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> 女性は1人で遊ぶゲームを好み、競争性よりも物語性やキャラクター性を重視するなど、男性とはゲームに対する行動や態度に違いがみられるとのことだ。求めるものがコレなら、わざわざ高い金払ってゲームやるよりも小説読むか映画見た方がいいと思う。
ゲームでしかできない物語性やキャラクター性って何だろう?
#以前あった男女の違いの記事を思い出した。男女の違いを思い知った…学生にリレー小説を書かせたら教授も仰天の内容に [labaq.com]
「アドベンチャーゲーム」というカテゴリーは元々ゲームブックのようなものをソフトウェアで実現した際、今でいう「アドベンチャーゲーム」の形態に近い形で提供されたものが、当時冒険物が多かったために「冒険 (adventure)」の名を冠されただけで冒険などとはまったく関係がないよねっていう話はともかく、アドベンチャーゲームは当初からプレイヤーが選択した結果に応じた場面を提供する (指定されたパラグラフへ飛ぶ) ことでその世界を楽しむものであったため、ある意味元々紙芝居でしかないという話はあると思います。 その点を考えると、本という媒体ではあっても小説とはまた異なる娯楽を提供しようとする試みは存在したし形となっていたが、ソフトウェアを気軽に作成、利用できる時代となったからこそこの形態での提供が増加したというのはあるかと思います。
また、おっしゃられているポテンシャルは比較的新しい話で、レガシーな時代では「テープの残時間」(笑) とか、「フロッピーを差し替えてからどの位のコンテンツ (テキスト、サウンド、グラフィック等の量) がどれだけ消費されたか」といったことは可能でした。HDD に入れるようになってからでも、インストール時点で枚数を把握していますからやはりある程度は分かってしまうという。 推測困難になってくるのは、数 MB 程度は誤差の範囲 (= 小説一冊分程度のテキストは容量的に誤差と言えるレベル) に入ってくる CD-ROM 辺りの媒体が利用されるようになってからかな、と思います。
媒体に関する特性という点では他のコメント [srad.jp]にも書きましたが、それは「ノベルゲーム系という表現手段」という点の話であり、「ゲームというメディア」の話ではないように思います。ゲーム = ノベルゲーム、アドベンチャーゲームという話でもありませんし、非ソフトウェアのゲームもたくさんありますので。 個人的にはノベルゲーム系のアドベンチャーゲームは「テキスト、音楽、画像、アニメーションなどを連携して、ユーザーが望むペースで提供する」という点で、小説、アニメ、コミック、映画などをいいとこどりした表現手段だと思っています。もちろん万能ではありませんけど。
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にわかな奴ほど語りたがる -- あるハッカー
正直 (スコア:3, 参考になる)
> 女性は1人で遊ぶゲームを好み、競争性よりも物語性やキャラクター性を重視するなど、男性とはゲームに対する行動や態度に違いがみられるとのことだ。
求めるものがコレなら、わざわざ高い金払ってゲームやるよりも小説読むか映画見た方がいいと思う。
ゲームでしかできない物語性やキャラクター性って何だろう?
#以前あった男女の違いの記事を思い出した。男女の違いを思い知った…学生にリレー小説を書かせたら教授も仰天の内容に [labaq.com]
Re:正直 (スコア:1)
>ゲームでしかできない物語性やキャラクター性って何だろう?
私的には 小説や映画は とても考えられないですね。
娯楽向けソフトウェアは、一般にゲームというメディア種で呼ばれ
そのことから ゲーム性こそが本質であるかのように語られることが多々ありますが、
そのメディアとしての本質は"プログラムによる著作物"であるという点にあるはずです。昔でこそ低解像度にFM音源の時代もありましたが、
今日では 文字、音声、静止画、動画、既存の全ての表現方法を獲得した上で 既存メディアのいずれにも無かった双方向性を実現しています。
その双方向性こそが こと物語においては、プレイヤー自身に選択肢を選ばせることで物語の進行にユーザーの意志を介在させること、
既読判定スキップの搭載により複数のルート複数のエンディングを重複無く効率的に体験させることを容易に可能としました。
1つの作品の中に複数のストーリーを走らせることで 世界観をより緻密に表現し、
また 1つのストーリーでは追い切れないような複数のサブキャラの詳細な背景設定までも 多数のルートによって網羅することで
サブキャラ1人1人のキャラクター性により厚みを加えることが可能です。また 登場人物達がどう行動したとしても同一の結果を迎えるといった
既存のメディアではタイムトラベル設定を盛り込むしかなかったような"運命表現"も 設定に依存することなく当然に実現可能です。
また既存のメディアと異なり、物語の終了時期 エンドマークまでの推定シナリオ量が ユーザー側からは実質的に把握不可能であり
物語の進行状況によって推測するしかないため、物語の目的を終えて完結と思わせた上で急展開させ さらに十数時間以上のストーリーを
繰り広げるといった構造を ユーザー側に知られることなく隠し持つことが可能です。
(小説では残りページ量が目視できますし、映画であればタイムテーブルから概ねの上映時間が分かります。
つまり隠し持っている展開に大量のシナリオ量を持たせたい場合、
ページ数上で半分程度しか進行していないのにor上映時間の半分程度しか経ってないのに ストーリーが終盤展開を迎えれば
まだ何か相当量の未知の展開を残していると分かってしまい 演出上において大きな損失となります。)
とはいえ、家庭用ゲーム市場においては メーカーもユーザーも 前述した"ゲーム"なのだからゲーム性が必須だという観念に捕らわれるケースが多々あり
ゲーム性を極力排除し純粋にストーリーを楽しめるようにした作品を 紙芝居などと揶揄し、あろうことか "映画でやれ" "小説でやれ"などと、
ユーザー自ら他のメディア市場へ追い出そうとする始末です。ゆえに 家庭用市場においてノベル作品はマイナージャンルです。
("ゲーム"の内包するポテンシャルをきちんと理解できていれば 他で代用しろなどという言葉は とても出てこないはずなのですが・・・。
全編動画化して数時間にまとめるor音声抜いてテキスト1MB以内(文庫一冊最大1000P換算で)+挿絵にまとめる の二択とか 意味分かりません。)
全編動画であることで 物語の全てのシーンに動画制作コストを払わなくてはいけない映画、
紙媒体であることで すべてのシーンがテキスト+挿絵という表現手法に限定される小説。
それらに対して 既存の表現手法の中からシーンのプライオリティに応じて取捨選択することで効率的な作品構築を可能にしたのが
"ゲーム"というメディアだと思います。
(基本となる地の文+セリフ+BGMに加えて、日常シーンでは 使い回しの背景+立ちグラを、
イベントシーンでは書き下ろしCGを、ここぞという時には動画を流したりと リソースを効率活用することで、
長編小説を越えるシナリオ量でありながら テキスト・音響・映像という 多様な表現を作品中で用いることが可能となっています。)
以上、主にエロゲ もしくは家庭用美少女ゲームのお話でした。
//エロゲの話なら私にまかせて。
Re:正直 (スコア:1)
「アドベンチャーゲーム」というカテゴリーは元々ゲームブックのようなものをソフトウェアで実現した際、今でいう「アドベンチャーゲーム」の形態に近い形で提供されたものが、当時冒険物が多かったために「冒険 (adventure)」の名を冠されただけで冒険などとはまったく関係がないよねっていう話はともかく、アドベンチャーゲームは当初からプレイヤーが選択した結果に応じた場面を提供する (指定されたパラグラフへ飛ぶ) ことでその世界を楽しむものであったため、ある意味元々紙芝居でしかないという話はあると思います。
その点を考えると、本という媒体ではあっても小説とはまた異なる娯楽を提供しようとする試みは存在したし形となっていたが、ソフトウェアを気軽に作成、利用できる時代となったからこそこの形態での提供が増加したというのはあるかと思います。
また、おっしゃられているポテンシャルは比較的新しい話で、レガシーな時代では「テープの残時間」(笑) とか、「フロッピーを差し替えてからどの位のコンテンツ (テキスト、サウンド、グラフィック等の量) がどれだけ消費されたか」といったことは可能でした。HDD に入れるようになってからでも、インストール時点で枚数を把握していますからやはりある程度は分かってしまうという。
推測困難になってくるのは、数 MB 程度は誤差の範囲 (= 小説一冊分程度のテキストは容量的に誤差と言えるレベル) に入ってくる CD-ROM 辺りの媒体が利用されるようになってからかな、と思います。
媒体に関する特性という点では他のコメント [srad.jp]にも書きましたが、それは「ノベルゲーム系という表現手段」という点の話であり、「ゲームというメディア」の話ではないように思います。ゲーム = ノベルゲーム、アドベンチャーゲームという話でもありませんし、非ソフトウェアのゲームもたくさんありますので。
個人的にはノベルゲーム系のアドベンチャーゲームは「テキスト、音楽、画像、アニメーションなどを連携して、ユーザーが望むペースで提供する」という点で、小説、アニメ、コミック、映画などをいいとこどりした表現手段だと思っています。もちろん万能ではありませんけど。