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ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。 [wikipedia.org]一方、メディアには真実を伝える社会的責務があります。
この問題で浮き彫りになったWikipediaの問題点って何?
社会的責務といったって、日刊紙などで書く記事に検証時間はロクにないから、限界があるよね。独自調査をどこまでやればいいのかな。今回の記事の場合、毎日記事を書いていく中で、ドイツ支局に本当なんだな?って確認させて、間違えてたら訂正記事を載せる。そのくらいが限界じゃないかな。
紙メディアの資料がWikipediaより信用できると考えている人も多いだろうけど、どちらにもメリットとデメリットがあって、総合的には大差がないと思う。定評ある辞典、事典にも問題は少なくないよ。
でもWikipediaとインターネットが登場する前は、こういう間違えはほとんどなかった。ウェブサイトの広告収入を増やすために、内容が嘘でも構わない記事を乱立しているのは、どのメディアでも同じ。
まあ数字を挙げての検証はできませんが、感覚的にはこの手の間違いの数は増えてる気がします。
某IT系ニュースサイトのライターやってたときなんて、携帯電話の新製品発表会のレポート記事の〆切が「記者会見終了予定時刻から1時間後」だったりしたことがざらにありましたから。そうなると、発表内容に嘘が含まれてたとしても(ありがちなのが「世界初の機能」とかリリースに書いてあるものが、実は既に他社がやってたとか)それを検証する間もなく記事を書かなきゃいけないですし。実際のところ、記事の掲載時間が10分遅れるだけでPV数に如実に影響が出たりするので、「間違いは後で直すことにしてとにかく記事をupしろ」ってことも少なくなく。
ただ結局そういう記事も掲載時には署名記事になって、間違いがあったときに叩かれるのは編集部ではなくライターだったりするので…。おまけに原稿料も叩かれるようになったので、とても責任が取りきれないと思ってライター辞めて転職しましたが。
> 社会的責務といったって、日刊紙などで書く記事に検証時間はロクにないから、限界があるよね。
時間がなければ検証もせずWikipediaからコピペして新聞記事にしても良いということでしょうか?
> 今回の記事の場合、毎日記事を書いていく中で、ドイツ支局に本当なんだな?って確認させて、間違えてたら訂正記事を載せる。
今回の記事って、ドイツのメディアが確認も取らずに載せたって話なんですが、ドイツ支局って何?
そうです。TVやラジオのニュースや日刊の新聞の報道記事は、正確さよりスピードを優先するものです。訂正なり、検証記事は後日、載せればいい。物事には限界があるのですから、何もかも理想を追求しては形ある仕事にできません。もちろん、時間を許す範囲では正確さを追求するべきだし、最低限、確認しないとダメな部分はありますよ。最低限の事実関係とか、一般個人のプライバシーに触れる内容とかね。
> 今回の記事って、ドイツのメディアが確認も取らずに載せたって話なんですが、ドイツ支局って何?
日本のメディアが報道する場合ってことです。言葉足らずだからって、揚げ足取りして、何か楽しいの?
> 日本のメディアが報道する場合ってことです。言葉足らずだからって、揚げ足取りして、何か楽しいの?
自分から「今回の記事の場合」と、今回のドイツのメディアが報道した記事の話に限定しておいて、それが「日本のメディアが報道する場合」の話だったというのは、「言葉足らず」とは言わないでしょうね。
あなたが記事の正確さよりもスピードのほうが重要だと考えるのも、なんだかわかる気がします。
私も何度かWikipediaを編集していますが、この方針を知った時には驚愕しました。明らかに間違った情報が書かれているのに、一般にアクセスできるところに正しい情報がないとそれを訂正できないというもどかしさ。
この問題で浮き彫りになったWikipediaの問題点は、Wikipedia自体が大きく成長して影響力が増したために、真実をゆがめてしまうことにつながるようになった、ってことじゃないでしょうか。現在の規模になったWikipediaにふさわしい掲載基準とは何なのか考える機会があってもいいと思います。
検証可能でないものを「明らかに正しい」と言い切れるというのも問題ではないかね?
いずれにせよあなたの言う「明らかに間違った情報」までが澄ました顔で掲載されてしまっているという現実を食い止めるのに「検証可能」(実際には「参照可能」だけどな)程度の縛りはもう最低限に必要なことだと思うけどな。
「本人の誕生日が間違っている。っていうのを本人がどうやって証明すればいいんだろう?」と、作家さんが悩んでました。
「あとがきに書けば良いんじゃない?」ってアドバイスしたんですけど、ポリシーとして、あとがきにそういうのは書けないらしくて却下されました。(すでにその作家さんの「あとがきの書き方」が定着してるのでそこに、「wikipedia間違ってるんだよね」とは書きにくい)
ちなみに、間違った誕生日の元って言うのは、何かのイベント時に配布された資料らしいんですが一つ上の作家さんのがコピペされてそのままだったという。
>「本人の誕生日が間違っている。っていうのを>本人がどうやって証明すればいいんだろう?」>と、作家さんが悩んでました。
その程度のことなら、自分のブログにでも書けば十分だろう。http://ja.wikipedia.org/wiki/WP:BLP [wikipedia.org]
そもそも名前字体偽名つかってるのに、誕生日だけ同じというのはどうかと。声が同じだけど、エロゲーと一般アニメで名前を使い分ける声優と同じじゃん。
ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。一方、メディアには真実を伝える社会的責務があります。
なにかしっくりこない文章だと思ったら、ウィキペディアの基準というのはあくまで内規でしょう?それに対してマスコミに求めた「社会的責務」というのはあくまで社会が求めたもの。レベルの違う二つを比べている。
そういう意味でいうと、ウィキペディアも社会に向かって情報を発信しているという立場なんだから、社会はウィキペディアに対して真実を伝えてほしいという要望は持っているはずで、それを社会的責務と呼んでも差し支えないでしょう。
ウチの団体の内規がこうだから世間からの要望は無視するよ、というのはその団体の規模が大きくなるにつれ難しくなっていくでしょう。そこがウィキペディアの課題だと思います。もう一つ、ウィキペディアの基準が「検証可能かどうか」というのを周知徹底できていないというのも課題としていいと思います。# あくまで問題点じゃなく課題ですが
> この問題で浮き彫りになったWikipediaの問題点って何?
Wikipediaなんかを情報源にしている信頼できないマスコミをソースにして編集が行われたこと。
お題目がいくら立派でも実践できなければ意味がありませんね。
ウィキペディアがマスメディア並みの影響力を持ち始めているのに真実を伝える社会的責務を放棄していること。ウィキペディアが今後とも社会に対する影響力を増すのであれば、負うべき社会的責務を論ずる必要があるのではないですか。
単純に、「ウソ記事がロクなチェックも通されずに載ることがある」という問題。
「真実であるか」と「検証可能か」なんてのは論点をはっきりさせるための符牒みたいなものでしょう。現代科学は基本的に「検証可能」を大原則としている。Wikipediaだけの妙なこだわりというわけではない。逆に、Wikipediaは「真実を伝えることなど考えなくてもいい」ところだなどとそのリンク先を読んで勘違いしてるヒトがいるとしたら、多分そいつの書く記事はロクなもんにはならんでしょうな。(もっともWikipediaの場合、「検証可能」というより「参照可能」と言ったほうがいい状態だというのは過去ストーリーでもあった話だけど)
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
浮き彫りになったのはWikipediaの問題点ではなくメディアの問題点 (スコア:1, 参考になる)
ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。 [wikipedia.org]
一方、メディアには真実を伝える社会的責務があります。
この問題で浮き彫りになったWikipediaの問題点って何?
Re:浮き彫りになったのはWikipediaの問題点ではなくメディアの問題点 (スコア:2)
社会的責務といったって、日刊紙などで書く記事に検証時間はロクにないから、限界があるよね。独自調査をどこまでやればいいのかな。今回の記事の場合、毎日記事を書いていく中で、ドイツ支局に本当なんだな?って確認させて、間違えてたら訂正記事を載せる。そのくらいが限界じゃないかな。
紙メディアの資料がWikipediaより信用できると考えている人も多いだろうけど、どちらにもメリットとデメリットがあって、総合的には大差がないと思う。定評ある辞典、事典にも問題は少なくないよ。
Re: (スコア:0)
でもWikipediaとインターネットが登場する前は、こういう間違えはほとんどなかった。
ウェブサイトの広告収入を増やすために、内容が嘘でも構わない記事を乱立しているのは、どのメディアでも同じ。
Re: (スコア:0)
本当か?こういう間違えが表に出ることがほとんど無かったって程度じゃない?
Re:浮き彫りになったのはWikipediaの問題点ではなくメディアの問題点 (スコア:5, 興味深い)
まあ数字を挙げての検証はできませんが、感覚的にはこの手の間違いの数は増えてる気がします。
某IT系ニュースサイトのライターやってたときなんて、携帯電話の新製品発表会のレポート記事の〆切が「記者会見終了予定時刻から1時間後」だったりしたことがざらにありましたから。
そうなると、発表内容に嘘が含まれてたとしても(ありがちなのが「世界初の機能」とかリリースに書いてあるものが、実は既に他社がやってたとか)それを検証する間もなく記事を書かなきゃいけないですし。
実際のところ、記事の掲載時間が10分遅れるだけでPV数に如実に影響が出たりするので、「間違いは後で直すことにしてとにかく記事をupしろ」ってことも少なくなく。
ただ結局そういう記事も掲載時には署名記事になって、間違いがあったときに叩かれるのは編集部ではなくライターだったりするので…。おまけに原稿料も叩かれるようになったので、とても責任が取りきれないと思ってライター辞めて転職しましたが。
Re: (スコア:0)
> 社会的責務といったって、日刊紙などで書く記事に検証時間はロクにないから、限界があるよね。
時間がなければ検証もせずWikipediaからコピペして新聞記事にしても良いということでしょうか?
> 今回の記事の場合、毎日記事を書いていく中で、ドイツ支局に本当なんだな?って確認させて、間違えてたら訂正記事を載せる。
今回の記事って、ドイツのメディアが確認も取らずに載せたって話なんですが、ドイツ支局って何?
Re:浮き彫りになったのはWikipediaの問題点ではなくメディアの問題点 (スコア:2)
そうです。TVやラジオのニュースや日刊の新聞の報道記事は、正確さよりスピードを優先するものです。訂正なり、検証記事は後日、載せればいい。物事には限界があるのですから、何もかも理想を追求しては形ある仕事にできません。
もちろん、時間を許す範囲では正確さを追求するべきだし、最低限、確認しないとダメな部分はありますよ。最低限の事実関係とか、一般個人のプライバシーに触れる内容とかね。
> 今回の記事って、ドイツのメディアが確認も取らずに載せたって話なんですが、ドイツ支局って何?
日本のメディアが報道する場合ってことです。言葉足らずだからって、揚げ足取りして、何か楽しいの?
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
> 日本のメディアが報道する場合ってことです。言葉足らずだからって、揚げ足取りして、何か楽しいの?
自分から「今回の記事の場合」と、今回のドイツのメディアが報道した記事の話に限定しておいて、
それが「日本のメディアが報道する場合」の話だったというのは、「言葉足らず」とは言わないでしょうね。
あなたが記事の正確さよりもスピードのほうが重要だと考えるのも、なんだかわかる気がします。
Re:浮き彫りになったのはWikipediaの問題点ではなくメディアの問題点 (スコア:1, 興味深い)
私も何度かWikipediaを編集していますが、この方針を知った時には驚愕しました。
明らかに間違った情報が書かれているのに、一般にアクセスできるところに正しい情報がないと
それを訂正できないというもどかしさ。
この問題で浮き彫りになったWikipediaの問題点は、Wikipedia自体が大きく成長して
影響力が増したために、真実をゆがめてしまうことにつながるようになった、ってこと
じゃないでしょうか。現在の規模になったWikipediaにふさわしい掲載基準とは何なのか
考える機会があってもいいと思います。
Re: (スコア:0)
検証可能でないものを「明らかに正しい」と
言い切れるというのも問題ではないかね?
いずれにせよあなたの言う「明らかに間違った情報」までが
澄ました顔で掲載されてしまっているという現実を食い止めるのに
「検証可能」(実際には「参照可能」だけどな)程度の縛りは
もう最低限に必要なことだと思うけどな。
Re:浮き彫りになったのはWikipediaの問題点ではなくメディアの問題点 (スコア:1, 興味深い)
「本人の誕生日が間違っている。っていうのを
本人がどうやって証明すればいいんだろう?」
と、作家さんが悩んでました。
「あとがきに書けば良いんじゃない?」ってアドバイスしたんですけど、
ポリシーとして、あとがきにそういうのは書けないらしくて却下されました。
(すでにその作家さんの「あとがきの書き方」が定着してるので
そこに、「wikipedia間違ってるんだよね」とは書きにくい)
ちなみに、間違った誕生日の元って言うのは、何かのイベント時に配布された資料らしいんですが
一つ上の作家さんのがコピペされてそのままだったという。
Re: (スコア:0)
>「本人の誕生日が間違っている。っていうのを
>本人がどうやって証明すればいいんだろう?」
>と、作家さんが悩んでました。
その程度のことなら、自分のブログにでも書けば十分だろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/WP:BLP [wikipedia.org]
Re: (スコア:0)
そもそも名前字体偽名つかってるのに、誕生日だけ同じというのはどうかと。
声が同じだけど、エロゲーと一般アニメで名前を使い分ける声優と同じじゃん。
Re:浮き彫りになったのはWikipediaの問題点ではなくメディアの問題点 (スコア:1, 興味深い)
なにかしっくりこない文章だと思ったら、ウィキペディアの基準というのはあくまで内規でしょう?それに対してマスコミに求めた「社会的責務」というのはあくまで社会が求めたもの。レベルの違う二つを比べている。
そういう意味でいうと、ウィキペディアも社会に向かって情報を発信しているという立場なんだから、社会はウィキペディアに対して真実を伝えてほしいという要望は持っているはずで、それを社会的責務と呼んでも差し支えないでしょう。
ウチの団体の内規がこうだから世間からの要望は無視するよ、というのはその団体の規模が大きくなるにつれ難しくなっていくでしょう。そこがウィキペディアの課題だと思います。もう一つ、ウィキペディアの基準が「検証可能かどうか」というのを周知徹底できていないというのも課題としていいと思います。
# あくまで問題点じゃなく課題ですが
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
> この問題で浮き彫りになったWikipediaの問題点って何?
Wikipediaなんかを情報源にしている信頼できないマスコミをソースにして編集が行われたこと。
お題目がいくら立派でも実践できなければ意味がありませんね。
Re: (スコア:0)
ウィキペディアがマスメディア並みの影響力を持ち始めているのに真実を伝える社会的責務を放棄していること。
ウィキペディアが今後とも社会に対する影響力を増すのであれば、負うべき社会的責務を論ずる必要があるのではないですか。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
単純に、
「ウソ記事がロクなチェックも通されずに載ることがある」
という問題。
「真実であるか」と「検証可能か」なんてのは論点をはっきりさせるための
符牒みたいなものでしょう。現代科学は基本的に「検証可能」を大原則としている。
Wikipediaだけの妙なこだわりというわけではない。
逆に、Wikipediaは「真実を伝えることなど考えなくてもいい」ところだ
などとそのリンク先を読んで勘違いしてるヒトがいるとしたら、
多分そいつの書く記事はロクなもんにはならんでしょうな。
(もっともWikipediaの場合、「検証可能」というより「参照可能」と言ったほうがいい
状態だというのは過去ストーリーでもあった話だけど)
Re: (スコア:0)
#下手に出典書いてある記述より、[要出典]付いている記述の方がよっぽど参考になると思ってる不穏な奴なのでAC