dreamerの日記: Scomparsa.
Continua a indebolirsi nel giorno nel giorno. Sforzando tutte le alimentazioni, ha provato probabilmente a spegnere la sua esistenza.
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Continua a indebolirsi nel giorno nel giorno. Sforzando tutte le alimentazioni, ha provato probabilmente a spegnere la sua esistenza.
ma è morto. è troppo tardi.
arrivederci, caro.
夏休みの匂いは早朝のお寺参りの時の匂い。
そんな匂いのする早朝、家を出てすぐのところにミルクのたっぷりと注がれた素焼きの皿があって、きっと優しい人が置いたんだろうと思った。日が少し昇ってから暑くなろうかというころにもう一度通ったら、車に踏まれたのか皿が割れていた。
歩道だったとはいえ、そうなりそうな場所ではあったのでずらしておけばよかったというのは後で思ったこと。前もってそう思うことはできたかな?
小さい頃はほんの些細なことで悲しくなったんだ。もちろん今は前ほどではないけれど、それでもお皿を置いた人のことを考えるとちょっと悲しかった。だって、お皿を置いたのが小さい頃の自分だったら、きっと割れたお皿を見て悲しくなるから。ほんの少し考えがいたらないがために、良かれと思ってやったことが悲しい結果になった時の言いようもない感情。
すべてが場違いだったけれど、一言だけ、本当に言いたかったんだ。君は素敵な人だし、一つ一つのことは覚えていないかもしれない。そう言われる理由なんて見当もつかなかったかもしれないのだけれど。
君の態度や言葉には本当に救われた。それが幸せでもあった。君のように人を幸せにできればと望み、そうなろうと長い間ささやかに努力したこともある。ささやかに、でも陰からしっかりと支えられる人になりたかった。本当に、憧れだった。
ありがとう。
その一言を言いたくてあの日。
"memento"という言葉を初めて耳にしたのは、Mr. Childrenの音楽になる。曲の副題がMemento moriだった。考えたことはなかったのだが、さっきmoriはmourirと繋がっているのではないかとふと気づいた。
まぁ、それは今ここでは関係のない話なのだけれど、気づいてから聞き直せばより歌にこもった気持ちに近づけるのかもしれない。幸いにしてCDは持っているし、音も歌詞も頭にあるのでのんびりとなぞりなおすことにしよう。
ともあれ、今書こうと思ったのはこの話ではない。
ただの歌の記録である。
僕にとっての歌は、物事のsnapshotを入れておく箱のようなものに喩えられるかもしれない。のぞけば途端に関連する記憶が細部にまでよみがえる。
今日いつの間にか口ずさんでいた歌は、大きな箱だった。まだたくさん入る余裕があるのだけれど、長らく放っていたんだ。しばらくの間ふたをして、そっとしまっておこうかな。
椎名林檎、「ここでキスして」。
-- この曲の歌詞は、途中で途切れるんだ。特別な曲。
'cause that's ...
新しい歌を見つけた。いろいろ積もったものが一度に溶け出して、思わず号泣してしまった。ここ数日この調子だ。
何か変わるかな。僕が変わらなくても周りが変わる。相対的に僕も変わる。それでもいいかな。忙しいだとかなんだかんだ言い訳をして、結局のところ僕は動けないんだ。動けないんじゃなくて本当は動かないのだけど。
そして遠い日の夢を再び見る日を夢に描く。
いつになったら積もったもの、夢を消化しきれるのかな。寂しい。
ねぇ、誰もいないの?みんなどこに行っちゃったんだろう。
時間がたつと外形だけになり、薄れ、半透明になって、見えなくなる。程度の差こそあれ。喜びも、感激も、悲しみも、忘れていないと思っていても形ばかりに。覚えてる?そっか。どこにいるの?君は誰?どこに行ってたの?帰っておいで。僕はここだよ。どこ?
歌は記憶を呼び覚ます道具。記憶があふれ出してくる。
怖い記憶も、楽しい記憶の象徴も。
楽しいことも多かった。
けれど、記憶に染み付いてにじみ出てくるのは、より激しい感情が沸き立つのは、怖い記憶。
さびしくなる。心地よい。切ない。
コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell