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ルールに対して競技者が公平であることが、 スポーツとショーを分ける 重要なポイントではないでしょうか。
ルールに抵触するかどうかを機械的に判定することが可能なケースでは、 こういったデバイスの導入を進めていくのは好ましいことと 考えます。
観戦する立場として 「あいまいなジャッジによる一喜一憂がありそれも醍醐味だ」 というのは理解できますが、競技者にしてみればそんなジャッジは冗談ではありません。
協議中にグレーな判定があった場合に、選手がインタビューで 「それが○○(競技名)だ。」 なんて殊勝なコメントを出すこともありますが、それはただの皮肉でしょう。
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私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson
一喜一憂するだけならいいけど・・ (スコア:2, すばらしい洞察)
生活や命までかかってる国もあったりするので、
誤審は絶対に無くさなければならないでしょう。
日本国内に目を向けてみても、高校サッカーでの誤審 [archive.org]によって
その後の人生を大きく狂わされてしまうかも
しれないことも起こっています。
誤審を許容するような発言をF
Re:一喜一憂するだけならいいけど・・ (スコア:1)
> 誤審の裏に隠れた不正行為を見逃すと言っているようなものでは?
「誤審を許容する」ではなくて「誤審を撲滅するためにスポーツまで撲滅する」ことに
反対しているのでは?
サッカーで言えばラインを超えたかどうかのような厳密に測定できる部分は電子機器で
判定の補助ができますが、それ以外ではオフサイドでさえも選手個々の意図が問題にな
ってくるので機械的に判断する事は不可能です。
いちいち全てビデオでチェックして判定が出るまで試
kaho
Re:一喜一憂するだけならいいけど・・ (スコア:1)
>反対しているのでは?
元記事 [yomiuri.co.jp]から。
>サッカーは審判員の目のもとに成り立つもので、誤りも受け入れなければならない」
この発言は、受け取りようによっては「審判は何をやっても
許される」とも解釈できます。つまりゲームを作るのは選手ではなく
審判だということです。
実際、国際試合では一方の国に有利なジャッジを下すような
事例は多々あります。試合を有利に進めるために審判に対して
なんらかの働きかけがあることは誰しもが疑っているでしょう。
そうでなくても有利なジャッジを得るためにわざと大げさに
転んでみたりなんて日常茶飯事です。
そういった、ルールを悪用した試合が行われていることについても、
FIFAの会長は「受け入れろ」と言っているのです。
これはスポーツではなくてショービジネスと言うべきでしょう。
ちなみにオフサイド [jfa.or.jp]の中で唯一審判の主観的判断が入ると思われるのは、
相手競技者に干渉する場合で、これ以外は客観的かつ
デジタル的に判断することが可能と思われます。
スポーツの世界では客観的なジャッジメントのためにルールを
変更することがありますから、オフサイドの定義が永久に変わらない
とは言い切れないでしょう。
>事後的に悪質な反則が処罰されたり誤審が認められて再試合になったりします。
>これらはルールを尊重しつつスポーツを殺さない試みです。
事後に行われる(た)のは、スポーツではなく政治的な関係からです。
CASのように(一応)第三者が行うならともかく、統括団体(FIFA)が
行うのは自分で自分の首をしめているのと同じことです。
そもそも「審判は絶対である」という原則を曲げてしまっている
わけですから、ルールに対する絶対的信頼を失わせるとともに、
スポーツとしてのその競技(サッカー)を殺してしまったと
いえるでしょう。
審判のジャッジメントで一喜一憂するのではなく、
皆がジャッジに納得した上で選手のプレイに一喜一憂するのが
本当のスポーツだと思うのですが。
#とうの昔にサッカーを辞めたgesaku
Re:一喜一憂するだけならいいけど・・ (スコア:1)
> 許される」とも解釈できます。つまりゲームを作るのは選手ではなく
> 審判だということです。
ご自分で仰っているように「受け取りよう」に依存するのでそれをもって誤審全てを認めて
いるというのは言い過ぎでしょう。
プレイヤー、審判、観客、そこに参加する全ての人がゲームをつくるのが理想的なスポーツ
なのではないかと。
> ちなみにオフサイドの中で唯一審判の主観的判断が入ると思われるのは、
> 相手競技者に干渉する場合で、これ以外は客観的かつ
> デジタル的に判断することが可能と思われます。
それ以外にもオフサイドポジションにいてもプレーに関与していなければオフサイドには
なりませんよね。最近またいろいろと変更があるようですが。
たとえデジタル的に判断する事ができるとしてもそれが非現実的であるのはこのトピックで
審判経験者の方が説明している通りだと思います。
> そもそも「審判は絶対である」という原則を曲げてしまっている
> わけですから、ルールに対する絶対的信頼を失わせるとともに、
> スポーツとしてのその競技(サッカー)を殺してしまったと
> いえるでしょう。
誰も「審判は絶対である」とは言っていませんし、そのような原則もないと思います。
もちろん意図的に誤った判断をする審判が許されるわけはないですが、決して絶対者でない
一人の人間だとほとんどの人は理解していると思います。
スポーツが殺されうるとしたらそれは誰もスポーツに興味を抱かなくなるときのことで、
スポーツ外の事象(買収や薬物汚染など)でフェアネスが失われ、誰もが嫌気をさした時な
のではと思っています。
意図的でない誤審はスポーツ内の起こりうる事象であり、それを徹底的に排除するのは犯罪
を憎むあまり全体主義国家を希求するようなものではないでしょうか。
> 審判のジャッジメントで一喜一憂するのではなく、
> 皆がジャッジに納得した上で選手のプレイに一喜一憂するのが
> 本当のスポーツだと思うのですが。
それに反論する気はありませんが、そのような「本当のスポーツ」は「よき審判」を得る事で
十分可能だし、逆に電子的にジャッジされたとしても皆が納得するとは限らないかと。
機械が判断したのだから正しいはずだ、と全て信頼してしまうような状況の方が反スポーツ的
かもしれませんよ。
kaho
Re:一喜一憂するだけならいいけど・・ (スコア:1)
ルールに対して競技者が公平であることが、 スポーツとショーを分ける
重要なポイントではないでしょうか。
ルールに抵触するかどうかを機械的に判定することが可能なケースでは、
こういったデバイスの導入を進めていくのは好ましいことと 考えます。
観戦する立場として
「あいまいなジャッジによる一喜一憂がありそれも醍醐味だ」
というのは理解できますが、競技者にしてみればそんなジャッジは冗談ではありません。
協議中にグレーな判定があった場合に、選手がインタビューで
「それが○○(競技名)だ。」
なんて殊勝なコメントを出すこともありますが、それはただの皮肉でしょう。
Re:一喜一憂するだけならいいけど・・ (スコア:1)
機械化による厳正化も進まないと思います。
なぜなら、FIFAは巨大な利権団体で世界最大興行主
であるからです。
FIFAの望んだ結果を出す為に誤審は利用されてきて
これからも利用されるでしょう。
(FIFAにとっては競技にお金がかかって第三世界への
普及に障害になるようなこともしたくないだろう。)
Re:一喜一憂するだけならいいけど・・ (スコア:1)
>普及に障害になるようなこともしたくないだろう。)
どの国が「第三世界」なのかは議論の余地はあると思いますが
サッカーは先進国以外の国にもかなり普及していると思いますけどね。
ぐぐったら文化省のサッカーの歴史 [mext.go.jp]てページがありましたが、
これによると、2000年3月現在で202の国と地域がFIFAに加盟しているそうです。
ちなみに、国連加盟国数は 2002年には191となっている [odn.ne.jp]とのことなので、
「地域」のところも数えているにせよ、加盟国(地域)数なら国連と同程度か
それ以上の普及率ですね。
というわけで、FIFAが「誤審」を利用してきたというのはあると思いますが、
上記引用のカッコ内の話はちょっと違うと思います。
Re:一喜一憂するだけならいいけど・・ (スコア:0)
(なぜなら、彼の国では自国が出てない試合は観客が入らないから・・・)