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つか行司って審判でも何でもないよね?
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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚
絶対なものとして過大評価 (スコア:3, すばらしい洞察)
人間の審判だって同じ。人間の審判も往々にして間違うけど、絶対だという約束事になってる。
Re: (スコア:2, 興味深い)
人間が判定する場合、人間が責任を負うけど、
機械が判定する場合、誰が責任を負うの?って話になる。
「責任は負えないけど、信頼性はあります」としか機械は言えないわけで、
そこが今回の発表につながるんじゃないかなぁ。
#もっとも人間の場合、「責任は負いますが信頼性はありません」ってことになるわけだけど。
Re: (スコア:1)
誤審も含めて「審判は絶対」であるのだと思いますが
Re: (スコア:2, 参考になる)
相撲の行司が短刀を差してるのは誤審した際に切腹するため。
…さすがにホントに切腹した人はいませんが。
第十七代の木村庄之助 [wikipedia.org]は行司差し違えの責任を取って引退してます。
Re:絶対なものとして過大評価 (スコア:0)
Re:絶対なものとして過大評価 (スコア:2, 興味深い)
というか、本来、最終決断をする審判のはずが、「物言い」というという制度のために、おとしめられたしまった。
サッカーも、昔は、いまの「副審」(いわゆる線審。昔から二人)が本当の「審判」で、
今の「主審」は二人の「審判」の判定が異なったとき、仲裁のために居たのが、
そのうちすべての判断を委ねられるようになった、となんかの本に書いてありました。
つまり、「物言い」が「主審」。でも、サッカーと違って、行司は一人だけど、物言いするのは複数。