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文書を書くということに至っては、苦手をとおりこして恐怖症の状態である。
本当にそうなら、blogなんかかけないはずだ。
なので、単なる練習不足。というか、練習していると言う「自覚がない」まま文章を書いているので、生産している文字数が自信に結びついていないだけ。こう…なんと言うか…日常の運動量は多いが、「運動練習をしている」意識がないので、「体の動かし方」に結びついていないのと同じ。
「わかりやすい文章の書き方」系の本を時々読み、そこに書いてあることを意識したり、わざと反抗したりしながら blog を書く。アスリートが日常動作でも体の動かし方を意識するのと同じ。
文章を書くこと自体ではなく、書いても読み手に伝わらないかもしれない、というのが恐怖なのでは。日記やその延長線上にあるブログなどは、読み手に伝えることが主眼にあるわけではないから、プレッシャーは掛からない。だから書くことができるのではないかなと。
#日記を読んだ上でのただの想像です。間違っていたならごめんなさい。
文章については、感覚よりも知識が重要な分野ですし、ビジネス文なら最悪コピペ&改変という手もあります(とか言うと怒られそうですが)し、深刻に考える必要はないと思いますよ。というより、文章以外についても知識でなんとかなる部分もありますし、ならない部分は周りにたくさんいる空気の読める人に助けてもらうという方法もありますし、やっぱり深刻に考える必要はないんじゃないかなと思います。
#と自分に言い聞かせて病院には行ってないからACにしようと思ったけど空気を読まずにIDで。#ちなみに閾値は33点らしいですよ。
文章を書くこと自体ではなく、書いても読み手に伝わらないかもしれない、というのが恐怖なのでは。
そのようなことに恐怖を感じる事自体、単なる傲慢では?
世界で最もお金持ちになったとしても、実現できるものがごくわずかしかない。その理由は「自分の意思が相手に伝わらない」からだ。あなたがどれほどのお金を投入して、相手がどれほど真摯にあなたの話を聞こうとも、あなたの意思が100%伝わることはない。
これを逆手に取っているのが広告業界だ。広告が何を言おうと、あなたがその提示内容を100%正しく理解する事はない。そこで、わざと必要十分な情報を与えないことで、受け手側に勝手に補完してもらう。自分の都合が良いように。そうすることで、逆により多くの人に「これは俺の欲しいもの」という印象を与える。
なので、書いていることが読み手に十分その意図が伝わらない、などというのは良くあること。だいたい、それがそんなに珍しいなら、「プログラムのバグ」自体、存在しないよ。あれは、自分の意思や意図を「プログラミング言語」という言語を使って、計算機に伝える作業なんだから。世の中にバグが山盛りあるって事は、意思の疎通ができないのなんか日常茶飯事だって事。
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だから「全部伝わるように」するのではなく、「自分が意図する範囲が伝わる」ようにする。そのために必要なのは練習。何の練習をするかと言うと、「何かを書く前に、自分が何を伝えたいのかについて明確なビジョンを持つ」事の練習。
大抵の「意図が通じない」と言う人は、文章を書く前に意図を明瞭化していない。文章を書いた後に(文章を書くことで)意図が明瞭化している。それじゃ「文章自体」は明瞭じゃないよね。文章の最初の方と後の方では、頭の中で言いたいことが変わってるんだもの。
で、練習内容は…同じ事を二度書く。一度目に書いた文章で頭の中で言いたいことを明瞭にして、二度目に書くときに「明瞭になった内容」を書く。これを繰り返す。そのうち、一度目の文章は頭の中だけで構築できるようになる。
そこまで難しく考えなくても、「醤油取って」とか「醤油くれ」とかで伝わることは多いと思いますよ。
okkyさんの意見は分かりやすいですね。
>「自分が伝えたいことはなにか(=自分とは?)」「伝える相手とは(=他人とは?)」という認識が非常に弱いか、またはないと感じています。 いやいや、日常生活である程度できているのであれば、能力はあると思いますよ。 ただ、「醤油とって」とかで通じるくらい、相手と意思の疎通が出来ていないだけだと思います。※そういう勘のある人は営業職などでとっても活躍している人だと思います。
相手との意思の疎通とは言っても、相手が想定していることと、自分が想定していることは違うものであるという前提で行動すると上手くいくことがあります。 私は、相手も自分もわからないことは出して確認しあい、どこが悪いのかをはっきりさせるようにしています。そうでないと話が変な方向に行くし、ややこしい結果しか残さないですから。#TELとかでもいいので話まくったら、文章に残すことってかなり簡潔になって相手にも自分にもわかるものになると思うんだよなー#出来上がった後も確認しとくと、よりより物になる事が多いけどねっ
プログラムの設計書、仕様書とかと良く似ていますね。 作る側に伝わる内容じゃないと、とんでもないものが出来たりしますから(苦笑)
練習するにしても、ごくごく基本的なことからはじめる必要があります。
他の人が、そこから始めなかったとでも?# いや、「もう年齢的に50を過ぎているおっさん」にハリセンを振りかざしてでも# 何度も書きなおしをさせるという事を、私が今日もやっていなかったとでも?! (T.T)/
文章が下手なのは、練習していないからです。
文章の書き方にはコツがあり、そのコツを守れば「判りやすい」文章にはなります。名文にはならないでしょうし、人を感動させるのも無理でしょうが。
そのための第一歩は「言いたいことは何か?!」をはっきりさせる。で、余計なことをそぎ落とす。
大抵の場合、文章は量的な制約があるものですが、「これぐらいは伝えられる」という分量を見積もってください。そしてその半分だけ伝えることにしましょう。後半分は捨ててください。入りません。大抵の場合、余計な枝葉をつけているものです。半分に減らしても「言いたいこと」としては足りているはずです。
文章を「読む人」は何を知っているのでしょう? 相手を明確にしましょう。伝えるべき人を具体的にイメージしましょう。それが「読者」のスタートポイントです。「こんな感じの人」では駄目です。
例えば Randy Pauch 教授(故人)の "The Last Lecture" (http://video.google.com/videoplay?docid=362421849901825950&hl=en [google.com])。これは「自分の子供達が12歳ぐらいになってビデオを見た時」を想定しています。Tina Seelig教授の "WHAT I WISH I KNEW WHEN I WAS 20 [geocities.jp]"という本は「自分の20歳になる息子に伝えたいこと」として書いています。
『これぐらいはっきりしたターゲット』を思い描くべきなのです。そうでないと、相手が何を知っているのか、何を知らないのか、想定がつけられないじゃないですか。
スタートとゴールが決まったとして、それだけでゴールまで到着できるでしょうか? 大抵の人は、何か大事な情報が欠落していて、そのままではゴールに到達できないはずです。その情報を提示するのもあなたの文章の大事な仕事です。
で、その情報、すでに手元に揃っていますか? 揃っていないのに文章を書きだそうとしていませんか?
スタートからゴールまで、何も障害がない、なんてことはまずあり得ません。どこに障害があるのか、どこは通りやすいのか…普通の旅でも最初に地図を見てコースを決めるはずです。で、そのためには「提示すべき情報」の飲み込みやすさが重要になります。
と言うことは、事前準備の段階では「文章に盛り込む情報」以外の情報もかき集めて、地図を作らなくちゃいけない、ということです。どのコースを通ると、どういう情報を理解させなくちゃいけないのか、どこに山があってどこに谷があるのかを知るには、「最終的なコース」以外についても情報を集めなくちゃいけません。そういう「不要な情報」の集合体が「地図」。「地図」によって「通ってはいけないコース」が判るからこそ、「通って良いコース」が判るのです。
文章が下手な人の99%の人は「読み手のスタートポイント」がグズグズです。そして80%ぐらいはゴールもグズグズです。さらに、100%、事前の情報収集がまるっきりなっていない。これで迷子にならなかったら、その方がおかしい。
すべての人は、文章の書き方を習う時に、この3点からスタートします。というか、この3つをきちんと準備せずに文章を書こうとして、怒られることから始まります。
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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
それが本当なら blog なんぞ書けない (スコア:1)
本当にそうなら、blogなんかかけないはずだ。
なので、単なる練習不足。
というか、練習していると言う「自覚がない」まま文章を書いているので、生産している文字数が自信に結びついていないだけ。こう…なんと言うか…日常の運動量は多いが、「運動練習をしている」意識がないので、「体の動かし方」に結びついていないのと同じ。
「わかりやすい文章の書き方」系の本を時々読み、そこに書いてあることを意識したり、わざと反抗したりしながら blog を書く。アスリートが日常動作でも体の動かし方を意識するのと同じ。
fjの教祖様
Re: (スコア:1)
文章を書くこと自体ではなく、書いても読み手に伝わらないかもしれない、というのが恐怖なのでは。
日記やその延長線上にあるブログなどは、読み手に伝えることが主眼にあるわけではないから、プレッシャーは掛からない。だから書くことができるのではないかなと。
#日記を読んだ上でのただの想像です。間違っていたならごめんなさい。
文章については、感覚よりも知識が重要な分野ですし、ビジネス文なら最悪コピペ&改変という手もあります(とか言うと怒られそうですが)し、深刻に考える必要はないと思いますよ。
というより、文章以外についても知識でなんとかなる部分もありますし、ならない部分は周りにたくさんいる空気の読める人に助けてもらうという方法もありますし、やっぱり深刻に考える必要はないんじゃないかなと思います。
#と自分に言い聞かせて病院には行ってないからACにしようと思ったけど空気を読まずにIDで。
#ちなみに閾値は33点らしいですよ。
Re:それが本当なら blog なんぞ書けない (スコア:1)
そのようなことに恐怖を感じる事自体、単なる傲慢では?
世界で最もお金持ちになったとしても、実現できるものがごくわずかしかない。その理由は「自分の意思が相手に伝わらない」からだ。あなたがどれほどのお金を投入して、相手がどれほど真摯にあなたの話を聞こうとも、あなたの意思が100%伝わることはない。
これを逆手に取っているのが広告業界だ。広告が何を言おうと、あなたがその提示内容を100%正しく理解する事はない。そこで、わざと必要十分な情報を与えないことで、受け手側に勝手に補完してもらう。自分の都合が良いように。そうすることで、逆により多くの人に「これは俺の欲しいもの」という印象を与える。
なので、書いていることが読み手に十分その意図が伝わらない、などというのは良くあること。
だいたい、それがそんなに珍しいなら、「プログラムのバグ」自体、存在しないよ。あれは、自分の意思や意図を「プログラミング言語」という言語を使って、計算機に伝える作業なんだから。
世の中にバグが山盛りあるって事は、意思の疎通ができないのなんか日常茶飯事だって事。
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だから「全部伝わるように」するのではなく、「自分が意図する範囲が伝わる」ようにする。そのために必要なのは練習。何の練習をするかと言うと、「何かを書く前に、自分が何を伝えたいのかについて明確なビジョンを持つ」事の練習。
大抵の「意図が通じない」と言う人は、文章を書く前に意図を明瞭化していない。文章を書いた後に(文章を書くことで)意図が明瞭化している。それじゃ「文章自体」は明瞭じゃないよね。文章の最初の方と後の方では、頭の中で言いたいことが変わってるんだもの。
で、練習内容は…同じ事を二度書く。一度目に書いた文章で頭の中で言いたいことを明瞭にして、二度目に書くときに「明瞭になった内容」を書く。これを繰り返す。そのうち、一度目の文章は頭の中だけで構築できるようになる。
fjの教祖様
Re:それが本当なら blog なんぞ書けない (スコア:1)
>そのようなことに恐怖を感じる事自体、単なる傲慢では?
そうですね。そういう発想はありませんでした。
全部伝えることはどだい無理。その中で「自分が伝えたいことは何か、ビジョンを持つ」
それは大事だと思います。
また、それを実現するための方法としての「同じ文書(文章?)を2度書く」ということも伝えていただきありがとうございます。
とはいうものの、そうなると自分には別の疑問がでてきます。
「自分が伝えたいことは何か、ビジョンを持つ」といわれても、「さてそのビジョンとは何だろう?」という疑問がでてきます。
相手はどんなことを知りたいのだろう? 自分は何が言いたいのだろう? それは何だろう? 考えてみてもあまりにも何もでてきません。 そもそも、自分がそういうことを考えたこともない、というよりは、考えることすら「わからない」という気がしています。
そもそもそのようなビジョンとは何? 伝えたいことも分からないのでは? 人に何かを伝えるということ自体が自分の持つ世界とは別の世界のものなのでは? いわゆる「心の理論」に自分は障害があるのでは? そう思うこともしきりにあります。
自分が伝えたいことも分からない、相手が知りたいことはもちろんわからない。相手の行動を推測することも難しい(というよりできない)。そのために、「自分は物の見方や考え方に欠陥があるのでは」と思っています。
練習するにしても、ごくごく基本的なことからはじめる必要があります。
Re:それが本当なら blog なんぞ書けない (スコア:2)
そこまで難しく考えなくても、「醤油取って」とか「醤油くれ」とかで伝わることは多いと思いますよ。
Re:それが本当なら blog なんぞ書けない (スコア:1)
日常生活でのコミュニケーションでは、そのような言い方でもある程度通じるのではないかと思います。
しかし、今自分が悩んでるのは、ビジネス文書、技術文書です。これらの文書は全く書いたことがないといえばウソになりますが、しかし、非常に苦手意識があるものです。それを「恐怖症」と表現しています。(実際、これが発端で、職場放棄に近いことを何度かしています。)
どんな相手に、自分がなにを伝えたいか。 それをはっきりしないままで出来る仕事は、なにもないはずです。
そして、普通に訓練すれば、完璧とは言わないまでも、ある程度は身につくはずのものと思っていますが、しかし、自分にはその実感はまったくありません。
そのため、「自分が伝えたいことはなにか(=自分とは?)」「伝える相手とは(=他人とは?)」という認識が非常に弱いか、またはないと感じています。
自己と他者の区別、自己と他者の認識が(極端に)弱いということは、社会生活を行う上での欠陥であり、「診断」と「治療(可能であれば)」が必要と感じています。
そして、そのような事例を「症例」とみなすのかどうか、その判断がいるのでは、と感じています。
Re:それが本当なら blog なんぞ書けない (スコア:2)
okkyさんの意見は分かりやすいですね。
>「自分が伝えたいことはなにか(=自分とは?)」「伝える相手とは(=他人とは?)」という認識が非常に弱いか、またはないと感じています。
いやいや、日常生活である程度できているのであれば、能力はあると思いますよ。
ただ、「醤油とって」とかで通じるくらい、相手と意思の疎通が出来ていないだけだと思います。
※そういう勘のある人は営業職などでとっても活躍している人だと思います。
相手との意思の疎通とは言っても、相手が想定していることと、自分が想定していることは違うものであるという前提で行動すると上手くいくことがあります。
私は、相手も自分もわからないことは出して確認しあい、どこが悪いのかをはっきりさせるようにしています。そうでないと話が変な方向に行くし、ややこしい結果しか残さないですから。
#TELとかでもいいので話まくったら、文章に残すことってかなり簡潔になって相手にも自分にもわかるものになると思うんだよなー
#出来上がった後も確認しとくと、よりより物になる事が多いけどねっ
プログラムの設計書、仕様書とかと良く似ていますね。
作る側に伝わる内容じゃないと、とんでもないものが出来たりしますから(苦笑)
Re:それが本当なら blog なんぞ書けない (スコア:1)
他の人が、そこから始めなかったとでも?
# いや、「もう年齢的に50を過ぎているおっさん」にハリセンを振りかざしてでも
# 何度も書きなおしをさせるという事を、私が今日もやっていなかったとでも?! (T.T)/
文章が下手なのは、練習していないからです。
文章の書き方にはコツがあり、そのコツを守れば「判りやすい」文章にはなります。名文にはならないでしょうし、人を感動させるのも無理でしょうが。
.
そのための第一歩は「言いたいことは何か?!」をはっきりさせる。で、余計なことをそぎ落とす。
大抵の場合、文章は量的な制約があるものですが、「これぐらいは伝えられる」という分量を見積もってください。そしてその半分だけ伝えることにしましょう。後半分は捨ててください。入りません。大抵の場合、余計な枝葉をつけているものです。半分に減らしても「言いたいこと」としては足りているはずです。
.
文章を「読む人」は何を知っているのでしょう? 相手を明確にしましょう。伝えるべき人を具体的にイメージしましょう。それが「読者」のスタートポイントです。
「こんな感じの人」
では駄目です。
例えば Randy Pauch 教授(故人)の "The Last Lecture" (http://video.google.com/videoplay?docid=362421849901825950&hl=en [google.com])。これは「自分の子供達が12歳ぐらいになってビデオを見た時」を想定しています。
Tina Seelig教授の "WHAT I WISH I KNEW WHEN I WAS 20 [geocities.jp]"という本は「自分の20歳になる息子に伝えたいこと」として書いています。
『これぐらいはっきりしたターゲット』を思い描くべきなのです。そうでないと、相手が何を知っているのか、何を知らないのか、想定がつけられないじゃないですか。
.
スタートとゴールが決まったとして、それだけでゴールまで到着できるでしょうか? 大抵の人は、何か大事な情報が欠落していて、そのままではゴールに到達できないはずです。その情報を提示するのもあなたの文章の大事な仕事です。
で、その情報、すでに手元に揃っていますか? 揃っていないのに文章を書きだそうとしていませんか?
スタートからゴールまで、何も障害がない、なんてことはまずあり得ません。どこに障害があるのか、どこは通りやすいのか…普通の旅でも最初に地図を見てコースを決めるはずです。で、そのためには「提示すべき情報」の飲み込みやすさが重要になります。
と言うことは、事前準備の段階では「文章に盛り込む情報」以外の情報もかき集めて、地図を作らなくちゃいけない、ということです。どのコースを通ると、どういう情報を理解させなくちゃいけないのか、どこに山があってどこに谷があるのかを知るには、「最終的なコース」以外についても情報を集めなくちゃいけません。そういう「不要な情報」の集合体が「地図」。「地図」によって「通ってはいけないコース」が判るからこそ、「通って良いコース」が判るのです。
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文章が下手な人の99%の人は「読み手のスタートポイント」がグズグズです。そして80%ぐらいはゴールもグズグズです。さらに、100%、事前の情報収集がまるっきりなっていない。これで迷子にならなかったら、その方がおかしい。
すべての人は、文章の書き方を習う時に、この3点からスタートします。というか、この3つをきちんと準備せずに文章を書こうとして、怒られることから始まります。
fjの教祖様
Re:それが本当なら blog なんぞ書けない (スコア:1)
>すべての人は、文章の書き方を習う時に、この3点からスタートします。というか、この3つをきちんと準備せずに文章を書こうとして、怒られることから始まります。
そこからですね。自分は。
3点も分からずに怒られてばかりで、しかもそれがわからずに右往左往して、結局仕事ができない奴、という烙印をおされて、「グループでの仕事はできない」とおもわれてしまいました。その結果として「文書をかくことは自分には出来ない、書きたくもない」というアレルギーの状態になっています。
いたしかたないですね。
こういうところで散文(文書ですらない)というか、文字の羅列を描画できるのは、読み手を想定していないからだと思います。
ただ、そのような3点をわからない理由のさらに根源としてなにかあるのではないか、そのように感じています。
(意味不明ですね)