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不寛容に対して寛容であれば寛容さが失われ、多様性を排除する主張を排除しなければ多様性が失われる。どちらが「寛容」「多様性」から離れたことになるのか。
みんな大好き尖閣諸島の魚釣島では、右翼が粋がってヨットで上陸した際に島に放したヤギのつがいの子孫が大繁殖して植生を食い荒らし、センカクモグラをはじめとする原住生物を絶滅に追いやっているわけだが、これも「生物多様性」なんですね。
だったら日本青年社(下手人どもの右翼団体)にもそう入れ知恵してやればいい。いまだに「あれはたしかに悪かったけど、そんなことより中国の脅威だ!」とか言い訳してんだからさ。
個人の不寛容に対して寛容であれば社会の寛容さは失われますかね?社会の寛容さが失われなければ、多少不寛容な個人がいても問題ないと思いますし、そういう個人の不寛容を許容してこその多様性だと思いますけど。ただ社会の不寛容に対して寛容であれば、多様性は喪失するでしょうね。で、この訴訟主たちが戦ってるまとめサイトは、単なる個人の不寛容ではなくて、個人の不寛容を集めて差別を扇動する社会的な行為に見えますし、声を上げるのが当然の事例に思います。むしろWindKnightさんのように声を上げる事を忘れた人の方が、不幸な人たちに思えます。でも、WindKnightさん
「個人」なんて親コメントのどこにも書いていないんですけど、どこから持ち出したんですか。
「保守速報」はページビューが多い有名サイトで、管理人の「思想的背景」に同調する読者も多かったことでしょう(拒否反応が多ければ炎上でとっくに潰れてるはず)。くだんのサイトの管理人という「不寛容な個人」にとどまらず、多数の読者をも含んだ「不寛容な集団」の問題なのです。
そして不寛容な集団に対して寛容であった社会はどうなっていくか、我々には20世紀前半のドイツという先行事例があります。ドイツは過去への反省からナチス賛美を違法としていますよね?
不寛容な集団に対して不寛容であった社会がどうなっていくかについても、ものすごくたくさんの先行事例があるよ…
結局、国家は何らかの形で国民をまとめ上げる思想が必要で、それはかつては宗教だった。ここ半世紀は「戦争への反省」「反共」でまとめあげていたけど、そろそろ限界なんだろうね。
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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
不幸な人たち (スコア:0)
どんどん離れていることに気が付いてないんでしょうね。
Re: (スコア:0)
不寛容に対して寛容であれば寛容さが失われ、多様性を排除する主張を排除しなければ多様性が失われる。どちらが「寛容」「多様性」から離れたことになるのか。
みんな大好き尖閣諸島の魚釣島では、右翼が粋がってヨットで上陸した際に島に放したヤギのつがいの子孫が大繁殖して植生を食い荒らし、センカクモグラをはじめとする原住生物を絶滅に追いやっているわけだが、これも「生物多様性」なんですね。
だったら日本青年社(下手人どもの右翼団体)にもそう入れ知恵してやればいい。いまだに「あれはたしかに悪かったけど、そんなことより中国の脅威だ!」とか言い訳してんだからさ。
Re: (スコア:0)
個人の不寛容に対して寛容であれば社会の寛容さは失われますかね?
社会の寛容さが失われなければ、多少不寛容な個人がいても問題ないと思いますし、
そういう個人の不寛容を許容してこその多様性だと思いますけど。
ただ社会の不寛容に対して寛容であれば、多様性は喪失するでしょうね。
で、この訴訟主たちが戦ってるまとめサイトは、
単なる個人の不寛容ではなくて、個人の不寛容を集めて差別を扇動する社会的な行為に見えますし、
声を上げるのが当然の事例に思います。
むしろWindKnightさんのように声を上げる事を忘れた人の方が、不幸な人たちに思えます。
でも、WindKnightさん
Re:不幸な人たち (スコア:0)
「個人」なんて親コメントのどこにも書いていないんですけど、どこから持ち出したんですか。
「保守速報」はページビューが多い有名サイトで、管理人の「思想的背景」に同調する読者も多かったことでしょう(拒否反応が多ければ炎上でとっくに潰れてるはず)。くだんのサイトの管理人という「不寛容な個人」にとどまらず、多数の読者をも含んだ「不寛容な集団」の問題なのです。
そして不寛容な集団に対して寛容であった社会はどうなっていくか、我々には20世紀前半のドイツという先行事例があります。ドイツは過去への反省からナチス賛美を違法としていますよね?
Re:不幸な人たち (スコア:1)
不寛容な集団に対して不寛容であった社会がどうなっていくかについても、
ものすごくたくさんの先行事例があるよ…
結局、国家は何らかの形で国民をまとめ上げる思想が必要で、それはかつては宗教だった。
ここ半世紀は「戦争への反省」「反共」でまとめあげていたけど、そろそろ限界なんだろうね。
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています