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コメントで mhatta 氏の記事の感想を述べるのも結構ですが、 せっかく新しいストーリーができて仕切り直しとなったことですので、 この記事で得られるオープンソースへの認識を共有しつつ、 大元の話題であるオープンソース政策についても議論しませんか。 お題は、政策は OSI の定義をどれだけ尊重すべきかについて。
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
政策はOSIの定義を尊重すべきか? (スコア:5, 興味深い)
コメントで mhatta 氏の記事の感想を述べるのも結構ですが、 せっかく新しいストーリーができて仕切り直しとなったことですので、 この記事で得られるオープンソースへの認識を共有しつつ、 大元の話題であるオープンソース政策についても議論しませんか。 お題は、政策は OSI の定義をどれだけ尊重すべきかについて。
前のストーリーには
Re:政策はOSIの定義を尊重すべきか? (スコア:2, すばらしい洞察)
今回は「オープンソースを含むソースが閲覧可能なソフトウェア」を
オープンソースと呼ぼうとしたせいで混乱が起こったわけです。
題材についての共通認識を得ずに議論は出来ませんから、
大熊氏のあやふやな定義に対する反論が出ているのです。
#もちろん、単なる罵詈雑言も多数ですが。
大熊氏は「広い意味でオープンソースである」という説明ではなく、
定義及び用語法を省みて文書の改訂をするべきではないでしょうか。
Re:政策はOSIの定義を尊重すべきか? (スコア:1)
お役所が、OSDを「無視」する危険性を、どれくらい心配すべきでしょうか?
俺(ら)としては、それが大いに心配なんじゃないかと。
一方で、これっぽっちも心配してなくて、なんぼ「誤用」されても平気の平左な人々も、いるんでしょうし…(T_T)