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久々にスラドで読みたい記事が読めてtamacoさんに感謝。
ソーサリアンの設計技術はマジですごいな
追加シナリオ作成したほかのソフトハウスが褒めてましたねプラットフォームとしても練られてるそうで
この頃の少ないリソースでいろいろ上手くやる工夫って、よくそこまで考えるよなぁと思いますよね。FDDヘッドのシーク時間を考慮したデータのセクタ配置の話とか。#ソーサリアンじゃなくてイースだっけ?
>FDDヘッドのシーク時間を考慮したデータのセクタ配置純正でキリキリ調整すると、サードパーティ製ドライブでタイミング違うのでそっちで動作させた場合逆にエライ時間がかかる、なんてことも今は昔。リソースやりくり、デバイスの裏技駆使する箱庭感は面白かったですねぇ中村光一氏のニュートロンでの木を蹴っ飛ばしたときの画面の揺れとかCRTCのクロックパラメタをいじってたのかな?ああいうのはエミュレートできるのだろうか。再現苦労すると思う。
セクタサイズまで変えて大容量化してたのもあるな
2Dで400KB位にしてた
(*´ω`*)
セクタサイズかもだが、ギャップ小さくして増やしたのでは?フロッピいじるのも楽しかったですね手近なエレメカでしたゲーム本体よりプロテクト外しが面白かったり。# 鳴り物入り?で登場のozawaチェッカは大したことなかったなぁ
2Dはセクタサイズ1KBにすると1トラックに5セクタ入って80トラックで400KBちな標準はセクタサイズ256Byteで1トラックに16セクタ
ギャップ削るのはやったことない
Write OnceならGapいらないですよね。ゲームには適していたかもしれません。
1980年代後半はそこのソフトハウスの技術水準も上がっていたことがそんなに憎らしいかね。
当時ゲームの画面を見て「自分でマシン語で作れるか」を結構やってた。ソーサリアンなんかは頑張ってみようとも思えいくらいのレベルだったけど、できたものもいろいろあったし「どこのソフトハウスも…」とまでは思わないな。
どこのソフトハウスだったか忘れましたが、新人で入ったら、3日(1日だったかな)でZ80のニーモニック覚えろと言われたという話があったように、アセンブラができて当たり前の時代でしたね。
私は、プロテクト外すためにZ80 のアセンブラを覚えました(てへ)お金がなかったので、自分でアセンブラを作ったなー。
その当時はアマチュアでプログラム組んでいましたが、自己書き換えや、ディスク側のCPU を使うとか、普通にやっていましたね。
今では通用しないプログラム技術ゆえ、こういったことは、忘れ去さられていく話なんでしょうね
> 自己書き換えや、ディスク側のCPU を使うとか、普通にやっていましたね。
CRTCのアンドキュメンテッドな挙動やPC8801のFDD側のCPUが使いこなせるかどうかでもソフトハウスの淘汰がありました。
またとにかくメモリがきつかったので圧縮技術でも差がついたし、BGMの乱れがないとか「できて当たり前(だが結構難しい)」のことができるところは消えていきました。
補足。その昔、FDDは外付けだった。PC98の頃でも、3.5in FDD を外付けってのも珍しくはなかったが、この頃は外付けFDDにマイコンをひとつ載せて(8049とか8051もあったかな)、そいつに765の面倒を見させてたPC88世代ではすでに、FDD側もZ80にして、そこそこRAMも持たせて、プログラムをダウンロードして自律的に実行できるようになってたアセットをFDに詰め込むためには、セクタサイズを大きくすべく、765を直接操作するのは避けて通れない知識だったメインZ80との間は双方8255で、8bit x3. ハンドシェイクの設計も使いこなしの範疇だった
自作のゲームで8255でハンドシェイクしてとかやってたけど何かの本を丸々コピーしてたのでなんとなくしかわかってなかったなぁ。めちゃくちゃ読み込みが速くなって感動した。あとはインターリーブで高速化とかも。
お前は俺じゃない俺は、試算といっても帰ったりせず、時分秒のわかる女がいい
自分は88のDOS作りました一番の目玉はFATとディレクトリはディスク側にキャッシュ、蓋開け検知してパージかなこの機能は88の他のDOSでは見たことない
ソーサリアンにディスクキャッシュが入っていてちょっと驚き
今さら聞けない: その蓋開け検知は、ポーリングですか?
割り込みの機能がないのでポーリングです
SubのCPUは暇なので、MainのCPUからのコマンド受信待ちループ内でやってましたチェックするだけでアクセスランプが光るので、頻度をさげています
まあ一度世に出ると逆アセンブルで解析されて技術を調べられたり(ファミコンもこれがなければサードパーティーという概念がなかったかも)ソフトハウスが知り合い同士で技術教え合ったりツールをコピーさせてもらったりとか、そういう時代でしたね。
ざっと思いつくだけでもキャリーラボ、テクノソフト、アルシス、ゲームアーツ、風雅システム、T&E、そういったところがあるわけだが。1980年代には技術力のないところはかなり淘汰されてたんよ。
お前、ビクター音産にも同じこといえんの?
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こういうのでいいんだよ (スコア:4, すばらしい洞察)
久々にスラドで読みたい記事が読めてtamacoさんに感謝。
Re:こういうのでいいんだよ (スコア:1)
ソーサリアンの設計技術はマジですごいな
Re:こういうのでいいんだよ (スコア:1)
追加シナリオ作成したほかのソフトハウスが褒めてましたね
プラットフォームとしても練られてるそうで
Re: (スコア:0)
この頃の少ないリソースでいろいろ上手くやる工夫って、よくそこまで考えるよなぁと思いますよね。
FDDヘッドのシーク時間を考慮したデータのセクタ配置の話とか。
#ソーサリアンじゃなくてイースだっけ?
Re: (スコア:0)
>FDDヘッドのシーク時間を考慮したデータのセクタ配置
純正でキリキリ調整すると、サードパーティ製ドライブでタイミング違うので
そっちで動作させた場合逆にエライ時間がかかる、なんてことも今は昔。
リソースやりくり、デバイスの裏技駆使する箱庭感は面白かったですねぇ
中村光一氏のニュートロンでの木を蹴っ飛ばしたときの画面の揺れとか
CRTCのクロックパラメタをいじってたのかな?
ああいうのはエミュレートできるのだろうか。再現苦労すると思う。
Re: (スコア:0)
セクタサイズまで変えて大容量化してたのもあるな
2Dで400KB位にしてた
(*´ω`*)
Re: (スコア:0)
セクタサイズかもだが、ギャップ小さくして増やしたのでは?
フロッピいじるのも楽しかったですね手近なエレメカでした
ゲーム本体よりプロテクト外しが面白かったり。
# 鳴り物入り?で登場のozawaチェッカは大したことなかったなぁ
Re: (スコア:0)
2Dはセクタサイズ1KBにすると1トラックに5セクタ入って80トラックで400KB
ちな標準はセクタサイズ256Byteで1トラックに16セクタ
ギャップ削るのはやったことない
Re: (スコア:0)
Write OnceならGapいらないですよね。
ゲームには適していたかもしれません。
Re:こういうのでいいんだよ (スコア:2)
みんな、98時代しか記憶にないだろうけど、88SRは結構大変だったので。
このテクは風の伝説ザナドゥでも発揮されてたような。
Re: (スコア:0)
1980年代後半はそこのソフトハウスの技術水準も上がっていたことがそんなに憎らしいかね。
Re: (スコア:0)
当時ゲームの画面を見て「自分でマシン語で作れるか」を結構やってた。
ソーサリアンなんかは頑張ってみようとも思えいくらいのレベルだったけど、
できたものもいろいろあったし「どこのソフトハウスも…」とまでは思わないな。
Re:こういうのでいいんだよ (スコア:3, 興味深い)
どこのソフトハウスだったか忘れましたが、
新人で入ったら、3日(1日だったかな)でZ80のニーモニック覚えろ
と言われたという話があったように、アセンブラができて当たり前の時代でしたね。
私は、プロテクト外すためにZ80 のアセンブラを覚えました(てへ)
お金がなかったので、自分でアセンブラを作ったなー。
その当時はアマチュアでプログラム組んでいましたが、
自己書き換えや、ディスク側のCPU を使うとか、普通にやっていましたね。
今では通用しないプログラム技術ゆえ、こういったことは、忘れ去さられていく話なんでしょうね
Re:こういうのでいいんだよ (スコア:1)
> 自己書き換えや、ディスク側のCPU を使うとか、普通にやっていましたね。
CRTCのアンドキュメンテッドな挙動やPC8801のFDD側のCPUが使いこなせるかどうかでもソフトハウスの淘汰がありました。
またとにかくメモリがきつかったので圧縮技術でも差がついたし、BGMの乱れがないとか「できて当たり前(だが結構難しい)」のことができるところは消えていきました。
Re: (スコア:4, 興味深い)
補足。その昔、FDDは外付けだった。PC98の頃でも、3.5in FDD を外付けってのも珍しくはなかったが、
この頃は外付けFDDにマイコンをひとつ載せて(8049とか8051もあったかな)、そいつに765の面倒を見させてた
PC88世代ではすでに、FDD側もZ80にして、そこそこRAMも持たせて、
プログラムをダウンロードして自律的に実行できるようになってた
アセットをFDに詰め込むためには、セクタサイズを大きくすべく、765を直接操作するのは避けて通れない知識だった
メインZ80との間は双方8255で、8bit x3. ハンドシェイクの設計も使いこなしの範疇だった
Re: (スコア:1)
自作のゲームで8255でハンドシェイクしてとかやってたけど何かの本を丸々コピーしてたのでなんとなくしかわかってなかったなぁ。めちゃくちゃ読み込みが速くなって感動した。あとはインターリーブで高速化とかも。
Re: (スコア:0)
お前は俺じゃない
俺は、試算といっても帰ったりせず、時分秒のわかる女がいい
Re:Re: (スコア:0)
自分は88のDOS作りました
一番の目玉はFATとディレクトリはディスク側にキャッシュ、蓋開け検知してパージかな
この機能は88の他のDOSでは見たことない
ソーサリアンにディスクキャッシュが入っていてちょっと驚き
Re: (スコア:0)
今さら聞けない: その蓋開け検知は、ポーリングですか?
Re: (スコア:0)
割り込みの機能がないのでポーリングです
SubのCPUは暇なので、MainのCPUからのコマンド受信待ちループ内でやってました
チェックするだけでアクセスランプが光るので、頻度をさげています
Re:こういうのでいいんだよ (スコア:1)
まあ一度世に出ると逆アセンブルで解析されて技術を調べられたり(ファミコンもこれがなければサードパーティーという概念がなかったかも)
ソフトハウスが知り合い同士で技術教え合ったりツールをコピーさせてもらったりとか、そういう時代でしたね。
Re: (スコア:0)
ざっと思いつくだけでもキャリーラボ、テクノソフト、アルシス、ゲームアーツ、風雅システム、T&E、そういったところがあるわけだが。
1980年代には技術力のないところはかなり淘汰されてたんよ。
Re: (スコア:0)
お前、ビクター音産にも同じこといえんの?