀な能力を得たならば「
Re:淘汰ってのは (スコア:1)
> 多々あるはずで、というかむしろその方が多いと
> 考える方が自然じゃないかと思いますが、とにかく
> その結果、生存競争に負けたり、最悪の場合種と
> しての繁殖や、個体としての発生すら果たせずに、
> 自らの遺伝情報を遺せないまま滅んでしまう、
> そういうことが「淘汰」の本質なのではないでしょうか。
つまり、「サバンナに住むインパラの中に、脚の
遅い個体が生まれると、そいつはライオンに食われる
確率が他の個体に比べて非常に大きい。
食われてしまえば繁殖できないわけで、つまりこれが淘汰。」
みたいな感じでしょ?
で
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています
Re:淘汰ってのは (スコア:1)
> 述べてて、確かに個体レベルで言えばそのとおり。
> でもちょっと無味乾燥すぎる。
> 正解なんだけど、発展性がないんだよね。
「キリンさんはなぜ首が長いの?」「高い木の葉を食べるためだよ」
と教えられていたのが,
「首が長くなってみたら高い木の葉が食べられて有利だったから,そういうキリンさんが増えたんだよ」
って発想の逆転は,私にとっては人生を左右するような大発見でしたね.
(キリンさんの例が正しいかどうかは知らないけど)
少なくとも私の思考能力を大きく発展させてくれました.(^^;;
> もっと別の視点であれば進化にもっとおもしろい意味を
> 見出せる。たとえば複雑系の観点では「自己組織化」とか
> 言うし、デネットなんか「自由=可避性」の増加という
> 視点で進化を考えてる。
> そういうのもおもしろいと思うよ。
ミクロな事象の積み重ねである結果を生んだと説明することと,
マクロな視点でその過程を説明することは,
視点の違いであって,比較してもおもしろくないな.
むしろ,両面から説明できるのがおもしろいところだと思う.
「キリンさんの首が長いのは高い木の葉を食べるため」は,
後者の視点で言えば,そう説明して良いと思います.
でも,「高い木の葉を食べるために首を長くした」とか言い出すと,
ある法則をもって説明できることと,その法則に従って物事が進んでいることを
混同しているのではないかと疑ってみることにしています.