アカウント名:
パスワード:
わびさびを棋譜に残そうという自覚を持って打っている人ってのもなかなか いないと思うがなぁ。むしろ俗物的で嫌な感覚だと個人的には思います。
問題は、機械相手に燃えるかどうかにあるか、かな。ノートPCなんかで、 長考中にファンの音が一段高くなったりすると、雰囲気があってよいとか思ったりしますね。人間的ではないが、勝負に熱くなっている感覚というのはある。 むしろとことん非人間的(天下り的な定石データベース等を持たず、全部独力で 学習するなど)な方向に突き詰めてくれた方が面白いと思う。 「人間的感性」なんかを機械に求めようというのがそもそもの間違いでしょう。 機械には「機械的感性」を磨いてきて欲しい。
あ、商業用ソフトウェアの分野では、「人間的」な指し手が求められますね。 私が「人間的感性はいらない」と主張するのは、「最強」を求める分野においてです。
ゲームのルールを人間が定めている時点で、無茶な事なのかもしれませんが…
追い詰められたらいきなりキレて、こめかみのあたりから冷却水を吹き出したりして。
ぴゅー
ってね。
どのあたりがこめかみかわからんけど、ディスプレイの角あたり?
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
F1の様にならなければよいが (スコア:1)
現代F1のフォルムも理論的すぎて面白くない。90年代まで理論と感性がうまく融合し、人間的、技術的欠点がある危険なマシンが熱いバトルをしていた頃の様な興奮をまた味わいたいな。
将棋も目標としては触手を延ばされてもおかしくないですよね。
記事の対局を解説した本も近所の図書館から借りてきた事があり、かなり話題となったようですね。他にも将棋マシンの
Re:F1の様にならなければよいが (スコア:2, 興味深い)
わびさびを棋譜に残そうという自覚を持って打っている人ってのもなかなか いないと思うがなぁ。むしろ俗物的で嫌な感覚だと個人的には思います。
問題は、機械相手に燃えるかどうかにあるか、かな。ノートPCなんかで、 長考中にファンの音が一段高くなったりすると、雰囲気があってよいとか思ったりしますね。人間的ではないが、勝負に熱くなっている感覚というのはある。 むしろとことん非人間的(天下り的な定石データベース等を持たず、全部独力で 学習するなど)な方向に突き詰めてくれた方が面白いと思う。 「人間的感性」なんかを機械に求めようというのがそもそもの間違いでしょう。 機械には「機械的感性」を磨いてきて欲しい。
Re:F1の様にならなければよいが (スコア:1)
あ、商業用ソフトウェアの分野では、「人間的」な指し手が求められますね。 私が「人間的感性はいらない」と主張するのは、「最強」を求める分野においてです。
ゲームのルールを人間が定めている時点で、無茶な事なのかもしれませんが…
Re:F1の様にならなければよいが (スコア:1)
しかし、定石等の教育的基礎データは計算上必要と思いますし、実際の対局以前に対戦相手と同等かそれ以上の力を蓄積した場合でも、結局、記憶領域には定石と同じようなデータが大量にといったことがあると思います。
機械が打つ手は、あくまで相手の心情や手のうちに関係なく(それをも計算するマシンではこの限ではないが)データを計算した「完全あろう結果」でしかないから「感性」ではなく「特性」とか「傾向」、「クセ」と言った方がいいのではないでしょうか?
もしかすると、それを「機械的感性」と言われているのかも知れませんが...取り違ってたらすいません。
娯楽として見るなら、やっぱり「自覚を持って」いなくとも人間的な感覚が表われた棋譜を眺めていたいですし、機械が打った物の方を好まれる方もこれから増えるかも知れませんね。
最近は、囲碁を趣味にする外国人が増えているそうです。
それと、ノートPCの節は、共感しました。
Re:F1の様にならなければよいが (スコア:1)
Re:F1の様にならなければよいが (スコア:1)
追い詰められたらいきなりキレて、こめかみのあたりから冷却水を吹き出したりして。
ぴゅー
ってね。
どのあたりがこめかみかわからんけど、ディスプレイの角あたり?
追い詰められたら (スコア:1)
とか。
# 専用扇子はメーカー純正オプション!?
Re:追い詰められたら (スコア:1)