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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
えー (スコア:0)
ワープロが誕生しても、文化には影響無いんじゃないか。
せいぜい誤変換で遊ぶくらいで、でもそれは漢字変換の話でワープロとは微妙に違うよね。
「文化の向上」です … 多分 (スコア:3, 興味深い)
和文タイプライター(邦文タイプライター)と言うものが有りました。
「タイプ印刷」などと言われたのですが、実物 [biglobe.ne.jp]を見ていただければ、
それを使っていたのが一部の職種だけだった理由はおわかりいただけると思います。
(扱うには実際なかなか厄介な代物でした)
初期の日本語ワープロは巨大でした [mycom.co.jp]が
(机の上に乗っている写真では無い事にご注意下さい)、
発表された時は「凄い」という感想を持ちました。
個人が使えるような値段じゃなかったんですけれど、欲しかった。
それは、PC・Macが日本語ワープロ機能を持っている事が
改めて意識される事さえなくなった今では、もはや理解されがたい感想なのかもしれませんが。
もし日本語ワープロが出来ていなければ、こうやってWeb上で 意見を交わす事なども不可能だったわけで。
まとまったお金を印刷につぎ込めるメディア企業しか大規模な情報発信が出来なかった昔より
今の方が文化の向上には良い環境だと思います … 使いようだけれど
確実に:「文化の向上」です (スコア:3, すばらしい洞察)
タイピストやってた親に言わせると、文章考えながら和文タイプ打つのはほぼ不可能で、
しかも、下書きの文章ではなく「一文字」に反応するから、
内容は見ないし、文章力もつかないと断言してました。
もともとワープロは公文書など書類を作るために生まれたものだけど、
年賀状とか、手書きより立派で見やすいとか色んな理由で一般に普及しました。
ここまでは技術の向上かも知れない。
でもワープロでもパソコンでも「かな漢字変換」を覚えた人たちが、
手書き以外の表現で、Eメール・Web作成・blog・チャットするのは文化の変化です。
もし入力が和文タイプ方式のまんまなら、インターネットは日本人にとって敷居の高い文化ですよ。
携帯だって初期は単漢字変換しかできなかったけど、今は文節入力になりましたよね。
それって、多くの日本人が連文節のかな漢字変換の方が便利だと感じてる証拠でしょう。
親コメントが何を言いたいのか分からないことはないけど、
ワープロ最大の功績「かな漢字変換」はコンピュータ技術者以外の一般人とPC、
その先にあるインターネットとの距離をぐーっと縮めた最大の要因です。
難解なコンピュータを一般にまで広めたのですから、間違いなく文化の向上です。
Re:確実に:「文化の向上」です (スコア:2, 参考になる)
タイピストさんだと、その巨大版は多分見たことが無いと思いますが、
あれの実態は実は「縮小版の輪転機」なのですよ。
一文字活字を拾って印刷して、その活字を戻す感じで動きます。
だから、「タイプ印刷」。まさしく清書用途なのです。
文章を書いて、推敲して(朱を入れて)、それを再度清書して、最後が和文タイプでした。
(英文・和文タイピストというのは、文章を作成する役割を担いません)
外に頼むと結構な金額になるし、原稿のやりとりにも時間がかかる。
しかも文章が大きく変われば最初からやり直し … 今思うと隔世の感が有りますね。
でも、そういう事が当たり前だった時代の人は元気に現役です。
あなたのお母さん(タイピストはほとんど女性だった)のように。私のように。
ワープロと思考についてなら、「かな漢字変換」は単に技術的な話で、
実は「推敲の手立て」が変わったことが大きいと思います。
(言葉を変えると、「コピー&ぺースト」ですけれどね)
この部分は、ワープロ前とワープロ後では決定的に違います。
ストック分が再利用できるというのはとても大きいのです。
# Wikipediaはそういう再利用性の獲得とWebが産み出した果実です
Re:確実に:「文化の向上」です (スコア:1)
実際に実用で見たのは車の免許の切り替えの時に
免許センターの周りの業者に頼んで書類作って
貰う時だけでした。
断言:「文化の向上」です (スコア:1, 興味深い)
> それを使っていたのが一部の職種だけだった理由はおわかりいただけると思います。
ある種に専門職でしたね。
あくまでも タイプライターなので、レイアウトとかを考え抜いた上での清書用です。
> もし日本語ワープロが出来ていなければ、こうやってWeb上で意見を交わす事なども不可能だったわけで。
実際のビジネス現場での業務においても、基本 手書きだった時代とは、その量・スピードとも変わりました。
手で書類を書いていた時代より、確実に内容そのものに時間がかけられるようになってます。
今時の人には信じられないかもしれないけど、企業の新人研修で ペン習字をやらせてたところも多かったんですよ。
上司によっては、内容より 字の上手下手で査定するなんてことも多々あったし。
まぁ、字が汚い書類はそれだけ 誤解や解読の手間が増える=非生産的という判断には それなりの説得力がありえてしまったわけだが。
今、各企業で盛んな 英語熱 TOEIC狂騒も、同じような無駄な遠回りだったと思われる時代がスグそこまで、来てるんでしょうな。
「オレらの時代は TOEICってな試験があって、その点数で語学力がドウコウ言われてたんだよ」
「(へぇ、PC使えば 誰とでも会話できるって想像できなかったんですねぇ) -by Google:自動通訳翻訳」
Re:断言:「文化の向上」です (スコア:0)
その点数が高くないと英語を使う国に出稼ぎに行けなかったんだ :-p
つい先日のBBCの記事、'Tower of Babel' translator made [bbc.co.uk]
(このシステムでは音声を使っていない、というのが凄いです)
偉大なムーアの法則の力は、間もなく本当に「翻訳こんにゃく」を作り出すのでしょうね。
何語から何語でも自由に意思疎通が出来る時代は、
「我は我、彼は彼」という意識が弱い日本人には、辛い時代かもしれないと、そんな事を思います。