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自分らが好きで開発していて さらに好きに使って良いというライセンスをつけていて それで「支援がない」といって批判するのは見苦しいね だったら最初からそういうライセンスにしろよ
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あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
なんか見苦しいな (スコア:2, すばらしい洞察)
自分らが好きで開発していて
さらに好きに使って良いというライセンスをつけていて
それで「支援がない」といって批判するのは見苦しいね
だったら最初からそういうライセンスにしろよ
Re:なんか見苦しいな (スコア:1, フレームのもと)
必ずしもそれが現金でなくても。
Re:なんか見苦しいな (スコア:2, 興味深い)
対価についての明確な記述をライセンスに盛り込まなくても皆が幸せでいられた時代も終わったのかな・・・
旅に出ます.(バグを)探さないで下さい.
Re:なんか見苦しいな (スコア:3, すばらしい洞察)
ビジネスモデルの確立で一番難しいのは、人の役に立つことではないんです。どのくらい役に立ったかお客さんに認めてもらって代金を回収し(ここが難しい)、それを使って継続的に活動を続けるかなんです。無償で使っていいよなんて言ったくせに、憎まれ役のコスト回収は企業にやって欲しいというのは、私にはずるく、あるいは甘く見えます。
企業の立場で言えば、お客さんからは「あんたたちタダでそのSSH手に入れてるんだろ? それに代金なんて払えないよ」と言われるわけです。だって開発元がタダだって書いてるんだもの。コストがかかっているなら最初から提示してくれれば、それに見合った対価がもらえそうか見積もるだけなんだから。
#なんだか文字にしちゃうとあたりまえのことなんだけど……
人生は七転び八起き、一日は早寝早起き
ビジネスモデル (スコア:1)
フレームの元だったら遠慮なくマイナスモデどーぞ。
陸上系のスポーツ選手の多くは本来一銭にもならない(あくまで職業として)ことをしていますが、スポーツ用品メーカーから支給される製品を着て露出することでスポーツメーカーから広告料を貰っていますよね。
その額が成績に比例しますので、場合によっては一生かかっても使い切れないような額になることも。
今日たまたまテレビ見てたんですが、エチオピアのケネニサ・ベケレなんて走ることで自身の生計を立てるどころか、国民を鼓舞しているわけで。
彼のようなキャラクターに対する出資は、広告効果以上のものが得られるのではないでしょうか?
オープンソースでのビジネスの一形態にこれらは当然含まれていますよね?
だったら言い方がの問題のような気がします。
「儲けてるはずなのに支援しない」ではなくて
「金銭的支援をし、そのことを公表すれば貴方の企業の価値が上がりますよ」と言えば値千金のビジネスの話になると思うのです。
また、そのつもりで言ったかも知れないのに(記事にした|訳した)時点で主旨が変わっている可能性はないのでしょうか?
#なさそうだなぁ。
Youthの半分はバファリンでできています。
Re:なんか見苦しいな (スコア:1)
寄付が一般的でない日本ではそうかもしれませんけど、
米国あたりだと、寄付を活動資金に組み入れてるNPOは少なくないですよ。
#ま、節税対策だったりもするんですが。
> コストがかかっているなら最初から提示してくれれば、
> それに見合った対価がもらえそうか見積もるだけなんだから。
それに見合った対価を見積もれるんだったら、
その対価を寄付するってことも可能なのでは?
Re:なんか見苦しいな (スコア:1)
ただ、寄付をしない団体に文句を言うのは筋が違うと思うのです。
>> コストがかかっているなら最初から提示してくれれば、
>> それに見合った対価がもらえそうか見積もるだけなんだから。
>それに見合った対価を見積もれるんだったら、
>その対価を寄付するってことも可能なのでは?
見積もれるのなら、おっしゃるとおりです。
伝わらなかったのかもしれませんが、私は見積もりようが無いと書いているつもりです。
開発元が無料だと書いてしまったら、その対価は見積もれません。
もしそこに何かの値段をつければ、お客さんからは「タダで手に入れたものを使って金をとるのか、それはぼったくりだろう」と文句を言われてしまいます。何かの付加価値をつければその部分には対価をつけられるでしょう。しかし(意見の分れるところでしょうが)、その付加価値はOpenSSHの作成したものではないと考えるならば、別に金を払う義理はありません。
開発にコストがかかっていると考えているなら、継続的に開発を続けるにはそのコストを計算して収支を合わせるべきです。
あと、話が少しずれるのですが、これを寄付(donation)と呼ぶのもちょっと違うかなと。衣食住が脅かされている人を助けるための寄付とは違うのだから、区別したほうがいいのではないかと思うのです。これって、寄付というよりはむしろ無償で頑張っている人を応援するカンパ(campaign)ですよね? 個人的な感覚があるかもしれないけれど、道義的な責任は寄付に比べてだいぶ薄いと感じてしまいます。本人が無料だと公式に書いているのにわざわざださなくても、なんてね。
人生は七転び八起き、一日は早寝早起き
Re:なんか見苦しいな (スコア:1)
理解できなくもありません。
でも、「文句くらい言ってもいいじゃん」って考え方もあっても良いんじゃないかな。
別に無理やり金を強奪するわけじゃないんだから。
> 開発元が無料だと書いてしまったら、その対価は見積もれません。
あるものの仕入れ値がタダであろうとなかろうと、
それによって何らかの有用性を得ているのであれば、
その有用性を対価に換算することはできるでしょう。
それを顧客に説明できないとしたら、
それもまた、脆弱なビジネスモデルと言えるのでは?
> 衣食住が脅かされている人を助けるための寄付とは違う
そういうものだけを寄付と捉えるのは、私の感覚には合いません。
例えば寄付講座って、食うや食わずの人に与えるもんじゃないですよね。
東大安田講堂は、富士銀行の前身安田銀行の創立者、安田善次郎の寄付によるものです。
個人的には、寄付と呼ばれようととカンパと呼ばれようと、
この場合言葉遊び以上の意味は見出せません。