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いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。
この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源は
アインシュタインのような偉大な科学者であってさえ、宗教を否定する時には「子供じみた」とか「迷信にすぎない」とか言う非科学的な言葉を使ってしまうと言うのが人間と宗教との関わりの根深いところですね。
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あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
アインシュタインでさえ (スコア:2, 興味深い)
いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。
この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源は
Re:アインシュタインでさえ (スコア:3, 参考になる)
アインシュタインのような偉大な科学者なら常に科学的根拠と洞察に基づいた発言をすると期待する人がいると言うのも、また根深い科学信仰ですね。
アインシュタインは自分の考える神のイメージはスピノザ [wikipedia.org]の考えた人格を持たない神に近いと発言しています。
まあ神とは物理法則そのもので、その神から見れば人間も石ころも世界の構成要素として等価であり、人間が神をどう扱おうが無関心なので信仰は無意味というか、「神の存在」と「信仰」は別のものとして考えようとしていたと。
ただしアインシュタインはあくまで「俺はそう考えてる」というだけで、他人の信仰をとやかく言うようなことは極力しなかったそうです。
うじゃうじゃ