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記事とは直接関係ないのですが。
ワープロ(ハードとソフトを含めて)で書く日本語とペンで書く日本語の間には、根本的な違いがあると思うのです。
(コンピューターでの)日本語の入力は、まずひらがなで入力して、それから仮名と漢字が混じった文章に変換します。この過程、つまり、ひらがなで日本語の文章を書いている段階が発生する、と言うのは、それまでの日本語の書き方と根本的な違いがあるのではないかと思うのです。 ペンで書くと言う事が意味するのは、書きながら、同時に確定されている言葉の流れ(リズムとも言えるかも知れません)によって
例えば、多くの文学作品(小説とか詩とか、現代批評と呼ばれるものもそうでしょう)では、一つの言葉に多重な意味を付与したり、連想をうながしたりします。一つの言葉をストーリー全体と関連させ、凝縮や伏線等の意味合いを持たせたりします。それは、推敲の結果であったとしても、最初から確定された文章で構成されたものばかりではないです。こうした言葉同士のつながりを作る言葉のリズムを、作品の本質として最重要と見なす作家や詩人は極めて多いですし、このリズムは、書きながら次の言葉が生まれることであると言う作家も非常に多いです。
文学作品は特異な例ですので、一般の人にとっての方が重要ですが、これもやはり影響はあるはずです。
変換性能に文章の作り方が依存すること(性能が良ければいいということではなく)だけでなく、入力の仕方(繰り返しの事例で恐縮ですが連文節変換と言うアプローチもそうです)も、FEPが担当している事も言語の使い手の、「頭での思い浮かべ方」を変えるのでないでしょうか。
IMEが悪いと言うのではないです。ですが、IMEに思考を左右される度合いが、根本的なものであるのです。
イメージできる文字がかえって増えると言う考え方には同意できません。人は、多くの文章(文学作品に限らず)を読んで、「国語力」を付けるからです。
増えた(増える)ものより、失った(失う)ものが多いと思うのです。
どちらがより多様で豊かな言葉を使う力につながるかを考えれば、どちらがより影響が強い、と言う事は問題ではないです。どちらも、必ず接するものですから。 そこで、元コメントの「(義務)教育の問題でもある」と思うわけです。
多様で豊かな、とは理詰めではないですが、言葉に関わる議論では避けては通れぬ基準だと思います。どんな基準だ?と言う話になると、記事の趣旨からますます離れて行ってしまうような気がするので、微妙ですが・・・。
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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
日本語入力の本質 (スコア:5, 興味深い)
記事とは直接関係ないのですが。
ワープロ(ハードとソフトを含めて)で書く日本語とペンで書く日本語の間には、根本的な違いがあると思うのです。
(コンピューターでの)日本語の入力は、まずひらがなで入力して、それから仮名と漢字が混じった文章に変換します。この過程、つまり、ひらがなで日本語の文章を書いている段階が発生する、と言うのは、それまでの日本語の書き方と根本的な違いがあるのではないかと思うのです。
ペンで書くと言う事が意味するのは、書きながら、同時に確定されている言葉の流れ(リズムとも言えるかも知れません)によって
Re:日本語入力の本質 (スコア:1, 興味深い)
だったら IME を使った方が、書けない文字は増えるかも知れないけれど、イメージできる文字はかえって増え
Re:日本語入力の本質 (スコア:1)
例えば、多くの文学作品(小説とか詩とか、現代批評と呼ばれるものもそうでしょう)では、一つの言葉に多重な意味を付与したり、連想をうながしたりします。一つの言葉をストーリー全体と関連させ、凝縮や伏線等の意味合いを持たせたりします。それは、推敲の結果であったとしても、最初から確定された文章で構成されたものばかりではないです。こうした言葉同士のつながりを作る言葉のリズムを、作品の本質として最重要と見なす作家や詩人は極めて多いですし、このリズムは、書きながら次の言葉が生まれることであると言う作家も非常に多いです。
文学作品は特異な例ですので、一般の人にとっての方が重要ですが、これもやはり影響はあるはずです。
変換性能に文章の作り方が依存すること(性能が良ければいいということではなく)だけでなく、入力の仕方(繰り返しの事例で恐縮ですが連文節変換と言うアプローチもそうです)も、FEPが担当している事も言語の使い手の、「頭での思い浮かべ方」を変えるのでないでしょうか。
IMEが悪いと言うのではないです。ですが、IMEに思考を左右される度合いが、根本的なものであるのです。
イメージできる文字がかえって増えると言う考え方には同意できません。人は、多くの文章(文学作品に限らず)を読んで、「国語力」を付けるからです。
Re:日本語入力の本質 (スコア:1)
ん?ここでIMEの影響を否定して、昔ながらに変わっていないものの方が影響が強いと言っちゃうんですか?IMEなどに影響を受けてるんじゃないかというのがあなたの論旨じゃありませんでしたっけ?
Re:日本語入力の本質 (スコア:1)
増えた(増える)ものより、失った(失う)ものが多いと思うのです。
どちらがより多様で豊かな言葉を使う力につながるかを考えれば、どちらがより影響が強い、と言う事は問題ではないです。どちらも、必ず接するものですから。
そこで、元コメントの「(義務)教育の問題でもある」と思うわけです。
多様で豊かな、とは理詰めではないですが、言葉に関わる議論では避けては通れぬ基準だと思います。どんな基準だ?と言う話になると、記事の趣旨からますます離れて行ってしまうような気がするので、微妙ですが・・・。
Re:日本語入力の本質 (スコア:0)
IMEを使えば、書き手の能力以上の語彙力をもてるわけで。私は卒論をMACで書きましたが(EGWORD)、類義語変換なんかで、この言葉を使えば、もっと雰囲気のある文章になるなーという感じで、逆に自分の文章に広がりを与えてもらっ